「奥野さんは社会における父というべき方であった。」
11月18日、コラムニストの勝谷誠彦さんが公式サイトのブログで政治家、奥野誠亮さんの死去を悼むコメントを発表した。
勝谷さんの祖父が大和高田市の市議会議長を務め、同じ奈良県を地盤とする国会議員の奥野さんにとっては参謀の一人だった縁で、公私にわたる交流があったことを回顧。
とりわけ1988年に奥野さんが衆議院決算委員会で日中戦争について「あの当時日本に侵略の意図は無かった」と発言し朝日新聞から大バッシングを受けた際に、当時勤務していた文藝春秋で反論手記『侵略発言、何が悪い』を企画したエピソードを挙げ、いきさつを克明に記載している。
「お久しぶりです」「おお、社会に出たか。いま、何をしている?」「文藝春秋という会社で働いています」てなやりとりがあった。
「朝日新聞、ひどいですね」「まったくだよ」「朝日に対抗できるのはうちです。ひとつ原稿をお願いできませんか」「おおっ」。(中略)
結果として奥野先生はこれでさまざまな地位を辞したのだが、私のせいでそうなったのか、そうなる途中で記事が出たのか。
ともかく愉快犯として知られていた私は、これをモノしたのだ。
タイトルは私がつけた。ひどい奴である。
というくだりはいかにも勝谷さんらしいユーモラスな描写だが当時のやりとりや鮮やかに想起される貴重な証言と言える。
※画像は『勝谷誠彦公式サイト』から引用しました。
http://katsuyamasahiko.jp/
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