今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■思考の仕方を学ぶとはどういうことか
amazonの「ライト、ついてますか」の評価を見ていたら、エンジニアはこの程度のこともわからないほど頭が硬いのか?というコメントが目についた。
たとえば表題の「ライト、ついてますか」というのは、トンネルの出口でうっかりライトをつけっぱなしにするドライバーにどう警告したらいいか?という話。出口のところに「ライトを消せ」という標識を立てるべきか?しかし夜ならライトを消してはいけない。「夜でないならライトを消せ」でよいか?霧が出ていたら…。
いろんなケースを想定し完璧な警告文を作ったら、それはとても長くなり、運転中のドライバーには読めないだろう。必要なのはライトにドライバーの注意を向けることであって、その後の細かな指示は無用。そういう話。
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たしかにこれだけのことなら「そんなの当たり前じゃん」となるかもしれない。しかしこの本は「簡潔な標識を立てましょう」ということを言ってるわけではない。どうやってベストな答えにたどり着くかという思考方法を語っている。
「当たり前じゃん」と思う人は、思考ではなく直感で答えていると思うのだよね。ここでいう思考というのは直感ではなく、形式化された思考。
たとえば小学校の算数で、りんごが3個ありました。あとから2個誰かが持ってきました。りんごは全部でなん個あるでしょう?という問題に、いきなり直感で5個と答えるのではなく、「3+2=」という式を立てて、計算結果として5を導き出す。
直感で5個と答えている人は、多分頭のなかで、「1、2、3」そして「4、5」と数えている。でも数が多くなってくると、この方法では対処できない。
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誰もが一度は思ったことだろう。すぐに「5」と分かる答えを、なんで仰々しく式を立てて、求めなければならないのか?と。直感で分かる程度の単純なうちはいいんだけどね。でもだんだん複雑になってくると直感ではわからなくなる。
連立方程式なんか直感で「答えはこれだ!」と答えるのは、かなり辛いだろう。式の変形手順に従って答えを求めなければ、正解にたどり着かない。これが思考の形式化。
ただいきなり方程式を立てないと答えがわからないような問題で、方程式の立て方を学ぶのでは、なにがなにやらわからなくなる。なので方程式を立てなくても直感で答えがわかるようなシンプルな問題を、あえて方程式を立てて解いてみる事から始めるわけだ。
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「ライト、ついてますか」の本も同じこと。あえて直感でも解ける問題を、どう形式化して解くか?その場合、人間はどういう誤りを犯しやすいか。そういうものを語っている。
直感だと答えが違う場合「間違い」としかわからないよね。どこで間違ったのか分析不能だ。方程式を立てて順に変形していけば、変形手順のどこが間違いか、解析できる。あるレベル以上複雑な問題は、こうして形式化しないと解けない。考え方を考えるとはこういうことだ。
なので直感で思考している段階の人は、上述の小学生と同じで、「なんでわざわざ式を立てて計算しないといけないの?」と同様の感想を持つかもしれない。小学校で「3+2=5」を習うから、中学で連立方程式が解けるのだけれど。
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あと他のコメントを読んでいたら「訳が下手だ」というのがあった。そうかなぁ。まあ、むかし読んだだけだから記憶が薄れているけれど、読みにくいという印象はなかったけどね。独特の言い回しはあったかもしれない。でも、それを普通の文章にしてしまうと、この本の味わいがなくなるような。
表題が象徴しているように、この本はちょっととぼけて面白おかしく書かれたものだ。人間の思考の盲点を指摘している「ひねくれた」本なのだ。そのひねくれた部分をストレートに伸ばしてしまったら、面白さが失われてしまう。「読みにくい」と感じる人は、おそらく訳のせいではないと思う。
参考サイト:
「ライト、ついてますか―問題発見の人間学 [単行本]」 ドナルド・C・ゴース(著), G.M.ワインバーグ(著), 木村 泉(翻訳) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/dp/4320023684
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年08月06日時点のものです。
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