やや暖かくなったのかしらん?という中、久しぶりでダイエットを始めました。会社的には(「社会的には」の打ち間違いではありません)ウチの取締役である長沼がダイエットに成功しているので、代表取締役であるワタシまでする必要は無いのですが、もう51・5歳にもなりますと生活習慣病とかも心配ですんで、っていうか、今オレのデブっぷりハンパねえよ!!という訳で、ダイエットペプシとかを飲んでみようかな〜?とか思っています。
今月はDCPRGのアルバム制作に掛かりっきりで(つうか、まだ全然終わってませんが)イベントもライブもほとんど無かったんですが、2月から堰を切った様にドカーンと始まります。もうちょっと詳しく書くと、今年は2月が多く、3、4、5月は普通で、6、7月がまた多い。と、夏まではそんな感じです。花粉のようである。
全部恋とは言いませんが、あ、わざと間違えた、全部来いとは口が裂けても言いません、いっこでも良いので現場に来てみませんか?ワタシはラジオで手を抜いた事は一回もありませんが、ライブではそれ以上に手を抜かないという事が解ると思います。何度も言いますが、ワタシは金が欲しいんじゃないんですよ。ウチの兄弟は金儲けは得意なんです!!ワタシは音楽をこよなく愛しているという事実だけがワタシの出来得る社会貢献であると、岩より硬く信じているだけなのです!!ドカーン!!うわー岩が割れた!!岩によって!!
<告知の群れ>
1)「デューク本郷様」をAmazonのユーザーズレビュー欄にアップしました。
「はじめてこんな事しちゃった〜」とか言いたいのですが、Amazonのユーザーズレビューというのは、Amazonで買い物した事がある人じゃないとダメらしく(当たり前ですが。よく考えれば)なんで、自分の力ではアップ出来ず(Amazonで綿棒一本買った事が無いので、つまりワタシは「Amazonのユーザー」ではないのです)、長沼に代理でアップしてもらいました。
こういうご時世ですから、「いよいよビーフですね」とか言われるんですけど全く違います。文中にある様に、紳士的でリアルな討論がしたいだけです。というか、ワタシがガチで、全身全霊を傾けてビーフなんかしたら、恐らく相手が精神病院に入り、損害賠償をさせられてしまうと思います(そんな事生まれてから一度もやった事ないので、単なる夢想ですが)
本当にデューク本郷さんには、いろいろ教えて頂きたいんですよ。そもそも何をなさっているどなたなのか?とか(すみません冗談です。アメリカのジャズ教育事情を知りたいのですがガチで。「セッション!」というサンダンスで一等賞とった映画見てみて下さい。ジャズがお好きな方ならスクリーンに投石したくなると思います。あんなもんが「アメリカのジャズ教育」だと思いたくないです。そしてとうとうサンダンスも全く信用出来なく成ってしまった)。
あと、褒めて下さる方々に文句いったらいけませんが、単純に褒められれば嬉しいですから大変有り難いとはいえ、ですね、「ハッタリや妄想」が「良い」という論調がほとんどで(笑)、勿論、ハッタリも妄想もワタシは大好物ですが、あの本はハッタリと妄想の本ではなくてですね(笑)、ローザスのケースマイケルとの命がけの死闘(笑)とか、ポリリズムに関する分析ですとか、まだボブ・ベルデンの研究と資料が広く公開される前に分析された、つまりボブ・ベルデンのように物的資料を使わずに、聴感上の推測によって、しかも、ボブ・ベルデンの研究内容と結果は全く同じ「オン・ザ・コーナー」のテープ編集分析とか(要するに我々は、よしんば資料使わなくても、耳を澄ませれば解る事もあるというごくごく普通の事を証明したんですよ、ちゃんと丁寧に)、高村是州先生との服飾に関する分析とか(これは資料使ってます)、濱瀬先生や布施先生の楽理分析とかですね、ガッチガチの部分も半分ぐらい(謙遜。半分以上)あるので、よろしければソッチの方もヨロシクお願いいたしたく(土下座)。
