今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■文章力とは何か(メカAG)
世にはハウツー本ばかり溢れて嘆かわしい…そういう言葉を聞いたのはいつだったか。1980年代には聞いた覚えがある。いまどきの表現をすればライフハック本だろうか。
ネット時代になりさらに事態は進み、単純な事実を列挙しただけの情報が溢れている。事実か事実でないかだけに価値がある。なのでやたら元ソースにこだわる。情報の信憑性を評価するのにソースにこだわるのは悪いことではないが、いいかえればその文章自体は何も新たな情報を生み出していないということ。
むしろ元ソースの必要な箇所だけを抽出しているから、情報量は減っている。それによって情報化時代の情報爆発に人間はなんとか耐えているわけだ。情報を取捨選択しそれを拡散する。
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自分の意見を述べる場合も、あくまで自分の過去の体験や自分がその時こう思ったという事実だけをひたすら書く傾向にある。体験したのは動かしがたい事実だろうし、自分がその時○○と感じたというのも事実だろう。
でもホントはそれだけじゃダメなんだよね…。自分が体験したのは事実であっても、それはすごく特殊で偏った状況であれば、あまりそこから導かれた法則に一般性がない。自分はこの世界の一部しか経験していないのだから、何らかの方法で残りの部分を推測し、その中に自分の経験を位置づけなければならない。
自分がその時こう感じたというのも、なぜそう感じたのか分析しなければ、経験則の共有は難しい。同じものを見ても人間の感じ方は違う。それはそれまでの経験によって感じ方が変わるからで、背景までさかのぼって「なぜ自分はそう感じたのか」を語らなければ、結局「俺はこう感じた」「いや、僕はこう感じた」と言い合いになるだけ。結局これも時間軸の残りの部分を含めて語らなければ、有益な情報にならない。
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つまり事実そのものを語るのは当たり前で、それだけでは不十分。自分が体験した事実と、自分が体験していないであろう事実を推測し、全体を語らなければならない。自分はその時こう感じたが、別な○○の立場の人間ならこう感じるだろう、と。
自分が体験していない部分は推測するしかない。ある意味それは事実ではない。事実でないものを語ることが重要なのだ。人類はロケットがない時代にすでに地球が丸いことを推測した。それは推測であって実際に丸い地球を見たわけではない。見ていないもの、体験していないもの、事実でないものを語ることが重要。それを語れる力が文章力。事実だけを伝えるなら単なるコピペでいい。
で、そのためには数学の証明のように、前提や導入した仮定などを示し一歩一歩推論手順を説明しなければならないから、それなりの文章量にならざるを得ない。「一目瞭然なことをなんでこんなまどろっこしく書くのだ」といっても、証明(推論)というのはそういうもの。見る人間、見る立場によっては、それほど一目瞭然ではないという前提に立って書かれているから。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年04月25日時点のものです。
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