■丸山健二氏特別寄稿(5)『文学はこれから始まる』
小説の販売部数を不健康なまでに伸ばさないことにはやってゆけないような贅沢三昧の仕組みにしてしまった大手出版社は、要するにその働きに見合っているとはとても思えない高額の給料を維持するために、「わかり易さ」を至上の尺度に揚げてアンポンタンな読者を巻きこまなければならず、これまで売れに売れた作品のレベルを踏襲する悪癖がすっかり身に付き、やがて、それ以外の作品は小説でも文学でもないと自信と誇りをもって排除するようになった。
その結果、あまりにも説明的で、いつ果てるともなくだらだらとつづく、歯の浮くような会話と、これまたお粗末極まりない、ベタな地の文と、切れの悪い構成と、ありきたりな主題とによって、どうにかまとめ上げられた〈小説もどき〉が大手を振って罷り通るようになり、それしか他にないせいでそういうものが小説であり、文学であると思いこまれてしまい、ついには主流となって、あげくに、現実を直視する勇気を持たない、それどころか、現実からいかに目を背けることができるかどうかが重要な鍵となる始末で、案の定、落ちるところまで落ちるに至った。
ほとんど手つかずの文学の鉱脈は、もはやそうしたタイプの軟弱な書き手たちには掘ることが不可能で、筆一本では食べてゆけない事実を承知で固めた鉄の意志を持ち、質の高い読者を感動に引きずりこむには極めて高度で斬新な書き言葉を身に付けなければ話にならないことをよくよく理解している上に、図抜けた才能を具えた書き手にしか寄せつけないだろう。もちろん、そうした書き手は、当然ながら少数であろうが、しかし、たった一人でも登場する機会が与えられたなら、入り口付近をうろつくだけで本物の文学の世界に入ることができなかった日本文学が一挙に活気づくこと請け合いである。ひっきょう、文学はこれから始まるところなのだ。
丸山健二氏プロフィール
1943 年 12 月 23 日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966 年「夏の流れ」で第 56 回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作となるが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。
Twitter:@maruyamakenji
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