しかし、あれを書いて投稿する為に、Amazonのユーザーズレビューを久しぶりに見ましたが(M/Dのだけですが)ホントおっそろしいです(焦)。自分が理解できない事、言われると嫌な事(単にお洒落に興味が無い人が、マイルスの服飾について書かれているだけで嫌な気分になるっていうのは、幼稚通り越して病気ですよ。あなたの服の事を書いてるんじゃない。コッチからは見えてないぞ!!!)に対して反射的に硬化してネットに「胡散臭い」とか「香具師」とか「衒学的」とか書いてしまうというのは、まあ、畜生の浅ましさですから仕方ありませんが、しかし「さあ、あなたもレビューを書いてみませんか?」「レビューを書いて下さって有り難うございます。書いて下さって何百万の人々が感謝しています」みたいなのが(レビューを書く前と書いてから後、Amazonが報告に添えて来る文言です。因に)一番胡散臭い香具師の商(削除されないため以下自主規制・笑)ワタシは軽薄で躁病質なんで物の分からない人に胡散臭く見えてもそりゃしょうがないですけど(正直言えば、まあ、そう観られたいという所が、あるかないかで言えば、ですね、ありますし・苦笑)、しかし本当に胡散臭い奴ってのはワタシなんかよりもっと数万倍コスパ良く儲けてるのです。落ち着いて世の中を見渡して下さい。何もしない人が良い調子で「信用出来ない」とか「神」とか「いいね」とかばっか入力してジャンキーになってるのを横目に世界がこの有様なのです。あー胡散臭せえ世の中!!オレより1兆倍!!!(笑)
2)とかいいながら「ビュロー菊地」のフェイスブックを始めました(笑)
ワタシはSNSビーガンなのですが、、、、、でももう、、、、このサイトも地球上で7人ぐらいの人しか見てくれないし、、、、こないだなんて「もう菊地成孔は2次元にいない」という、名言かもしれない言葉を3次元のバーで聞いてしまったし(その方は「きくちせいこう」と発音されていたので、粋人かもしくは素人ですが)、、、、、見かねたウチの取締役が事務所のフェイスブックとして開設した模様です。といっても、フェイスブックってどんな物なのか、ホントのトコは良く知らないので、不便だったらすぐに止めます(関係ありませんが、「いいね!」だけじゃダメだ。「よくないね!」っていうのも付けないと平等じゃない!とかいう方いますけど、「よくないね!」ボタンなんかつけたらファイスブックは倒産してしまうでしょう。ワタシの案ですが、「いいね!」の前に「どっちだって」と「どうでも」というボタンを作って、最大2つまで押せる様にするのが良いと思います。「どっちだってどうでも!」と押してしまう与太郎が出て来る可能性は避けられませんが)
2)代官山の蔦屋さんで、評論家の久保玲子さんとゴダールの「アデュー、ランガージュ(3D)」について対談します。
これは既に佐々木あっちゃんと対談してるんですが、もう一回します。今の所、原稿の依頼は一つも来ていないので、有料の方に感想でも書こうかなと思っています。因に、ですが「久保玲子」さんは、ワタシと逆で、同姓同名の方が結構いらっしゃるんですが、「日活ロマンポルノなんかにも造詣の深い、映画評論家の女性」です。
(2/3代官山蔦屋。詳細は会場HPでと、思ったら、さっき聞いたんですがもう満員でした。満員御礼!!しかしそんなに聞きたいか中年女性の陰毛が3Dで飛び出る話)
3)山下洋輔さんとトークしたりライブしたりします。
これはもう何と申しましょうか、トークはまあ、都度都度しますが、ライブが特にヤバいですね。ワタシが世界中食べ歩く趣味が出来たのも、頭が少しおかしくなったのも何もかも、この日リユニオンする「山下洋輔DUO+」による物なので、是非お越し下さい。
(2/8 「第三インターネット」「LIVE,EVENT SHEDULE」より、主催HPをご参照のほど)
4)「ものんくる」のツアー・ファイナルに出ます
