見覚えある怪しい木!キツネと間違われるリアル肝試し
新年が明け、春も過ぎた初夏の頃。その日の夕方、源氏は花散里に会いに出かけました(紫の上は了承済み)。上がりかけの雨の中、源氏が何気なく牛車の外を眺めていると、背の高い松の木に藤が巻き付き、甘い香りがしてきます。
藤は、つる性なので他の植物よりも成長が早いのが特徴。筆者の近所でも、ほったらかしになった藤に乗っ取られている木や建物などを見かけます。新緑の季節はつるの伸びもすごいので、日々進化するのがかなりモンスターっぽいです。
忘れがたい、インパクト大の怪しい木。源氏は「見覚えがあるなあ……惟光、ここはもしや、常陸宮邸ではないか?」「確かに、そう言われてみますと…」。お忍び歩きにはほぼ同伴している惟光も頷きます。「あの姫君はまだこちらにいるのだろうか?惟光、人がいるかどうか確認してきてくれ」。
惟光は敷地内を捜索しますが、あるのは草深い庭、森と化した木々、壊れた建物。(俺もこのあたりを通るけど、人がいる気配なんか一度もしたことないぞ…。やっぱりもう廃屋になんだろう)。諦めて引き返そうとしたその時、月明かりに照らされた人影が……!だ、誰かいる…!!
動いていたのは年寄り女房達でした。こちらはこちらで、何やら、若い男がこっちへ来て、腰の低い感じで話しかけてくる!「男なんかいるわけがない、さてはキツネの仕業か」と不審がります。お互いがお互いを化物かと錯覚する、リアル肝試し状態。初夏ですが。
惟光は怪しまれないように近くまで寄っていって「ほら、私は惟光ですよ。まだ姫君はおいでにこちらになりますか。私の主人はお訪ねするつもりで、外に車を止めております。大丈夫ですから、どうかご安心ください」。
最初は『惟光』と言われても「???」だった女房たちも、これでやっと誰だか判明!救世主が来たとばかりに、彼を捕まえて今までの苦労話を始めようとします。おばあちゃんの話は長くなりそうなので、惟光はなんとかそれを切り抜け、源氏に報告しました。
車では源氏が待ちくたびれていました。「それは気の毒なことをした。こんな廃墟同然の邸に、どんな気持ちで長年暮らしていたのだろう…」。源氏は自分の冷たさを反省し、せっかくのチャンスなので会ってみようと思います。惟光に先導され、雨露と草の露に濡れながら、源氏はなんとか彼女の下へたどり着きました。
ついに感動の再会!なのに盛り上がらない理由
末摘花は雨漏りのする邸で、うたた寝に父宮の夢を見て目が覚め、懐かしくも悲しい気持ちになったところでした。女房たちが大騒ぎで源氏来訪を伝えると「願いが叶ったんだわ、ついに来てくださったんだわ」。お父さんが出てきたのは予兆かな?
嬉しいけど急すぎてまだ現実とは思えない。呆然とする末摘花に、女房たちは慌てて叔母さんがくれた新品の衣を着せ、煤けた几帳の向こうにスタンバイさせます。この衣、「イヤな人が置いていったから」と今まで袖も通さなかったのですが、あってよかったね!新品!!
源氏は「長くご無沙汰でしたが、私の気持ちはずっと変わらず、あなたを思い続けていましたよ。でもあなたがなにも言ってくれないのが寂しくて、焦らすつもりで冷たくしていたのです…」。嘘ばっかり!
相変わらず口の重い末摘花との会話は困難を極めますが、今日は「こうして来てくださったんだから」と、勇気を出して一言二言返事します。侍従がいなくなったのは残念ですが、自力で頑張れたのは却ってよかったかも?
