先日、我が子が一歳を迎えた。早かったような、長かったような。あんなにふにゃふにゃだったのに、すっかりハイハイが板についてきた。大きくなったものだなと、我が子ながら感心している。
一歳を期に、撮りためた写真の整理を始めた。妊娠中のお腹の写真から始まり、つい最近の写真まで。どんどん大きくなるお腹が既に懐かしい。去年の事なのに、もう何年も経っているかのように感るのだから不思議だ。生まれたての顔と退院時の顔では全然違う。毎日見ているとあまりに差を感じないが、別人のような変貌ぶりだ。
無事に生まれてからは怒涛のように過ぎ去った。本当に子どもの世話だけをして生きていたので、世の中の動きに相当疎くなっている。さらに、わたしは妊娠中にトラブルだらけで、入院したり自宅で寝たきりになったりしていた。そのせいか、いまだに去年のままの気分でいることが多い。今年ももう残り3ヶ月と少しだというのに、今が平成何年だったのかがわからなくなることすらある。
よく、赤ちゃんを育てているお母さんが「世の中から隔離されている」とか、「世間から置いてけぼりになっている」という気になってしまうらしいと聞く。筆者はそこまで思っていないが、分からないでもない。きっと、似たようなことなのだろう。
赤ちゃんを望んで授かったものの、毎日家で2人きりはけっこうしんどい。言葉はもちろん通じないし、赤ちゃんの機嫌次第でその日の予定が決まる。夜はまともに寝られないし、外出だってままならない。引越たばかりだったので、頼れる人どころか知り合いもいなかった。
出産前からわかっていたことだし、数年は自分の時間どころではないだろうと腹を括っていたつもりだった。けれど、休みたい時に休めない、したいことをしたい時にできない歯がゆさは、想像以上に辛かった。
知らないうちに、意外とストレスがたまっているらしい。たまに街へ出る時の爽快感といったらない。外出がこんなにも楽しいとは、何で今まで気付かなかったんだろうと思うくらいだ。出るための準備も荷物も倍かかるが、それだけの価値はある。
頼れる人が近くにいないと、全てをひとりで背負おうとしてしまいがちだ。けれど、母親だって人間だ。疲れたり、イライラすることだってある。そして、そうやってジワジワ追い詰められていく。その先にあるのがネグレクトや虐待だろう。誰にでも危険はある。
ひとりで内にこもると、本当に危険なのだと痛感した。夫でも誰でも、信頼できる人にはどんどん頼るべきだし、外出できるならした方がいい。何かの形で世間とつながることが必要なのだと、これほど思ったことはなかった。
とはいえ、子育てはいつか終わりが来る。筆者も、最近は一晩続けて寝られる日が増えてきた。
手が放れたら急に寂しくなるんだろうなと思うと、もう少しがんばれる。どうせなら、その時に「大変だったけど、あの時間は宝物だったな」と、思えるようにしたい。
何より、やっぱり我が子はかわいい。成長するにつれて、心配ごとも悩みもどんどん増え続けるのだろう。けれど、それも喜びのうちかもしれない。孫の顔を見るためにも、今しかできない子育てに勤しもうと思う。
画像は筆者撮影
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