ウチのレーベルの天使と言われているものんくるですが(笑)、「南へ」の売り上げ&評価がお陰さまで鰻上り。という訳で、彼等は明日より今年初のツアーに出るのですが(ものんくるHP参照のほど)、最終日のキネマ倶楽部公演にシークレットゲストで(あしまった)出演します(ちょっとだけ)。
でももう、ワタシよりも1兆倍も将来が嘱望されている彼等のライブに、Pとしてとはいえ、こんな胡散臭いオッサンが、、、父兄参観の様につきまとってはいけない、、、、子離れ、親離れ(ぜんぜん親ではありませんが年齢以外)は世のいにしえーしょん(「ものんくる」になぞってみました)、、、という訳で、ものんくるのライブに出るのはこれで最後にし、今後はスーツを着て壁際で腕を組んでいようと思いますので、宜しくお願い致します。
(2/11 ものんくるかキネマ倶楽部のHPご参照の程)
5)久々のモダンジャズディスコティーク開催は13日の金曜日
クラブ規制が緩く成ったんで、声を、そしてライスや麺等の糖質も、男性器すらも大にして申し上げますが、2DJ/1BANDの、ジャズで踊りまくるパーティーです。今回のゲストDJは超お洒落さんそしてすげえ可愛い女子ジャズDJ君嶋麻里江さん、そしてバンドは元クオシモードの超イケメンの平戸祐介トリオにゲストでI.C.Iの愛人、超高学歴そして超足自慢の市川愛さんです(バンド演奏にはワタシも1〜2曲超参加します)、最近の「夜遊びしない子」ちゃんも終電で帰れますよ&男性器を大にしているとはいえこの日バレンタインチョコ直接渡そう作戦は超禁止(菊地への。平戸へのは超OKです。本当に申し訳ありませんが、ラジオによって、ちょっと困った方が増えてしまったので。ラジオもテクノロジーですから、おっかない側面がありますねやっぱり。まあ様子見ます)
(2/13 新宿ピットインHPをご参照のほど)
6)今年の2月の第三週の週末は田中康夫ちゃん三昧だ
自分でも俄には信じがたいのですが(笑)、金曜の夜の12時からラジオで対談し、2日後の6時半から読書サークルで対談します。あの田中康夫先生と。上手く出来るだろうか?それよりもワタシがいま一番知りたいのは、「月曜会」という名前が三井系の財閥の©だという事と、田中先生が犬派、そしてワタシが象派だという事を、「猫町倶楽部の読書サークル月曜会」の主催者山本さんは知っているのだろうかという事です(ワタシの予想→どちらも知らない)
(2/20は「粋な夜電波」HPを、2/22は「猫町倶楽部の読書会月曜会」HPをご参照のほど)
7) ブルーノート東京でソロを
この日はドラムスがいつものFUYUさんではなくDCPRGさんの千住くんです&MY solo work goes toこの日からオリジナル曲(日本語。スパンクスのセルフカヴァーとかでもなく、書き下ろしの)を増やして行こうと思います(まあ、とぼけてもバレバレでしょうから書きますが、アルバムを制作するので)フード&ドリンクセクションとのコラボもお楽しみに!と、目が疲れて来たので(苦笑しかない)記述が少ないが、聴いた驚きは、今回ご紹介した中ではコレが屈指になると思います。
(3/1 ブルーノート東京のHPご参照のほど)
とうとう頭がガンガンして来たので(最近はもう4時間が限度ですね。本書けるだろうか?くー)他のトピックはまとめて
*「リズムといまジャズの本」は発売が5月に延期になりました(土下座)
*「戒厳令」の1曲目にftされている菊地一谷a.k.a QNの最新作「コンクリート・クリーン(仮)」にちょっとだけ参加しています。3/18発売
*↑こういった話も含めた「菊地成孔によるN/Kインタビュー」はコチラ
(動画コンテンツも加え、レーベルのウエブサイトとして充実して来ました。コチラは勿論無料です)
*いま(2/1未明)DCPRGのニューアルバムのバンドによるベーシック・レコーディングを終えて帰宅した所です。アルバム名は「DCPRG / FRANZ KAFKA’s SOUTH AMERIKA(仮)」ヤバいですyOこれは(「ビュロー菊地チャンネル」にレコーディング風景の動画がアップされます)
