今回はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。
■1980年代は円高で好景気になった?
「天皇陛下と円高(中部大学教授 武田邦彦)」 2013年05月15日 『ガジェット通信』
http://getnews.jp/archives/339820
昭和天皇云々の下りは眉唾っぽい。少なくとも水田三喜男大蔵大臣が円高のデメリットを天皇陛下に説明できなかったというのはないだろう。
いわゆるニクソン・ショックでは為替相場安定に腐心し、変動相場制へと動く過渡期の国際金融情勢下で日本の財政を舵取りした人物として知られる。「水田三喜男」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/水田三喜男
第一線で四苦八苦した当事者なのだから。そしてニクソンショックが起きた1971年は世界的な不景気だった(だからニクソンショックが起きたわけだ)。日本は高度経済成長の終わりの時期(これは1973年の石油ショックもあったけど)。
* * *
1ドル=120円になって日本人がお金持ちになったというのは、1985年頃のことをいってるのだろう。
「図録▽円の対ドル・対ユーロ為替レートの推移」 『社会実情データ図録』
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5070.html
1985年のプラザ合意により円は1ドル=250円前後から、1988年には1ドル=120円前後にまで円高となった。バブル景気が1986年~1991年だから、確かにその間好景気になっている。
でもそれは金利を下げたからなんだよね。
「10.公定歩合の推移」 『2007年度経済データ処理実習(山田) レジュメ#11』
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~yamadaka/data/07edpp-11.htm
1985年に5.0だったのが、1987年には2.5にまで下がっている。いわゆる金融緩和。円高で不景気になることを恐れて金融緩和したわけだ。高い価値の円が大量にばら撒かれバブルになった。
ニクソンショックもプラザ合意もアメリカの通貨安政策。ドルを安くした(つまり円は高くなった)。アメリカは過去何度も通貨安政策をとってるわけで、いまさら日本を非難できるわけがない。というよりこれを非難したら主権侵害。アメリカは大量のドルを刷るのに、それまでの金保有量と結びついたドルでは都合が悪いので、金本位制をやめた。
* * *
当時は5.0という高い金利だったから下げる余地があった。現在はほとんど0(ゼロ金利)なので、もう下げられない。そのため七転八倒してるわけだ。そこで編み出したのが量的緩和。この前の日銀バズーカ(異次元緩和)も基本的には同じ。
基本的に為替が円高になったら金融緩和する(そうしないと不景気になる)という構図は同じ。
ちなみに1991年頃再び金利を上げているのは、加熱しすぎたバブルを抑えようとしてた頃ですな。当時は地価高騰が大騒ぎされていたけれど、今から思うとそんなのどうでも良かったんじゃ?と見えてしまう。なにをあんなに騒いでいたのか。
確かに土地の値段は上がったけど、庶民にはもとから縁がない一等地の価格だし。地上げで古い町並みが破壊されたのは若干問題ではあったが(神田の古本屋街も更地になってしまったところがあったような)、その後に続く長い景気低迷の苦しさを考えれば、そんなことを心配するぐらい余裕があったってことで(苦笑)。
執筆: この記事はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年05月22日時点のものです。
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