歩行が困難な人でも自力で“漕げる”、世界で唯一の足こぎ車いす『COGY(コギー)』
もう一度、自分の足で歩きたい—──そんな夢を持つ人々の希望の光となっている『COGY』は、「下半身がまったく動かせない人たちをもう一度立って歩かせたい」と、東北大学の医学部と工学部の連携チームが20年という長い歳月をかけて研究開発した車いす『Profhand(プロファンド)』の進化系です。
この『COGY』の製造・販売を行う、株式会社TESS代表取締役の鈴木堅之氏(写真)に、お話を伺いました。
『Profhand』に大きな可能性を見出した鈴木氏でしたが、鈴木氏の前職は、なんと小学校教諭。経営者としては、まったくの素人である鈴木氏が、どうやって『COGY』の製造・販売までこぎつけたのでしょうか。
多くの協力者の心を動かした鈴木氏の人間力と『COGY』の魅力に迫ります。
COGY | あきらめない人の車いす(ウェブサイト用)
【動画】https://youtu.be/klfJredgH1U(YoTube)
小学校教諭からベンチャー社長へ転身
『COGY』の前身である『Profhand』ができたのは、どれくらい前ですか?
研究が始まったのは、まだ東北大学にも医工連携ができていない20年くらい前のことです。医学部からはリハビリのお医者さんが、工学部からはロボットの先生方が一緒になって研究チームを作りました。今はリハビリの分野でロボットの活用が進んでいますが、当時は誰もやっていないことでした。
鈴木さんが『Profhand』と出会ったきっかけは?
テレビのニュースで見て、「なんでこんなにすごいものが世の中に出てこないんだろう?」と思ったのが最初ですね。当時、私はまだ小学校の教員でしたので、山形から東北大学まで見に行きました。
そこでご自身も『Profhand』の普及に携わりたいと思ったのですか?
まぁそうですね。ただ、私が通っていた頃から、大学ベンチャーとして事業化しようとやってはいたのですが、うまくいかなくて途中で解散しちゃったんです。
そこで「じゃあ私にやらせてほしい!」と大学にお願いをしたところ、「やるならやってごらん」とあっさり認めてもらえたんですよ。すでに26億円をつぎ込んで、一生懸命普及させようとしてもダメだったので、誰もうまくいくと思っていなかったんでしょうね(笑)。
そこでTESSを設立されたんですね。
はい。2008年に起業しました。
勝算はあったのですか?
何がダメかというのは、よくわかっていました。
まず、『Profhand』は大事な特許が絡んでいることや、いずれ上場した時に利益が分散しないよう、自分たちで作って自分たちで売ると、かたくなに閉じこもっていたんですよね。これでは誰も共感してくれません。
車いすは手で動かすものだという常識を覆さないといけませんから、“足が動かないとあきらめている人でも、足で動かせる乗り物がある”ということをまずは多くの人に知ってもらう必要があります。
次に、デザイン性です。いくら良いものでも、戦車のような見た目では、「怖い」と避けられてしまいます。多くの人に乗ってもらうには、誰もが乗りたくなるようなデザインが必要です。
最後に、資金です。これらの3つを集められれば、きっと普及するなと思っていたので、経営に関する知識は何もなかったのですが、とにかくこれを広めたいという思いで会社を作りました。
スムーズに譲り受けもでき、スタートとしては快調だったんですね。
いえ、全くです(笑)。退職金全部を設立費用にあてたのですが、2008年の11月に設立して、12月にはもうお金がなくなっていました。妻にも黙って起業したのですが、妻も同じ教員だったので、すぐに噂でバレちゃって…最悪ですよね(笑)。
医工連携チームで生まれた「足こぎ車いす」
“足こぎ車いす”というコンセプトは当初からあったのですか?