*3/18にSONY/TABOOからリイシューされる(つまり、2015年のTABOOレーベル第一作!!)「ドミュニストの誕生」は、オリジナル盤の「INTRODUCTION ft I.C.I」「ヒア&ゼア」をカットして、代わりに新録の「INTRODUCTION ft I.C.I」「ヒア&ゼア」をマウントします、、、、と打ち間違いではありません。新録の「INTRODUCTION ft I.C.I」は何と9分超。そして逆に「ヒア&ゼア」は2分ぐらいに&「粋な夜電波」のOPに使われたbeat made from 東京ザヴィヌルバッハ国によるJD創成期のラップソング「AM」を、ラップを入れ直して収録(この3曲をあいちゅーんーーものんくるになぞってみましたーーで買えばコンプになる。オタクならコンブになんかなるな!!コンプになれ!!コンフィもダメ!!!←もうフラフラになってきた)
* * * * *
<テロリストの群れ> (2/2執筆)
今から書く事は私感ですが、今回の事件の最大の特異点は「テレビジョンが初めてYouTubeに屈した事件(その<あまりにも軽過ぎる前座>として爪楊枝くんが可憐な大暴れをしましたが)」であって、大きく「中東問題」としての質としては特に新しい事は見当たりません。
記憶ですので年月日までは定かではないのですが、ワタシが歌舞伎町に越したばかりの04年あたりには日本人外交官2名がイラクで襲撃され、銃殺されましたが、国内での重みは大分違います。そのときと今回は勿論、様々な違いがありますが、最大の違いYouTubeの有無です。後述しますが、その事にワタシは心痛を憶えています。
こちらにも以前書いたように、現在、非常な難事になってしまった「テロリズムの定義」ですが、ワタシは個人的に「自分は安全圏にいて、相手を殺傷する事」とし、政治思想、並びに殺害対象が要人か一般人かは関係ないとします(それは「犯罪一般」の定義と抵触していないか?という指摘はあると思いますが、殺傷を含まない政治犯罪もありますし、とにかく「テロリズム」という言葉は、以下述べる様な事情によって意味が液状化しており、定義がーー構造的にーーー非常に難事になっています)。
即ち(いきなりですが)テロリズムは人類全体の属性です。
兵器テクノロジーは「(ここで言う)テロ用方向」にしか発達しえませんし、そもそも弾道計算用に開発されたコンピューターから生じたインターネットという産物も、基本的にはテロ用に出来ています。
匿名で人を好きなだけ撃てる。しかもそうした人々のプライヴァシーまでもが守られている。等と、テクノロジーに内在する攻撃性の危険視など今や愚の骨頂、遡るに土手に隠れ、弓矢で猪を撃つ事もワタシの定義では広義のテロリズムです。昨年は一次大戦の100周年でしたが、一次大戦までの、例えばポーランドの騎兵というのは、勇猛で国家への忠誠心の厚い、非常に強い集団でした。彼等が、運転しているのが誰かも解らない、世界初の近代兵器の一つ(一次大戦は、近代兵器がこぞってデビューした戦争です)、TANK(戦車)という鉄の塊のカタピラーに、騎士道精神もプライドもなんもかもコミで馬ごと何騎もブワーっと轢き殺された時から、人類の近代テロリズムは大幅に加速したと思います。
今は一次的な「中東史勉強ブーム」なので、御存知の方が多いと思いますが、あのサダム・フセインがいたイラクは、一次大戦後に内乱があり、それを押さえ込む為に、英国空軍が、やはり一次大戦デビューの近代兵器である「軍用機」に、同じく一次大戦デビューの近代兵器である「毒ガス」を積んで空から落としました。ここ最近「空爆」と言えば米軍かNATOというイメージですが、ワタシは、「空爆テロリズム」というブランドの発祥国は英国であると断ずるに躊躇はありません。毒ガスは御存知の通り、「いくら新人とはいえ、エグすぎっから禁止にしようぜ」といって実際に禁止になるほどエゲつない兵器です。英国空軍はこの事を1990年代までひた隠した、テロリストの大先輩です。