源氏はさらに「長い年月、こんな草深いお邸で、私のことを一途に待っていてくれたのですね。本当に私は幸せものだ。そして、こうして草をかき分けて来た私の愛もわかってくれますよね。ご無沙汰していたのは世間的な事情があってのこと。今後はあなたに辛い思いをさせないと約束します」。
命も危ないような状況が長く続く中で、いつまでも誰かをただひたすら待ち続けるなんて、源氏じゃなくても到底できないです。源氏も、末摘花の純粋で一途な気持ちに心打たれたことは本当でしょう。『悪女(醜女)の深情け』なんていいますが、昔からあるものなんですね。
ともあれ、王子(皇子)様とお姫様は無事に再会!このあとお互いの愛を確かめ合う…はずですが、源氏は(ここに泊まるのはどうも……)。理由は「雨漏りするボロボロの邸」「会話の進まない相手」「美人じゃない」「最初から好きじゃない」「もともと他の相手(花散里)に会う予定だった」。夕顔と物の怪が出る廃屋に行った時の盛り上がりとは大違いです。
特に好きでもない上に、会話も弾まない人と一晩ボロ屋でカンヅメになるのはたしかに嫌ですが、それでも末摘花が耐え忍んだ年月には遠くおよばないはず。奇跡的にもずっと待ってたんだから、一晩サバイバル体験してもバチは当たらないのでは。せめて雨漏りくらい耐えたら?
源氏は逃げ口上で「またゆっくり苦労話をお聞きしましょう、私も須磨で大変だったんですよ」というと、「私はずっと待っていましたが、藤の花のついでに寄ってくださっただけなんですね」。おっしゃる通り、あの怪しい木がなければ寄らなかったかもしれない。
それでも、遠慮がちに言う様子や、衣から漂ってくる薫香はさすがに品がある感じがし、源氏は「以前に比べるとすこし良くなった気がする。やはり高貴な血筋なんだな」。久々の再会ということもあり、ちょっとだけ末摘花株が上がりました。何より叔母さんがくれた衣、ここで意外な大健闘ぶり。
「うっ…頭が」謎の頭痛に襲われる?ハッピーエンドの後日談
源氏はその後、予定通り花散里邸に向かい、その後も滅多に常陸宮邸を訪問することはありませんでした。その代わりマメに手紙を送り、人をやって邸内の手入れをさせ、邸はすっかりきれいになりました。
衣食住も行き届き、姫君以下にも快適な生活が復活します。年老いた女房たちは感謝のあまり、源氏の住む二条院の方を拝むほど。噂を聞きつけて、見限って去った者や、待遇の良いところで働きたい人間が我先にと詰めかけます。ゲンキンすぎ。
世の中にはあの叔母さんのように、こき使うだけこき使って、払うものも払ってくれないような、ケチでブラックな雇い主がいっぱい。その点、世間知らずで不器用だけど、人がよく真面目な末摘花をトップとする常陸宮邸は、(貧乏さえなければ)居心地の良い職場でもあったらしい。ともあれ、寂しかった邸は賑やかになりました。
末摘花はこのあと、2年ほどして、源氏が増築した二条東院に引き取られます。夫婦生活はほとんどなかったものの、自宅の二条院とは目と鼻の先なので、源氏もちょくちょく顔を出して様子を見、粗略にはしませんでした。あれほど思い出大事で「売らぬ」「仕えぬ」「引っ越さぬ」を貫き通した末摘花も、源氏が言えば引っ越すらしい。ちょっと意外です。
一方、九州に行った叔母さんと侍従は、上京してきて事の顛末を知りました。叔母さんは地団駄を踏んで悔しがり、侍従は心から喜ぶ一方で(どうしてあの時、姫様についてもう少し待てなかったのだろう)と、自分の浅慮を恥じたとのこと。おとぎ話のハッピーエンドとは全く違いますが、卑屈な叔母さんが絶対に手に入れられないような待遇を手に入れたことは確かです。
作者は「もっとそのあたりの話を詳しく書きたいが、何やら頭が痛くなってきたので、また他の機会に」と結びます。この時代にも「うっ…頭が」は使われていたんだなぁ、と感心します。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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