いえいえ、もともとは電極を筋肉に埋め込んで、筋肉のひとつひとつを電極で制御する電気刺激によるアプローチでした。このやり方で、座っている人を立たせるという研究を世界で初めて成功させて、寄りかかりながら5m歩かせることもできたんです。でも、このやり方だと電極を埋め込む手術が必要なので、怖いですし、後も大変で…。錆びないように、お風呂も入れなくなりますので、あまり現実的とは言えなかったんです。
確かに、リスクが高すぎますね。
はい。それに、この方法だと、本人の意思で身体を動かしているわけではないんですよね。健康な人の動作をデータ化して再現しただけなので。自分で動かしている感覚もないし、ぶつかって怪我をしてもわからない。これでは危なくて実用化できないということで、もっと安全に足を動かせるよう、座ったまま、電極を筋肉の表面に貼る形で、足を動かすリハビリをしてもらう研究に移り変わりました。
肩こりの低周波治療器のようなイメージですね。
そうです。海外でも機能的電気刺激で体を動かすのは、今でもポピュラーな治療法なんですけど、あまりにも大掛かりで、どんなにリハビリをがんばっても、自分ひとりで立ち上がって歩き出すのは、難しいんです。
ところが、ふとした拍子に、車いすの座面を縮めてみたら、電気刺激を付ける前に、漕ぎだしちゃったんですよ。「あれれれれ?」って、みんなびっくり。
研究機の車いすだったので、ご自身の体重も含めたら100kg以上もあるのに、麻痺した体のおじいちゃんが、電気刺激なしで漕ぎだしちゃったんです。
それは確かに驚きますね…!
これはきっと“座面を縮めた”ことがポイントなんだろうということで、関節の角度や座り位置、ペダルの位置などを細かく研究して、できあがったのが『Profhand』だったんです。
研究器だったころ。現在のCOGYの重さは14kgですが、この時は80~100kgの「重い」車いすでした
倒産寸前に現れる救世主たち
鈴木さんは、長年日の目を見なかった『Profhand』に賭けて8年前に起業されたわけですが、起業からわずか1ヶ月で資金難に陥ったんですよね?
そうです。当時、大学ベンチャーは悪いことをした人がいっぱいいたせいで、大学ベンチャーというだけで、金融機関はまったく相手にしてくれませんでした。
どこもお金を貸してくれなくて、破れかぶれで商工会議所に行ってみたら、「もし東北で、仙台でこれが作れて、日本中、世界中に広められたら、すごいじゃないか!」と、えらく感激してくれた人がいて。年末の長期休暇に入る直前に、金融機関に連れて行ってくれたんです。
同日の朝、ひとりでそこへ行った時には断られたのですが、商工会議所の人が金融機関の上層部に通してくれたおかげで、なんとか年明けから融資を受けられるようになって、資金の目処が立ちました。
助けてくれる人がでてきた。
ひとつ歯車が動き出すと、他もうまくいくようになるんですよね。実は困っていたのはお金だけではなく、足こぎ車いすを作ってくれるところが全然見つからなくて、苦労していました。
足が動かないから車いすに乗るのに、ペダルのついた足で漕ぐ車いすを作るなんて、意味がわからないじゃないですか。「そもそも漕げるわけがないし、もし怪我でもしたらどうするんだ」と。車いすメーカーに断られて、自転車メーカーにも断られて。前金でとんでもない金額をふっかけてくるところもありました。
なるほど…。
日本中探し回って、唯一、承諾してくれたのが、パラリンピックの国枝選手などが使うアスリート用の車いすを作っているオーエックスさんでした。すごい職人さんの集団で、自社製品しか作らないと有名だったので、最後まで残していたんです。とりあえず話は聞いてくださったのですが、どうも反応が悪くて…これはダメだなとあきらめモードで2週間後に電話をかけてみたら、「もう図面も描いたのに、2週間も待たせて何やってんだ!」と言われて、飛んで行きました。
さすが、職人さん!
見せてもらうと、スタイリッシュでとってもオシャレな車いすになっていたんです。助成金でギリギリ支払える額だったのですが、「もうここで使うしかない!」と思い切りました。
2ヶ月後に完成品を東北大学に持ってきてくださったのですが、普通の車で来ていたことに、まず驚きました。従来機は、大きなバンに工事現場の足場をつけないと、重くて大きくて動かせませんでしたから。実物を見るまでは「やっぱり作ってくれなかったのかな」と思ったほどです。
新しくできた車いすを東北大学のリハビリ室に運んでいると、途中で子どもたちが「次、乗せてー!」と寄ってくるんです。良いものができた、と確信しましたね。
実際に乗ってみた患者さんの反応はどうでしたか?
もうみんなことごとく喜んで喜んで。自分の足はもう動かないと思っていたのに、乗ってみたら漕げるんですから、そりゃ嬉しいですよね。
今の『COGY』はオーエックスさんで作られているのですか?
オーエックスさんは一点ものを職人さんが手作りしているので、開発パートナーとして試作機を作っていただいて、量産は台湾のジャイアントという有名な自転車メーカーのラインを借りて作っています。
設計とコンセプトは東北大学、試作機の製作はオーエックス、量産はジャイアントという形ですね。
やはり国内には量産してくれるメーカーがなかったのですか?
