今回は中原淳さんのブログ『NAKAHARA-LAB.NET』からご寄稿いただきました。
■仕事を振ると「なぜですか?」と問われる : 「意味や理由」を求める若い世代!? にイラつく理由
企業の人事関係の方とお会いしていると、頻繁に聞かれるボヤキ(最近、ボヤキばかりですね・・・すみません)がこれです。
「最近の新人は、口を開けば、"なんでですか?"。少し仕事を振ると、"これは、なぜやるんですか?"。"なんで?""なんで?""なんで?"の応酬で困ってしまいます。おまえは、"理由"や"意味"なんか知らなくていい、って思うのですが」
これは、いわゆる「最近の若者・・・はダメになった論」ですので、あまり真に受けて考えるのもどうかと思うのですが、なかなか「興味深い論点」だと思われるので、少しだけ、ゆるゆる、ダラダラと考えてみましょう。
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最初に断っておきますが、僕も、このボヤキには共感できるところはあります。僕も、ミドルキャリアに片足を突っ込んでいて、そういう話を聞いて、「そうだよな、」胸がすっとなる気持ちがわかる。
けれども、敢えて、この「なんで?」に横たわる理由を考えてみると、ふだんは考えないことが見えてくる。それで、もう片方の気持ちも、共感できる。そういうアンビバレント(両義的)な思いを抱えつつ、今日は書きます。
今日の問いは、なぜ、このような局面で、新人に"なんで?"と意味を問われて、上の人はイラつくのか、ということです。この問いには唯一絶対の「答え」はありません。皆さんもどうぞ、なぜかをお考え下さい。
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まず容易に思いつくのは、「自分が新人のときには、"なんで?"と問いをもつことはなかった / 許されなかったのに・・・今の若い奴は問いをもつなど、許されん」という「職場の垂直的権力関係に関するノスタルジーです」。
この思いには、「おれが体験したことを、次の世代も体験すべし」という「体育会的世代継承論」が裏打ちされています(笑)。
おそらく、今は一人前になってしまった方も、「なんで?」と問いたくなる局面はあったのかもしれない。しかし、当時、職場の中の人間関係には、垂直的な権力関係が、今よりも強固であった。
かつて、あるビジネスパーソンが口にしたひと言が忘れられません。
「課長が黒といえば黒。ただし、部長が白といえば白」
そして、権力関係が強固であればあるほど、様々な自分の思いを口にだすことははばかられる。否、反面、権力関係が強固であるということは、「内部」にいれば「守ってくれる」。だから、敢えて、自分から「外部」に出ることはしない。
また、同時に、その当時は「おれの背中を見て育て論」が職場では主流だった。誰も教えてくれなかった。いろいろなことの意味や理由を、口にだしたりしなかった。なおさら、自然と、「なんで?」と問うことはなかった。
しかし、今は、変わってしまった。
ハラスメントという各種のラヴェルが生まれ、人々の監視が強まっている。職場の権力関係も相当に変化している。
信頼関係や尊敬(リスペクト)の念がたとえなかったとしても職場に色濃く残る権力関係やポジションだけで「職場を統治」できる時代は、もうすでに色褪せているのに、それをまだ上が引きずっている場合に、下の方には、あの言葉が、つい脳裏に思い浮かぶ。
「なんで・・・?」
まして「権力の内部で守られる意識」は、今はもうもてない。脳裏に浮かんだ言葉は、つい口にでてしまう。
「なんでですか?」
そして、その言葉を上の人が聞いたとたん、昔を懐かしむ「ノスタルジー」と自分がどっぷりとかつて浸っていた「体育会系的世代継承論」があたまをもたげる。そして、イラッとくる。
第一の理由はこんなところです。
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第二に、「基礎基本の認知」に関する問題。
仕事であっても、何であっても、そうなのですが、一般に「基礎基本が何たるか / 何であったかを、本当の意味で知ること / わかることができる」のは、「基礎基本がわかったあと」ではないか、と思います。
つまり、自分が応用問題をいくつかとき、あっ、振り返ってみれば、「あれが基礎基本だったのね」ということで、「基礎基本の本質的な意味とありがたさ」がわかる。
そのときまでは、たとえ「基礎基本が何か」は注入されていたとしても、なかなかそれが何たるかまではわかっていない。
だから、先ほどの議論に重ね合わせますと、上の世代の人が、「基礎基本」も身につけていない新人に「基礎基本の意味」を問われても、
それは応用問題ができるようになったらわかるよ
と言いたくなる。というか、基礎基本の意味は、あとあと、わかってくるものであり、「今はとにかく、いいから、やれ」と言いたくなる。
しかし、下の世代からすれば、こう見えている。
この基礎基本を身につけたあと、どういう応用問題が解けるようになるんですか?
