今回はおはぎさんのブログ『失われた何か』からご寄稿いただきました。
■アニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて
●はじめに
今回はアニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて。
最近この見方について色々思うところがあったので、自身の体験を踏まえて語っていきたいと思います。
●厳しく見ることで失ってしまったもの
以前はアニメを厳しく見ること、厳しく評価する事が良い見方だと信じていました。
厳しく見れば、評価すれば、良い見方が可能になると思っていました。
そして自分が大好きな作品のレベルに達しない作品はダメだという評価をしていました。
この考えの元、色々な作品を見ては、
「作品Aはダメ。○○な理由で良くない」
「作品Bはダメ。○○な理由で良くない」
と評価を下していきました。
そう、学生時代の頃から数年間は以上のような見方を続けたと思います。
でも、自分なりの厳しい見方をし続ける内に、自分の中にある変化が起こっていることに気がつきました。
「あれっ。新しく見る作品が無くなってきている…」
「最近、アニメを面白く感じられない…」
色々な作品をダメだと評価を下してしまった為にアニメを楽しめなくなってしまったのです。
自分なりの信じていたアニメの良い見方を実践していたとはいえ、見ること自体が辛くなってきたのでは本末転倒だと感じるようになりました。
この頃はアニメに対する情熱を失いかけていました。
作品がどうのこうのというより、自身の見方で、自身を傷つけていたのでした。
●新たなスタンスの気づき/獲得
そんな楽しめなくなっていた時、自身が好きな旧作中心に見て、何とかアニメを見ていた時、あるブログでこんな文章を見つけました。
「作品は一つでも面白い点が発見できればOKではないか」
私自身、この言葉に出会ってとても気が楽になりました。
確かに自分にとって、出会った作品に一つでも良い面や面白い面があれば、それでOKではないかと思うようになっていきました。
この言葉と出会ってからは、自分なりに作品との向き合い方を変え、まずは厳しく評価する前に、その作品を見ていこう、作品から何かを発見したい、作品との出会い自体を大切にしていきたいという気持ちに変化していきました。
端的にいえば、評価することより、作品を見ている時間/瞬間を楽しみたい。
では楽しむためにはどうしたらいいのかというスタンスへの変化だったのだと思います。
言いかえれば、減点法より、加点法的な楽しみ方に切り替わったともいえます。
今はアニメを見ながら、気楽に楽しんでいます。
特にダメな点を強調するような見方もしていないです。
そして何か書きたくなったらブログに書くっていうスタンスになっています。
●厳しく見ていた頃を振り返ると
厳しく見ていた頃を振り返ると、おそらく自分のアニメ体験を大きく揺さぶられた作品への影響が大きかったこと、そしてその作品群と安易に比べて評価してしまったこと。
または、作品を色々見ていく中で、もっと面白い作品を、もっと面白い作品をと、味覚における舌が肥えるように、アニメに対する眼や耳が肥えていたこと。
以上の二つの自身の変化は、おぼろげには意識をしていたものの、アニメそのものを楽しめなくなる事には、気づかなかったのです。
一方で厳しく見ていた期間は、学生から社会人になった期間でもありました。
学生の頃とは違い、社会人になるとアニメを見る時間/作品数が減ってきました。
そして少ない作品数を厳しく見ることで、より楽しめなくなってしまう。
最終的に「最近のアニメはダメだ~」と勝手に思い込む悪循環に陥っていたのだと思います。
●まとめ
私自身はアニメを厳しく見ることが、自分の見方を鍛えるものだと思っていました。
厳しく見ることから得られた発見もありましたが、その結果、アニメを見たくなくなる、楽しめなくなるのでは、最終的には意味がなくなってしまうと思います。
そしてアニメに対する見方を鍛えることは、作品を厳しく見ること/評価することよりもまず作品との出会いを大事にする方が、より良い方法なのではと思うようになりました。
そして評価することより、作品から何を発見できるかが、自分にとって大事なウェイトを占めるようになりました。
何よりアニメに使える時間が限られているからこそ、アニメとのより良い出会いを大切にしたいという気持ちが強くなったのかもしれません。
そして、厳しい見方自体が悪いかといえば、私にはわかりません。
むしろ厳しく見るというより、作品を安易にダメという減点法的な評価の仕方が、自分自身の首を絞めてしまったという言い方もできます。
厳しい見方=きちんと見る、という意味合いもあるでしょうから。
厳しく見ることと、安易にダメという評価の仕方をごっちゃにしていた面もあります。
少なくとも、上記のような安易にダメという見方を続けてしまったが為に自身が苦しむようであれば、新しいスタンスを見つけるのも一つの方法だとは思います。
アニメに限らずなのでしょうが、作品に接する時は肩肘張らずに、まずはありのままを見て接することが楽しく/面白くみられる可能性の一つであり、
作品から新たな発見を得られる大元のスタンスになるといえるのではないのでしょうか。
そして見方を変えるキッカケになったのは他者の意見だったので、行き詰まった時には、他者の言葉に耳を傾けることが状況を打開する方法の一つではないかと思いました。
人の意見を上手く取り入れることが、アニメをより楽しめる可能性に繋がるのでしょう。
参考:「大切な作品との出会いが、トレンドに右往左往されない基盤を作る!」 2012年02月06日 『アニプレッション』
http://anipression.doorblog.jp/archives/51324847.html
執筆: この記事はおはぎさんのブログ『失われた何か』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年06月04日時点のものです。
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