先日は「イーストウッドが<ジャージー・ボーイズ>と違って、ガチでディレクターズチェアに座り続けたであろう映画」である「ザ・スナイパー」を見まして、「グラン・トリノ」という頂点以降、「アメリカの反省」を、マッチョ側から非常に真摯に、かつ技巧的にも高く描いて来たイーストウッド/マルパソが、「イラク戦争の狙撃の名手。300人以上を狙撃で殺害し、英雄となった」実在の人物を、衒い無く英雄として描き、アカデミー最優秀作品賞のノミニーになった事に、困惑が止まりませんでした(この評は「UOMO」に載ります)。信号待ちしていたら、恨みを買われている覚えのある人物が「テメエこの野郎―!!」と叫びながら包丁を持って突進して来て、飛びかかられて滅多刺しされ、4時間後に失血死するのと、同じく信号待ちしていたら、視界から遥かに外れたビルの屋上からスコープで狙われ、一瞬でコメカミを打ち抜かれて、死んだ自覚すらないまま殺されるのとでは、どちらがテロ被害にあったかと言えば、後者です。つまり「テロが一義的に残虐で絶対悪である」とは、ワタシはとても言えません。
「自爆テロ」があらゆるテロの中でも、超テロリズムといえるほどの脅威と怒りを我々に与えるのは、マシンテクノロジーを使わず、洗脳という人力で行われながらも、実際の殺傷力はダイナマイトという古典的な爆薬が担っているという、何だかエコロジカルなような、ブリコラージュの様な、構造デザインの禍々しさによるものです。
人類は、正々堂々と名乗り合って勝負する時間と身体を完全に失ってはいませんが、少しずつ少しずつ退化させているとしか思えませんし、その駆動力になっているのは怯えと哀しみと復讐心、つまり虐められたトラウマの連鎖であって、本来、本当に撃ちたい相手だったら、人間は自分が撃ったのだと明かしたい筈なのですが、明かせないという特別な理由があるならば兎も角(「必殺仕掛人」シリーズはその事を描いています)、明かせれば明かせる件であろうと、明かさない事が前提化されて行く。人を撃つ。という行為自体が、自分を守ったままやる事、という風にスリップして行く。テロは属性だと言いましたが、属性は読んで字の如く「属」性であって、絶対的ではありません。属性に逆らうのもまた人間の属性です。属性に預けきってしまうのもまた人間の属性です。
と、ツイッター世代には読む飲む辛い、長々と何が言いたいのかと言えば、「我々はテロと闘う」というクリシェにワタシはかなりの(皆様が思っている以上に)抵抗がある。という事です。
ここまで書いた経緯に依って、人類は、敵対する相手をすべて「テロリスト」と呼ぶ恰好にならざるを得ません。テロリストではない、正々堂々とした敵 / 敵兵という存在は刻一刻と減少していますが、それは、人類の属性である上に、やはり人類の属性である言語を使って、相手を「テロリストだ」と口にしあう事によって加速されています。このままだと、近い将来、総ての戦闘はテロリズムの応酬に純化され、戦闘とテロリズムはイコールで繋がります。
ワタシが言えた義理ではありませんが、社会が言葉を間違って使っている状況というのは非常に危険です。我が国の経済も政治も、「アベノミクス三本の矢」を「アベノミクス三本柱」「アベノミクス三羽ガラス」「アベノミクス三人官女」と正しく言い換えない限りは間違って進む以外無いでしょう。言葉にうるさい筈だったパリ市民までもが(アメリカのようなトンマなら兎も角)「我々はテロに屈しない」と言うのは大変に残念です。
というより、これは毎度毎度のフロイディズムで申し訳ありませんが、「テロリズム」という言葉の語源はフランス産です。「我々は中東の過激派集団と闘う」で良いではないか。自らの地で汚れた手を、必死で洗い流す人々の行動は倒錯です。過去、「テロリスト」の称号を受けた歴史上の人物は、ウサマ・ビン・ラディンとかユナボマーだけではありません、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデイラも含まれます。我々の世代のプロレスファンにとっては、藤原喜明選手に止めを刺します。