というよりも、オーエックスさんの技術力が高すぎて、国内で作れるメーカーがなかったんですよね。
1年後に量産できるところを探しているときに、オーエックスの社長さんが「量産するなら台湾か中国だ」と言っていたので、以前病院で会った台湾の外交官の方を思い出して、電話をかけてみたんです。
おぉ。
すると、覚えてくれているどころではなく、「必ず電話が来ると思って待っていた」と言われて…なんと外交官をやめて、この車いすを販売するための会社を台北に作っていたんですよ!「あまりにも感激したから、自分からまた訪ねていこうと思っていた」と。すでに工場もいいところを見つけてくれていて、量産する場所が見つかったんです。
『COGY』でアクティブな余生を送ってもらいたい
今は何台くらいの『COGY』が利用されているのですか?
2010年から販売を始めて、今は年間1000台ちょっとくらい出荷しています。
介護や福祉用具の販売店で買えるのですか?
はい。最初は販売店探しにも苦労しました。工場探しと同じ理由で、まず漕げるわけがないという先入観があるのと、「もしこれで元気になってしまったら、ベッドの売上が減ってしまうだろう」というわけです。これは不思議な業界だなと思いましたね。本来は障害者や高齢者の方に幸せになってもらいたくて始めているはずなのに。
なるほど…。
ところが、朝のニュースで取り上げてもらったところを、有名な福祉用具屋さんの運転手の方が見ていて、社長に「こんなのがあるらしい」と話してくださり、その社長がテレビ局に問い合わせてくれて。
その日に説明に行ったら、すぐに取り扱いが決まりました。そのときにはもう、1円もお金がなかったんですけど、かなり大量に注文していただけて、なんとか続けることができました。
ちなみに『Profhand』から『COGY』へと名前を変えたのは、なぜですか?
『Profhand』は、発明者の東北大学の半田康延先生から「Professor+Handa」の造語で付けられたのですが、どこへ行っても通じないんですよ。
「日本では外国人が刺青で変な漢字を掘っていると笑うけど、それと同じだよ」とアメリカでも言われて。もっと製品を体現していて、親しみの湧くネーミングにしようと、今回個人向けの販売を開始するにあたって、“簡単に漕げる”というイメージから『COGY(コギー)』にしました。
『COGY』は価格も安いですよね。
そうですね。2010年から介護保険制度の適用対象にもなっていますし、とにかく価格を下げたいという思いがあったんです。
大学の先生は大手の一流企業を上場させたような方たちなので、感覚が世間とかけ離れているんですよね。日本の平均貯蓄額から値付けをするので、『Profhand』は130万円していました。どう考えても、田舎のお年寄りには売れない。それを指摘すると「俺たちの発明を何だと思っているんだ!」と論争になってしまって…すごい反発をくらいました。
今は極限の値段にしているのですが、本当はもっと下げたい。もっとたくさん売れるようになれば、もう少し下げられるんですけど。
これまでたくさんの協力者の方が現れていますが、続けてこられたのは『COGY』が持つ製品の魅力ですか?
そうだと思います。あとは、私がこんな感じでふわっとしているからかな(笑)。せっかく良いものがあるのに、助けてやらないとまずいんじゃないかと思ってくださるのかなと。ビジネスのプロではないのは自覚しているので、私は私なりに、『COGY』を使う人やサポートするご家族の立場で良いものを作っていけたらと考えています。
今後の目標を教えてください。
まずは単純に『COGY』を使ってくれる人を増やしたいです。一般的な車いすユーザーは年間20万人いるのですが、そのうちの1割でも足こぎ車いすを選んでもらえるようにしたいですね。「車いすに乗っているんだ」というと、「電動?足こぎ?」という質問が返ってくるくらい、自然にみなさんの頭の中に思い浮かぶような世の中にしていきたいです。
医療技術がすごく進歩したので長生きできるようにはなっていますが、病気や怪我を抱えながら生活しないといけない年月が男性で10年、女性で13年あるので、その人生に残された時間を『COGY』でもっとアクティブに楽しんでもらえるようになるといいですね。
(執筆:野本纏花/撮影:沼田 孝彦)
※この記事は『ベストチーム・オブ・ザイヤー(http://team-work.jp/)』からの転載です。
※転載記事は2016年11月17日時点のものです。
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