「なんで?」にまつわる、世代間のギャップの二つめの説明は、こんなところでしょうか。ただし、この説明は、今に特有のものではありませんね。
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第三に、「職場の中の組織市民行動の意義を新人に伝え切れていない」ということです。
組織市民行動とは、ここでは「誰の仕事でもないけれど、職場のメンバーなら、いわば市民として自発的にひろってしまうようなコボレ玉的仕事」と考えましょう(ごめんなさい、正確な定義は専門書がたくさんあるので、そちらでどうぞ)。
組織というのは、明確に記述し、組織メンバーに役割付与される仕事だけから構成されているわけではありません。そこには、かならずスキマがあり、よって、「誰の仕事でもない仕事=コボレ玉」が必ず発生します。そして、この「誰の仕事でもない仕事」を進んで担う人が「気のつくヤツ」「モティベーションの高いやつ」ということになり、新人としてはかわいがられます。
しかし、問題はここからです。高い社会的規範や社会関係資本が保持されている職場においては、この組織市民行動をかってにメンバーが担います。ところが、職場の規範が崩壊し、これが失われていくと、そうした行動をとることが、「自然」ではなくなる。
仕事に、「明確な役割意識」が生まれ、「ここからはわたしの仕事」「あそこからはあなたの仕事」という風に、「仕事役割のバルカナイゼーション」、いわゆる「線引き」が発生します。
そうした職場において、社会化された新人においては、新たに仕事を振られた際、おそらく「なんで?」という声を発する可能性が高くなるのでしょうか。なんで、これを僕がやるんですか? これは僕の仕事ではないんじゃないですか? どうしたって、様々な疑問がわいてきて、つい、それを口にしてしまう。
ただし、おそらくですが、そういう現象が新人に生まれた場合には、既存メンバーについても組織市民行動が失われている事態が想定されます。
「なんで?」という問いを発した場合、それが新人ならばスポットライトを浴びますが、既存メンバーの場合には、ハイライトされることはありません。そうした発言が生まれた場合、職場の組織市民行動の多寡を考えてみることも、ひとつかもしれません。
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第4の理由。
これが最も大きい要因だろな、と思うのですが、今の若い世代は、そもそも「キャリア不安」「雇用不安」が前提になっている時代を息抜き、会社に入ってきていることを忘れてはいけません。
つまり、彼らは最初から「見通しのなさ」の中を疾走して、今に至っている。また、組織と自分との「心理的契約」は、かつてのものとは変わっている。彼らは、「組織は必ずしも、自分を完全には守ってはくれないこと」を前提に、組織に入ってきている。
もちろん、「一生、この会社で働きたいですか?」と質問紙やサーベイで問われれば、つい「はい」と答えてしまう。しかし、それは「願望」であることを同時に知っている。「はい」をつけたとしても、「組織は必ずしも、自分を完全には守ってはくれないこと」は、若い頃から、身にしみて感じている。
そういう時代を生き抜けば、当然、
「今、自分がやっている仕事が、何につながっているのか? それでどのような見通しが生まれるのか?」
「これはハシゴをはずされた仕事ではないのか?」
「おれだけがババひいてんじゃないのか?」
ということに関心が向かないわけがありません。そもそも、不安であり、そもそも見通しがないのであり、そもそも心理的契約が揺らいでいるのだから、そうした思いをもつことが「自然」です。
このことは裏返していえば、こうも言えます。
過去、どんな仕事を振られても、「なんで?」と問うことがなかった時代というものが、もし仮にあるとするならば、「そんなことを問わなくても、答えが自明だったから」です。