学園生活でアナロジーするのはジャパンクールにおもねるようで気が引けますが、そういう意味では不良集団である中東の過激派組織は、不良集団らしく、ダーティーダズンやナイフをチラつかせながらの脅しを繰り出しますが、ISISは「クルセイダース」と言いました。我が国が十字軍に参加したと。この言葉は重いとワタシは思いますが、少なくともワタシが見た限りのテレビジョンとマガジンとペーパーの報道では、扱われませんでした。
ISISの蛮行は許されない物です、とはいえ我々が「グレてしまった不良のバカ共が噴飯もののいいがかりをつけている」と嘲笑したり怯えたりする時、それは高い確率で、いいがかりより些か真理をかすっていますし、自らが言葉を誤用し、つまり、自らの手の(付着してもいない)血を洗い流そうとし続けるような者が、他者、特にグレてしまった者の切実な言葉を聴き取る事が出来ない、というのは、我々が良く知る、コミュニケイションの不全という営みの中でも、典型的な物のひとつで、学園物には必ず出て来るエピソードです。
十字軍がどういう集団だったかは検索すれば嫌というほど出てきます(因に「ノスタルジー」というのは、現在、甘い郷愁であって、なにやら良い事の様になっていますが、元々は遠征先の十字軍兵士が、殺戮に嫌気がさし、故郷を懐かしがって、闘わなく成ってしまう。という、鬱病の一種でした)。この学園の校長や生徒会長、熱血先生、PTAが誰なのかいちいち考えると、何かを通り越して笑える程です。
さきほどテレビジョンを見ていたら、我が国の総理がイズラエルの国旗と合衆国の国旗に挟まれた壇上で「我々はテロと闘う。同胞と連携して」といった旨発言しており、さすがに彼の発言の変な強度に成れていたワタシもクラクラ来ました。ワタシは個人的に、前々都知事は大嫌いでしたが、大嫌いというのはツンデレです。現総理に対しては嫌いとも思いません。
ただ氏が、腹を壊して途中退場する前に掲げたスローガンが、「美しい日本」だった時から、この会見までのロードはロックオンされていたとしか思えません。YouTubeと比べればずっとグラブのオンス数が高く、安全な甘噛みであるテレビジョンとはいえ、この一件が、我が国のお茶の間にまで浸透している間に、一貫してその名前がイの字さえ出ていなかったイズラエルの国旗がいきなり映し出されるという雄弁さは言葉を超えています。
再び、ISISの蛮行は許されない物です。しかし、「首をはねる」事を指して「残虐だ」というのも、厳密には間違っていると言わざるを得ません。斬首は中東のみならず、中世社会では平均的な刑罰の方法で、即ちフォーマルです。一緒にしてはいけませんが、犯罪者も王も、武士道の途上で切腹を選択した者も首をはねられました。「前近代の残虐さは、近代の人権思想の発達によって葬り去られた」などという人々は、ジョンレノンの叫びによって世界は戦争を終えた。と信ずる様な可憐な人々とほぼ等しく、その可憐さは、次のバレンタインデーには手作りチョコを作るでしょう。そこには「戦争なんかありませんように」と書かれるでしょう。とても甘くて苦いメッセージですね。
「斬首よりも残虐な殺し方」は世界中に千倍も億倍も兆倍もあります。テロリストが人質を、睡眠薬の点滴から始まる安楽死の方法を使って殺したらどうだろうか?これは前述の「狙撃手に一瞬で撃ち殺されるのは残虐かどうか?」という問いと繋がっています。
