赤ちゃんが生まれるというのは、頭で理解していてもなんとも不思議なものです。生まれてきた以上、お腹の中には戻せないし、ひとりの人間としての人生が始まっていくんですから。源氏と藤壺の宮(以下、宮)の間にできた罪の子も、いよいよ誕生の時を迎えていました。
「物の怪のせいで出産遅れ」疑問の中、皇子誕生
宮の出産予定は12月中。そのため秋には里帰りしたのに、年が明けても産気づく様子がありません。1月にはきっと生まれるだろう、と誰もが思っていましたが、ついに2月に突入。
「物の怪のせいで出産が遅れているらしい」。世間はそう噂します。そもそも妊娠の起算日がズレているので当然なのですが……。いくら平安時代でも、妊娠期間の計算方法くらい分かるはず。そういうことを指摘する人もいたでしょう。なんとも苦しい話です。
気に病んだ宮は「もういっそお産で死にたい」と思いつめ、心身ともに衰弱します。
源氏は源氏で、出産の遅れからやっぱり自分の子だと確信し、お寺で密かに安産祈願。その甲斐あってか、ついに2月中旬、皇子が誕生しました。表向きには桐壺帝の第十皇子、源氏の弟宮になります。
帝は「皇子の顔が見たい、早く宮中に」と催促しますが、宮は「生まれたてで見苦しいので」と断っています。生まれた皇子は、驚くほど源氏にソックリ。DNA鑑定などしなくても、誰の子だか一発で分かりそうです。
「あまりにも似ている。出産の遅れからも、世間が嗅ぎつけて秘密が露見するのでは」。良心の呵責にさいなまれ、宮の悩みはつきません。
それでも、母になった彼女は少し変わりました。産前は死にたいと思っていましたが、あの弘徽殿女御が呪っているという話を聞いて「呪われて死んだとなれば、それこそみじめな笑いものだわ」。気を取り直し、少しずつ快方に向かいます。
源氏も命婦を捕まえては「皇子にも宮にも直接会いたい」と泣き落し。宮は妊娠後から非常にガードを固くしていましたが、「あまりしつこく来られると人目につく」と警戒し、命婦を側仕えから外します。源氏も、命婦を宮を恨めしく思いますが、バレたら大変なのはお互い様!
源氏の行動はあまりにも一方的で、身の破滅を招きかねません。本当に彼女と子供のことを思うなら、もっと冷静な行動をして欲しいところ。しかし、源氏物語に出てくる男性は、だいたい一方的な人ばっかりなのが残念です。
「言葉に出来ない」我が子と呼べない息子との、緊張の対面
出産から2ヶ月ほどして、宮は皇子を連れて宮中に戻りました。発育の良い赤ちゃんです。最高の身分の母を持ち、源氏によく似た美しい皇子。帝はこの上なく可愛がります。
帝は、母の身分が低いために臣籍降下した源氏のことを、今も後悔しています。それを見ても、宮は胸の痛みが止まりません。ごめんなさい、源氏の子です。
源氏が宮中にいる時、帝は皇子を抱いてニコニコして「みてごらん。お前にソックリだ。私はたくさん子どもがいるが、こんなに小さい時から見たのはお前だけだ。だから余計似ていると思うのかな」。宮は陰で見ながら冷や汗びっしょりです。
源氏は顔色が変わる思いで、我が子と我が父を見つめます。確かに自分によく似ています。恐ろしくも、もったいなくも、嬉しくも、哀しくも…。言葉に出来ない思いがこみ上げ、もう泣きそう。
♪らーらーらー ららーらー ことーばに できな~い。激しく動揺した源氏は早々に自宅の二条院に帰り、宮へ手紙を書きました。
「皇子様として拝見しましたが、本当は自分の子だと思うと涙が出ます」「あなたの子だと思うにつけても、複雑な思いにかられています」。このやり取りで、宮は源氏の子であることを認めます。
夫婦不仲「二条院の女が引き止める件」でついにお説教
宮に逢えない源氏にとって、彼女によく似た紫の君と過ごすことは一番の慰めでした。動揺が落ち着いた後、源氏は紫の君の部屋へ。
紫の君は「帰ってすぐにこっちにこなかった」と、すねていましたが、すぐに機嫌を直し仲良く過ごします。夜は葵の上の待つ、左大臣家にへ行く予定です。
夜。お供が外で「雨模様です、そろそろおいでになりませんと」。紫の君はまた置いて行かれるのか、と沈んでいます。「一緒にいないと寂しい?」彼女は頷きます。
「私も1日会えないと気になって仕方ないよ。でも、あなたがまだ小さいから安心しているところもあるんだ。世の中には色々と気を使わないといけない人がいてね。私が行かないと面倒なことになるんだよ。でも、あなたが大きくなったら、もうどこへも行かない」。
まるで自分に言い聞かせているような言い訳。源氏の話をよそに、紫の君はいつの間にか彼の膝で寝入っていました。かわいい。「今日はもう出かけない」ドタキャン決定。紫の君はそれを聞いて起き「よかった!」。あれだけ自分で言いておきながら、結局行かないんかい!
こんなことが相次ぎ、二条院の女が源氏を引き止める件が波及、葵の上の女房たちは憤慨。「どんな女かしら。失礼ね」「まつわりついて引き止めるなんて下品」。どこかのお姫様と正式に結婚した、という話もないので、余計に怪しまれます。
この件はついに帝の耳にも入り、源氏はお説教されます。「左大臣が気の毒じゃないか。お前が元服した後からずっと面倒を見てくれているのに。どうして奥方を傷つけるようなことを」「……」。ああ、自分で言った通りの面倒な事態。
お説教はしたものの、帝は内心(よほど左大臣の娘と合わないのか。良かれと思った縁組だったが、かわいそうに)とも。かわいそうなのは桐壺帝の方ですが……。
「譲位の意思」桐壺帝の決断とその波紋
藤壺の宮に皇子が生まれたことをきっかけに、桐壺帝は譲位の意思を固めました。今でこそ天皇陛下の生前退位が議論されていますが、源氏物語の帝たちは皆、生前退位を行っています。
譲位の前にまず、帝がしたことは、宮を中宮(ちゅうぐう・事実上の皇后)に冊立すること。そして生まれた皇子を次の皇太子にすることでした。(現在の皇太子は弘徽殿女御の第1皇子、源氏の異母兄。)
皇族は政治にタッチできず、世間から重んじられても実権は握れません。せめて母親が中宮という地位にあれば安心できるだろう、という配慮からです。自分は老い先短いが、生まれた皇子と宮はこれから。譲位後、そして自分の死後のことも視野に入れての考えです。
納得行かないのは弘徽殿女御。「桐壺帝に仕えて20ウン年。皇太子はじめ、たくさんの子をもうけたこの私を差し置いて!!」多くの妃のうちのひとりと唯一の后では、何から何まで違います。彼女のキャリアからすれば、この決定に腹が立つのはごもっとも。
桐壺帝は「まあまあ、皇太子が帝になれば、あなたは皇太后だ。ご機嫌を直して」と言ってなだめます。
この年の7月、ついに宮は中宮、源氏も宰相に昇格。お祝いムード一色の中、源氏は心のなかで「ああ、いよいよ手の届かない人になってしまった」と嘆くのでした。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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