今回は『アゴラ 言論プラットフォーム』の楠木秀憲さんの記事からご寄稿いただきました。
■SNSにあなたの記憶を記録するのはやめなさい(京都大学経済学部 楠木 秀憲)
僕はYouTubeで気に入った動画があれば「お気に入り」に入れて「Music」や「Superplay」といったラベルをつけて管理しているのですが、お気に入りにいれた動画のうち結構な数がYouTube上から削除されていて閲覧不可になっていることに最近気が付きました。何が消えたかがわかればまだ気もすむんだけど、それもわからないから何か大切なものを失ったような気がしてとても損をした気分になります。
「こんなことなら気に入った動画は全部ローカルにダウンロードして管理すれば良かったー」なんて思ったりもしたけれど、面白い動画を見つけるたびにダウンロードしていたのではいちいち手間がかかるし、パソコンの容量も食うし、他のパソコンからは閲覧できないから不便きわまりない。そう考えたら結局YouTubeの「お気に入り」機能を使うしかないんだけど、やっぱり少しずつ貯めたお気に入り動画が削除されるリスクがあるというのはストレスフルだなーと、悶々とするわけです。
同じようなジレンマに陥った経験が他にもあります。動画ではなく、気に入ったネット上の記事(ブログやニュース、2chまとめ等)をどう管理するかについても色々と試行錯誤しました。ネット上の記事はYouTubeほど削除される危険性はありませんが、それでもニュースサイトであれば古くなった記事は削除されたり、あるいは有料会員登録しないと見れなくなったりします。
そこで一時期はEvernoteで気に入った記事をいちいちクリッピング保存していたのですが、これだとやっぱりいちいち手間がかかるし、Evernoteの容量も食うし、再閲覧する時に読み込み時間がかかって面倒なのです。結局記事をEvernoteで保存しても見直すのが面倒だから意味が無いということに気付き、閲覧性の高い保存方法を探すことにしました。
記事は基本的に文字情報だから要点だけを抜き出して別のメモにまとめようともしたけれども、そうすると文章全体を通じて感じる雰囲気が無くなってただの一般論になってしまったり、あるいは写真やグラフが保存できないという点ですぐに諦めました。なので今は、王道のはてなブックマークを使ってネット上の記事を管理しています。
結局これらの情報管理は保存性と利便性のトレードオフで、絶対に保存すべき情報は多少面倒でもローカルに保存してバックアップを取るべきだし、たまに見返したりしたいけど絶対に無くなってはいけないほど重要でない情報は削除されてしまうリスクを許容してでも利便性や閲覧性を重視した管理の仕方をするべきという当たり前の結論に至ります。
ただ、ここで僕が言いたいのは、タイトルにも書いたように「記録すること」に重点を置きすぎないほうが良いということです。先の例で言うなら「動画や記事を完璧に保存すること」を重視するあまりそれにコストをかけ過ぎたり、そもそもの目的であるはずの閲覧性(記録は見返すためにするもののはず)を軽視してしまうのは本末転倒なのです。
インターネットが発達しあらゆる情報にアクセスしやすくなった現代では面白いものが世の中に溢れかえっていて、それこそYouTubeを使えば面白い動画を見てるだけで一日潰せるし、はてなブックマークを使えば死ぬほど笑える2chまとめや示唆に富んだ個人ブログも読み切れないほど見つかります。ならば多少の抜け・漏れは許容して、「お気に入り」に入れた動画や記事が消えても「しょうがない」と諦める方がストレス無く人生を楽しめるのではないでしょうか。
人間はそもそも忘却する生き物ですし、人間の脳みそは穴のあいたバケツのようなもので、いくら情報という水を上から注いでもあちこちから漏れていきます。ITというツールはその穴を効率的に防ぐ手伝いはしてくれますがやっぱり完全に塞ぐことはできないし、できないほうが良いとも思います。情報は多ければ多いほうが良いというのはウソで、人間には処理できる情報量の限界があり、人は重要でない事柄を忘れることで新しいことを覚えられるからです。そもそもお気に入りに入れたのにタイトルを覚えていない動画や内容を思い出せない記事なんて、覚える価値の無い情報で忘れてもいいんです。
過去を記録しようとするあまりストレスが増えている例は他にもあります。
最近はSNSの発達で自分の情報をオンラインにアップロードする機会も増えていて、TwitterやFaebookを見返せば昔自分が経験したこと、考えたこと、友達と交流した跡を容易に振り返ることができます。そうすると、これは僕だけかもしれませんが、普段の生活や友人との思い出をできるだけSNS上にアップロードして自分の経験を詳細に記録したいという欲求に駆られます。
自分がアップロードした写真、そこにタグ付けされた友達、コメントをくれた友人、イイネしてくれた人。そうしたひとつひとつの情報がかけがえのない思い出になり、見返すと当時の雰囲気が思い返されて感慨深く、そういう思い出を作るためにもっとSNSを積極的に使おうという気になるのです。Faebookのタイムラインのコンセプトは「自分史」だそうですが、まさにSNSが誰かと交流するためというよりも、自分の歴史を記録するために使われ始めているように感じます。
では何故、人は個人的な日記ではなく他の人も見ているSNSを使って日々の記録を行うのでしょうか。
例えばあなたが作った今晩のおかず、美味しく出来上がって綺麗な写真も撮れたんだけどFacebookに投稿したら「またどうでもいいことを投稿して……」と煙たがられるかもしれません。
でもただ写真を撮るだけではなんとなく満足できなくて、やっぱり誰かにイイネを押して欲しいし、コメントが貰えたらうれしいはず。結局写真を撮るだけでは「思い出」としては不十分で、そこについたコメントやイイネがその写真の「思い出」としての価値を増幅させてくれるからこそ、人はSNSを記録の場所として活用し始めたのではないでしょうか。
しかしSNSというひとつの場所に「交流」という目的と「記録」という目的が混在すると、SNSとの付き合い方が難しくなります。何故なら「記録」という自分にしか価値のない、あるいは他人からは価値を感じにくい自己完結的な行動は、他者との交流を前提としたSNS上では「自己満足的」で「どうでもいいもの」と悪印象を持たれる可能性が高いからです。
これは散々語り尽くされたことですが誰もあなたの今晩のおかずには興味がないし、そうした投稿をすると友人から煙たがれる可能性はあるし、ほとんどの人が他人の目を意識してSNSにストレスを感じているという研究結果も多数あります。もちろんそういった事柄を踏まえた上でそれでもSNSを記録の場所として活用するのならそれで構いませんが、もしあなたがなんとなくでも日常を記録しないといけないという強迫観念にかられて写真をとったりSNSを活用していて、その行動にストレスを感じているなら、一旦過去を記録するためにSNSを使うことをやめてみるのもいいかもしれません。
SNSから一人くらい消えても誰も気付かないし、毎日何かを溜め込むのではなく色んなことを洗い流しながら生きていくのも、身軽で良い生き方だと僕は思います。
(初出『アゴラ』2013年03月31日)
楠木 秀憲
京都大学経済学部
執筆: この記事は『アゴラ 言論プラットフォーム』の楠木秀憲さんの記事からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月05日時点のものです。
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