今回ショッキングだったのは、世界中にその過程を映像で晒した事、即ちYouTubeの存在であって、もう51にもなり、面倒や憂鬱が増えながらも、日に日に「どうだって良いや」と思う様に成って来たワタシでさえ、強い心痛を感じました。インターネットテクノロジーのテロ的な攻撃性に関して、繰り返し発言していたのに関わらず、自分はYouTubeだけはムチャクチャ活用していたからです。「くっそ。やられた」といった気分、正にテロリズムを行使された気分によって、ワタシは実際に、PCを乗せたデスクに、左手の拳を叩き付け、痛めて、DCPRGのレコーディングに若干の支障が出てしまいました。
ワタシは性悪説でも性善説でもありません、あらゆるテクノロジー、そして音楽を含む文化総体は(言語さえも)、薬にも毒にも、アッパーにもダウナーにも、銃にも花にもなりうると考えます。つまり、テロリズムでさえ、善用 / 平和利用は出来うると考えます。例えばMAN WITH A MISSIONはその事に微細ながら成功したバンドと言えるでしょう(彼等の音産的な成功が微細だと言っているのではありません。念のため)。ISISホームページの「かっこよさ」はナチスドイツのそれと比肩しうる強度があります(ミリタリーコスプレマニア諸氏からは異論もあるかもしれませんが)。
爪楊枝少年ではなく、小児を殺してバラバラに切断した者が、それを公開する悦びに淫して、ではなく、「当然の事として」YouTubeに動画をアップする可能性は、理論的には二次曲線的に高まっています。毎日の様に残虐な殺人は行われています。それをYouTubeにアップするかどうかで、テロという営みは兆倍化します。ワタシは「自殺してしまった人の、自殺前日のブログを誰でも読める様に成るのは、繋がり過ぎである」と様々な媒体で発言し、ネット依存症の患者からは、泣いているのか笑っているのか解らない様な、けたたましく切実な嘲笑と悪罵を受けましたし、各インタビュアーには「確かにそうですよね」と言いながらも(でも、ネットって便利だし、良い事も一杯あるし、、、、)といった口ごもりをさせてしまう事になりました。それでも、YouTubeは未だに大好きです。さっきも見ました(sirのPVを観る為に)。
人間は、記憶力という名の屈辱のメモリー装置で怨念という無限に近いエネルギーを自ら生成し、自分でも扱いきれない程の物を生み出し続けるという神経症の猿であって、先ずはその事を一人一人が逃げずに深く受け入れ、しかる後に路上に出て五感を澄ます事。ワタシはそれが、本当に難しくなってしまった<愛する>という行為の第一歩であると信じて疑いません。退行的な感動によって泣く事は、ワタシが思う愛とは全く無関係とまでは言いませんが、鰻屋の前を通りかかって腹が鳴った。程度の事です。それは、覚悟を持って死地に向かい、斬首されたジャーナリストの映像を見せつけられ、吐き気や不安発作を引き起こした、というのと、逆方向に、さほど変わりません。「テロと闘う」「テロに屈しない」「テロと闘う」という言葉が世界中で応酬されるとき、それはテロリストの営みとグルーヴしており、危険さは累乗されています。
DCPRGのレコーディングスケジュールは、昨年の夏からフィクスされていました。そして、レコーディングが始まるや否や、砂漠からの映像が届き始めた。その最中に、ワタシはソウルバーをナルジャジーラに変更する為に一晩徹夜をし、DCPRGが全員でのスタジオセッションを終えた翌日に最新の映像が届きました。地下鉄サリン事件の当日、ワタシは着ぐるみを着てPVを撮影していました。9/11の世界中継は、東京ザヴィヌルバッハのレコーディングを終えて帰宅してすぐに始まりました。「粋な夜電波」と番組名が決まって2ヶ月が経過したら、あの震災が起こりました。我々が平時に作品を制作、完成させた事は非常に少なく、それは地球規模のシンフォニックなものであって、それをライディングし、グルーヴして、平和利用する、つまり、集団的な愛の徹底的な行使以外、ワタシが生きている証はありません。エレクトリックであろうとアコースティックであろうと、オーケストラというのはハードコアな平和の軍である。今年で31年目になりますが、更に音楽を続けますのでご愛顧のほど。