「今、振られている仕事を、きちんとこなしていけば、おまえの数メートル先の、あの先輩みたいに、いつかはなれるよ」というかたちで、長期的にめざすべき目標も、ロールモデルも、明確で見通しがもてたし、それが組織と個人とのあいだで了解されていた(心理的契約)。
だから、人は「意味」を問うことなんかしなかった。いや、その意味がなかった。なぜなら、答えは、自分のすぐ「隣」にあったからです。
だからこそ、そこには世代間ギャップが存在する。
上の世代からすれば、
「なんで、ここで、なんで?と聞かれるかわからない」
下の世代からすれば、
「なんで、こんだけ不安な時代に、意味もわからず、仕事に打ち込めるかわからない」
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僕たちは今「見通しの持ちにくい時代」を生きています。そこは、頻繁に「ルールが変わる世界」であり、長期的な目標を保持することが難しい社会です。そんな中で、仕事をしていれば、 「なんでですか?」と、つい問いたくなる。その気持ちは、いわゆるロストジェネ世代の端っこにいる小生は、共感できます。
このことは、上の世代の方だって、感じるところはあるのではないでしょうか。
もし仮に、自分が40代になって、突然、突飛な部署へ異動したり、前例のない仕事をふられる。そのとき、組織からの「明確なメッセージング」はない。なぜこのような異動なのか、なぜ仕事なのか、本人も周囲も、意味も理由もわからない。
そんなとき、長期にわたる自分の見通しがもてているのなら、わかりました、とだけ伝え仕事に迎えるのかもしれない。しかし、自らにキャリア不安、雇用不安などが強まっているならば、きっと、そうはならないはずです。
「なんでですか?」
と意味を問いたくなりませんか? つまり、「なんで?」と問うことは、「合理性」のある行為であるということです。そして、そういう行為にかられるのは、若い世代だけではないはずです。自分が置かれている社会的立場によって、自分が置かれている心理状態によって、問いが生まれるか、生まれないかは容易に変わってきます。
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以上、4つだけ、「なんで?にイラつく理由」を考えてみました。
理由はこれだけではないと思いますし、僕の推測があたっているかどうかは、責任は持ちません(笑)。もちろん、若手といっても、いろんな若手もいますので、「トンデモな若手」もいるかもしれません。「トンデモななんで?」もあるんでしょう。
たとえば考えられる別の理由として - 僕個人は、あまり了解していない理由ですが
1) 若い人の個人的資質が軟弱になってきた、堪え性がなくなったとか、
2) 自分の問いを大切にしすぎる教育のせいだ、
とかいう理由もありえるのかもしれません。
(前者の理由は、そう言いたくなる理由はわかりますが、その世代を家庭で育てたのは、どの世代の方々でしょうか。後者の理由は論理矛盾です。自らの問題関心や興味関心を大切にし問題解決する教育のあり方を、一方で、さんざん称揚しておいて、つまりは「問い」をもつことを若い世代に求めておいて、片方では、問いをもつことを禁じるのは矛盾にほかなりません。)
いずれにしても、
「なんで?」
という若い世代のひと言の背景には、今の組織・職場をとりまく、様々な問題が隠されているのかもしれません。いずれも、皆さんで、様々な理由を考えてみると面白いのではないか、と思います。
そして人生は続く
執筆: この記事は中原淳さんのブログ『NAKAHARA-LAB.NET』からご寄稿いただきました。
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