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 獣医ビヘイビアリストのイアン・ダンバー博士(獣医師・動物行動学博士・ドッグトレーナー)。犬のしつけの本も多く出版され、ドッグトレーニング界では知らない人はいないほどの著名な学者さんです。

 短いプレゼンなので、どうしても抽象度の高い内容になってしまいます。しかし、とても多くの事を語っていると思います。『どうやってフレンドリーに犬を導くか[1]』これが主題になっています。氏は、犬達が如何に不当な扱いを受けているのか、しつけやトレーニングで対立する意見の不一致についてを語っています。また、犬の視点に立ってトレーニングをすることが大切だと訴えています。人間が勝手に決めたルールを犬に押し付けて、それができないと罰を与えられるといった不条理な現状についても語られています。飼い主に飛びつく子犬を「よしよし」と可愛がり報酬を与え、成犬になり犬の体重が増えてくると問題行動になり、しつけの本を読む。すると「前足を掴む、前足を強く握る、後ろ足を踏む、顔にレモン汁を吹きかける、新聞紙を丸めて頭を叩く、犬の胸をひざで蹴り上げる、犬を後ろにひっくり返す」などと酷い仕打ちを受けていると語ります。犬がモチベーションを持って取る行動を報酬として利用すれば、トレーニングはとても簡単だと、説明しています。
 本稿では、氏のTEDから注目したいことを2点ご紹介して、罰とは何なのかについて考えてみたいと思います。

プレマックの原理と罰

1,「プレマックの原理を利用するのです。基本的に、低頻度行動(犬がしたくない行動の後)に、「問題行為」と一般的に呼ばれる高頻度行動、つまり犬が好きな事をやらせます。これは低出現頻度行動を行ったことへのご褒美となります。つまり、こういうことです。「おすわり」ソファに、「おすわり」お腹をなでる、「おすわり」テニスボールをなげる、「おすわり」他の犬に挨拶する。「お尻を嗅ぐ」もちゃんと入っています。「おすわり」お尻を嗅ぐ。」

 これは、私の著書「散歩でマスターする犬のしつけ術」で詳しく実践的に説明しています。私は、執筆した時には当然プレマックの原理を知っていましたが、プレマックの原理を知る前から、この方法を考えて実行していました。今は執筆当時よりも更に進化させています。

2,「人は、罰が何なのかという事に困惑しています。 罰とは苦痛なものだと誤解しています。皆さんもそう思っているでしょうね。罰とは痛みや恐怖を伴う不快なものだとお考えでしょう。必ずしもそうとは限りません。罰には複数の定義があります。その中でも最も広く知られているのは直前の行為が以後発生する可能性が減少することを促進するという定義です。不快さや恐怖、苦痛を伴う必要はありません。私に言わせますと、必要がないなら、するべきではないのです。」

 これは、ダンバー博士の指摘の通り、多くの専門家を含む人たちが誤解をしている点ではないでしょうか。心理学では、罰は有効に働くと定義されています[2]。当然、罰に苦痛や痛み、不安を伴わせる必要はない、というのが前提です。苦痛や恐怖、不安を伴わせるよう罰は、心理学的にも人道的にも体罰であり、否定されるものです。この心理学の基本的な知識のない人は、罰=体罰であり、叱る=罰(体罰)となってしまうのでしょう。

問題行動の修正に利用する

 プレマックの原理で説明される、罰の使い方をみてみます。”『やりたい行動・自発的な行動』を後回しにして『やりたくない行動・義務的な行動』を先にさせることで、“やりたくない行動(義務的な行動)”が終わった後の報酬(正の強化)として“やりたい行動(自発的な行動)”が機能するという事である。[3]”

 この場合の罰は、やりたくない行動・義務的な行動です。このプレゼンで言えば、台所で飼い主を攻撃する犬に、少し離れた場所で「スワレ・マテ」をさせる(やりたくない行動)ことになります。痛みも恐怖も感じないでしょう。しかし、やりたい行動(台所に行きたい)は、実行できなくなるため、心理的には罰となります。こうした方法を行動療法では行動置換(ある行動を違う行動に置き換える)などと呼ぶことがあります。この場合では、台所で食事の支度をする飼い主を襲いたいという衝動を、座って待つに置き換えることを言います。じっと待つことができれば、食べ物を貰えるなどの報酬を与えます。これが成功すれば、犬の認知と行動は以下のように変容します。
 「台所で飼い主が食事の支度をする(条件)」→「食べ物が欲しい(衝動)」→「襲う(行動)」→「食べる(報酬)」というプロセスを以下のように変えます。
 「台所で飼い主が食事の支度をする(条件)」→「食べ物が欲しい(衝動)」→「待つ(行動)」→「食べる(報酬)」となります。
 
 「襲う」という行動が「待つ」に変わりました。これは逆条件付けとも呼ばれます。台所で飼い主が食事の支度をすると襲って食べるという条件を違う形(逆)にするものです。仮に罰を全面的に否定するのなら、こうした方法も取れないことになります。では、別の方法を考えてみましょう。

その他の方法

 もちろん、このような問題行動の修正法として別の方法も考えられます。例えば、食べ物を見て攻撃する犬なら、報酬として価値の低い食べ物(普段食べているフードなど)を犬に見せます。犬がじっとしているウチにクリッカーなどを鳴らしてから与えます。徐々に報酬物を見せる時間を延ばして、クリッカーを鳴らしてから与えます。次に報酬価値を少し上げて、同じように与えます。こうしたプロセスを根気よく積み重ね、待機させ、待機すれば報酬が貰えると教えます。
 これも結果として行動置換です。犬は今すぐに食べ物を襲ってでも奪って食べたいのですから、今すぐに食べられないことが罰になります。いずれの方法でも、こうした行動置換では、欲求がすぐにみたされずに時間が経過すると、その欲求が低減するという性質を使っています。この性質を利用するために、”座って待つ”という罰を使っていると説明できます。

概念や定義はとても大切

 犬のしつけやトレーニング、行動療法では、報酬と罰が学習にどのように影響を与えるのかという学習心理学の観念を基軸に考えます。しかし、報酬とは何か、罰とは何か、この定義が明確でないと様々な混乱を産むものです。今のネットでの言論空間を見渡すと、どうもこれらの定義が混乱しているようにも見えます。

 イアン・ダンバー博士はトレーナーとしても長年の経験があり、昔は氏も体罰的な罰を使用したそうです。後の動物行動学や心理学の発展により、それらが無意味であり、有害であることが判っています。それ以来、氏はKing ofポジティブと呼ばれるほどのポジティブメソッドのトレーナーでもあります。

 報酬については、今回は割愛しましたが、罰の定義を再確認させられるプレゼンテーションではないでしょうか。

Reference
[1]Ian Dunbar,2007,Dog-friendly dog training,TED Ideas worth spreading,TED Conferences, LLC
[2] Pamela J. Reid,1996,Excel-Erated Learning,James and Kenneth Publishers
[3]Keyword Project+Psychology:心理学事典のブログ,2012,プレマックの原理

※画像はTEDホームページより
獣医ビヘイビアリスのイアン・ダンバー博士(獣医師・動物行動学博士・ドッグトレーナー)のTEDでのプレゼンテーション。
Ian Dunbar: Dog-friendly dog trainingは以下のアドレスでご覧いただけます。
http://www.ted.com/talks/ian_dunbar_on_dog_friendly_dog_training?utm_source=tedcomshare&utm_medium=referral&utm_campaign=tedspread

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