今回はJane Suさんのブログ『ジェーン・スーは日本人です。』からご寄稿いただきました。
■貴様いつまで女子でいるつもりだ問題
2010年に宝島社が発刊した『GLOW』という女性誌は「40代女子、万歳!」というセンセーショナルなコピーでデビューしました。
それに眉をひそめる人、よくぞ言ってくれたとスタンディングオベーションをする人、さまざまな反応がありましたが、当時私はこれを見て板垣退助を思い出しました。
板垣死すとも自由は死せず! 加齢すれども女子魂は死せず!
これがのちの女子民権運動である。
嘘です。
とにかく、属性を越えた気分や雰囲気を誌面に具現化し、読者の気持ちを承認するのが、宝島社は本当に得意な出版社だなと感服しました。
何歳までが「女子」なのか? と問われれば、答えは多分、「女は生涯いち女子」であります。
かわいらしいものを見てテンションがあがったり、同性だけで集まってとりとめもない話を延々続けたり、明確な根拠なく何かを嫌悪したり、下手したらきれいな夕陽を見て涙を出したり、女子行動は合理性と無縁の地に存在している。
「なんとなく」が立派な理由になる。
なんとなく、にもホントは理由があるんだけど、それを説明するのは無粋なのが女子。
これは馬鹿にしているのではなくて、性差のひとつだと思います。
ちょっと板垣云々のところをはしょってしまったので話を戻しつつざっくり説明しましょう。
自称女子を除いた一般社会において、「女子」とはみずみずしい肉体とその未熟なメンタリティの二つをセットにした言葉として使用されています。
しかし、肉体は変化し非処女になり社会的立場が如何に変わろうとも、女子スピリットは死ななかった。
あんな辻褄の合わない気持ちのあれやこれやは人間が成熟するための成長痛だと思っていたのに、いい年になっても自分のなかに女子がいることに私は愕然としました。
そして就労率とか未婚率とかなんやらかんやら社会が変化していくなかで、文字通り女子だった私たちの年齢やら体脂肪率やらも変わっていき、古くは「少女のようなあどけなさ」などと他者から形容されていた大人の女子性は当事者が率先して自称していくようになりました。
その象徴が「女子会」ではないでしょうか。
この辺から周りが黙っちゃいなかった。
そりゃそうだ。「理論<気分」な女子メンタリティは社会的弱者に宿るからこそ輝く場合もあるのに、社会経験とコズルイ知恵と小金を備えた女たちが女子!私たちはずっと女子!と言いだしたらそりゃ暴君だ。
そこに違和感(ずうずうしさ)を感じるのはごく自然です。
さて30過ぎた女たちの自称女子が感じさせるずうずうしさや主張、そして周囲の人間がそれを不意に受け取ったときのドキっとする感じや不快さ、これってなにに例えられるだろうと暫く考えていたのですが、近いのは刺青だなと思いました。
私たちは「女子」という墨を体に入れていると想定します。
見せる相手や場所を限定すれば、その刺青は自分を表す大事なファクターになりますが、TPOをわきまえずにひけらかすと、周囲に不協和音を生む。
「アピールしてるわけじゃなくて自然に~これファッションタトゥーだしぃ」という方、いらっしゃいますけれども、貴様の自然と世間の自然にズレがあることもございますのよ。
大人の女の女子アピールは刺青アピールだと思ってからFacebookやブログの女子会写真を見るのが楽しくて仕方ありません。
美味しそうなケーキと一緒にアヒル口の大人カワイイ女子(30歳以上)が写ってる写真を見ると、物騒な輩が深夜に集まって金ピカジャラジャラのネックレスをぶら下げ腕に入ったタトゥーを見せびらかしてメンチ切ってる写真と同じに見える。
Facebookが一気にティーンズロードになる。
若さなんてお菓子の上に降りかけられた粉砂糖。
30過ぎたら風に吹き飛ばされて下地は丸見えです。
粉砂糖が飛んだ下地に刻まれた「女子」の刺青は当事者が意識的に隠さない限り相手を選ばず主張し続けます。
話戻しまして、戻したうえで少しずらしまして、では女子メンタリティを持ち続けること自体が悪か?と言えば、決してそうではないと思います。
私は自分の中の女子の刺青が30過ぎても消えないのを知った時、茫然としつつそれを見て見ないフリをしました。
蒙古斑だと思っていたら刺青だったんだからもうそれは大きなショックです。
そして私には性差を越えた客観性がある(ないない)ことを信じ、まことしやかな正論で身を包み、時に女を敵にまわし、他人様からは絶対にその刺青が見えないよう長袖を着こんで(比喩です)「女子である前に人間として!!!」と辻説法していたような記憶があります。
しかし、目を背けてもそこに女子の刺青はあり続けるのであった。
だからとても苦しかった。
そんな時、大事な女友達から「ごく親しい人にはその刺青見せてもいいんじゃない?」と金言を頂きまして、やや抵抗を感じながらもだいたい自分のことをわかってくれている大切な人(家族や仲間やパートナー)の前では半袖になって(比喩だよ)、女子の刺青を少しずつ出していきました。
そしたらなんでもなかった。
構えていたのは私だけで、私に墨が入っていることは、大事な人たちにとっくにバレていましたウヘヘ。
そして親しい人には女子の刺青を隠さずにいることは私の精神衛生上とても良いことでした。
つまり「いつまで経っても自分のこと女子とか言ってるの馬鹿みたい!」と威勢よく人間宣言していた自分、女子はいつまで経っても女子ですぅ~という毒電波を垂れ流していた敵(女)、そのどちらにも女子の刺青が入っている。
だったら、それとどう付き合うかに大人の技量が出るのではないかと。
女子の刺青は消えないし愛おしいんだけど、それはやっぱり刺青だから、私は出すところをわきまえたい。
フィルタリングしてお届したい。
なぜなら私はたくさんの人(自分自身を含む)とうまくやっていきたいから。
しかし、腹をくくって刺青を隠さず我が道をいくのもその人の自由だとも思います。
どちらにせよ、板垣死すともタトゥーは消えず!
執筆: この記事はJane Suさんのブログ『ジェーン・スーは日本人です。』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月05日時点のものです。
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