犬の行動科学がめざましく発展する今日、「擬人化」の定義が変わりつつあります。一昔前は、犬と人とはまるで違う動物だから、犬を擬人化してはならないとされていました。もちろん、今でも擬人化は推奨さていません。しかし、昔に語られていた擬人化と今の擬人化では、その定義が変わりつつあるように思えます。
犬のしつけの世界で、この擬人化をどのように定義するのでしょうか。心理学における擬人化とは「人の感情を犬の感情に当てはめて考えること」と言われています。
例えば、トレーナーが犬を抱っこするのをやめましょうとアドバイスをしたとします。ここで飼い主が「人間の子供は抱っこすることで落ち着く、だから犬も同じ」と考えるとすれば、これは擬人化となります。真実は、多くの犬は高いところに持ち上げられると怖がり、抱かれることで逃げ場を失い困惑します。こうした状況で、無力感から大人しくしているに過ぎません。その証拠は、犬の表情やボディーランゲージに現れます。カナダの心理学者の調査では、抱かれている犬の82%は、不安や不快感を示すシグナルが出ているという結果もあります[1]。
飼い主が思う、落ち着くと無力感では、精神的には大きな違いがあります。このようなケースが擬人化の問題点です。飼い主は、愛犬が落ち着いてリラックスしたと思っていても、実際は怖がり、そして諦めている状態です。リッラクスと無力感では雲泥の差です。リラックスには不快なストレスはありませんが、無力感では不快なストレスとなるでしょう。こうした擬人化が犬の感情の読み間違えを生み、飼い主との意思疎通を阻害します。
擬人化の何が変わってきているのか。これは多くの研究の影響を受けます。犬の認知が明らかになりつつある昨今では、多くの場面で、犬は人と同じような、感情の動き(情動)があると言われてきています。また、記憶の能力も、以前の研究で示されていたよりも、能力が高いことも分かってきています[2]。こうした犬の研究が進むにつれて、犬のもつ能力が人に近いものだということが解ってくると、擬人化の定義が曖昧になってきます。
では、なぜ先述のケースでは、人間の感情と犬の感情が違うのでしょうか。発達心理学では、人間の子供が抱かれると、オキシトシンというホルモンが分泌され、幸福感を感じると言われます。犬も接触することでオキシトシンが分泌されることが解っています。これを犬に当てはめて考えれば、犬も抱かれることで幸福感を感じると考えることができます。しかし、ここが問題です。犬は確かに接触を受けることで幸福感を感じることができますが、高い所は苦手です。さらに動物は一般的に抱かれるという行為を捕獲されたととらえます。動物の世界で捕獲されるというのは、獲物として捕らえられている状態です。または外敵に襲われる状態です。故に逃げようと試みます。幸福感を感じていれば、逃げようとはしないはずですし、不快な表情を見せることはないでしょう。
つまり、絶対的に擬人化がダメなのではなく、犬としての知識を持った上で、人の感情を当てはめることができれば、擬人化は役にたつということです。こうした知識の上の擬人化は、犬の感情を理解する上でわかりやすく、犬の立場で考えることに役立てることができます。
例えば、犬にご飯を与える時に「マテ」を教えるとします。家族のメンバーの一人が、ご飯を床に置いてから「マテ」と指示し、待てたらご飯を与えるというトレーニングをしています。しかし、家族の違うメンバーが、このマテのトレーニングを不要と思い、マテの指示を出さないでご飯を与えるとします。こうなると犬はご飯前の「マテ」が覚えられません。それだけではなく、家族のあるメンバーは「マテ」と指示を出し、違うメンバーは指示を出さずに与えているので、その違いが犬には理解できません。このうようなケースでは、マテの指示をだす人がご飯を床に置いた時も、その途端に犬はご飯を食べ始めます。マテを無視した犬は、飼い主に叱られることになるかもしれません。犬からすれば、どれが正解なのかわかりません。
これを人の世界で例えるとしましょう。あなたは自動車免許を取ろうと教習所に通います。ある教官が「信号が青になったら発車する」と教えます。そして、次の日、別の教官が「信号が青なら止まれ」と教えたとしましょう。あなたは、どれが正しいのかの判断ができなくなるでしょう。そして、実際に信号が青になった時にどうしたら良いか分からず、車を発車できずにいます。そうしていると、教官から叱られます。こんなことをされては、教官を信用できなくなるはずです。
こうした反応は、犬にも同じように現れます。一貫性のなさや、指導に矛盾があり、そのことで叱られる犬は、人を信用しなくなります。犬と人とでは、状況こそ違えど、条件を揃えればほとんど同じ感情や反応を示します。一昔前なら、これも擬人化とされるかもしれません。今では、犬の感情を人の感情に当てはめるという擬人化は、条件が整えば、成立すると考えられるようになってきました。
こうしたことの背景には、犬の認知科学や行動科学が発展し、犬の感情のことがより解るようになったからでしょう。犬はとても感情の豊かな動物です。仲間意識があり、仲間のために怒ることもあります。仲間がいなくなって寂しいと思うこともあります。喜びや、悲しみ、怒り、不安、恐怖も同じように感じます。違いがあるのは、人間の思考そのものでしょう。人間は言葉で物事を思考しますが、犬は言葉を持ちません。よって犬は言葉で考えることはしないでしょう。また、犬は人のように将来の心配はしません。過去を悔やんだりもしません。こうした違いを飼い主が知っていれば、どのように擬人化すれば良いかがわかるようになります。
我々の感情に置き換えて、犬の感情を汲み取ることで、犬の世界を知るのにリアリティーが持てるようになります。そうすれば、愛犬の心が見えてくるのではないでしょうか。
人間の感情が犬にもそのまま通用するというのは、確かに人間の思い込みにすぎません。これは大きなミスを生み、犬との信頼関係を傷つけるでしょう。しかし、犬の知識を活用して、慎重に擬人化することは、犬の感情を理解する上では役立つのではないでしょうか。
Reference,
[1]Stanley Coren Ph.D.(2016),The Data Says “Don’t Hug the Dog!”,Psychology Today,Sussex Publishers, LLC
[2]Yukiyo Cabrini MISAP(2016),Dog remembers more than you think,International Society of Animal Professionals.
TOP画像は著者が撮影したもの。
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(執筆者: 田中 雅織) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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