菊地成孔が、過去と現在を、痛みと笑いで横断するエッセイ集。
<震災前夜までのニュース>の数々
不二家の3秒ルール/ミートホープ事件/船場吉兆/石原都知事就任/安倍首相バックレ辞任/練炭自殺/アキバ通り魔事件/リーマンショック/豚インフルエンザ/毒ギョーザ/普天間/大相撲と世間/小沢マスク/55年体制最後の自民党総裁マンガ顔の麻生太郎/宇宙人としての鳩山/「ミシュラン東京」発売/オリンピック誘致失敗/「サロン・デュ・ショコラ」のコミケ化/死刑になりたくて殺人/ガザ地区空爆/ベストドレッサー市橋/尖閣
↑こうした現象たちと現在は、どう繋がれ、切断されているのか?
イースト・プレス ●312ページ
発売日:2013.9.15
定価1,680円
9月15日にイーストプレス社から発売される『時事ネタ嫌い』を発売に先がけて、「まえがき」と、全46章のうちの1章~3章まで、数回に分けて公開します。
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1 セーヴ・ザ・ペコちゃん(女たちよ!)
2007年1月、洋菓子メーカー不二家が、消費期限切れの牛乳をシュークリームの原材料として使用していたことが発覚、これに端を発し、異物混入や食中毒発生の非公表など、多くの食品管理問題が芋づる式に明らかになった。中でも「生産ラインの中で製品を床に落としてしまっても、3つ数えるまでに元に戻せば許される」という「3秒ルール」に関する内部告発はスキャンダラスなまでの注目を集め、店頭から不二家製品が撤去されるという事態に至った。
現在コレを書いているのは2007年1月ですが、そろそろやってくる今年のバレンタインに、あの、ピーナッツの入った、ハートの形をした、袋のラベルが赤い、「ハートチョコレート」(「ハート」と「チョコレート」の間にナカグロが入らないのが正式であります)を貰うことが、ちょっと難しくなってしまうのかな、と思うと、文字通りちょっとハートが痛みます。
そして、この痛みをリアルに共有しているはずである「ハートチョコレート世代」が、ワタシと同じ40代(*本書刊行時50歳 )であろうこと。そのことが今回の一件に、独特な鈍い悲しみと、一抹の希望を与えています。
フラウ読者の皆さんの間で、「義理チョコ」という、あの極めて日本的な慣習が残っているかどうかすら既に疑わしいわけですが、よしんば義理で何個も貰うとして、あれほど良い物はない。たった80円で、あんなに美味しくて可愛いチョコレートは世界中探してもおいそれとは見つからないと思うのです。「バレンタイン・デー」の習慣が我が国に定着する前から、あんな傑作を世に出していた不二家は、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
流通だの企業成績だのといった話にまったく疎いワタシの目で見る限り、不二家は油断した、もしくは帝国斜陽の予感を見ないように見ないように必死に抑圧したとしか言い様がありません。パティスリーやショコラティエ市場のインターナショナル化は言うまでもなく、まず東京ディズニーランドという存在にヤラれ(「ミッキー」と「ミルキー」は語感がカブり、ペコちゃん、ポコちゃんの顔に最も似ているキャラクターはミッキーとミニーです。そして奇妙なことに、最も「不二家レストラン」の面影を残す、しかし不二家とは縁もゆかりもないディズニーランド内のレストラン「イーストサイド・カフェ」は、この事件のすぐ後に、〈賞味期限切れのチーズを使ったカプレーゼを出していた〉という謝罪を自主的に行いました。ワタシは二つの事件を無関係とは思えません。ディズニーと不二家は、ある時代ほぼ同じ夢を日本人に見せていたはずですが、このテーマに関しては専門家が指摘するでしょう)、コンビニ菓子の驚異的な発達にヤラれ、キャラクター商品の「萌え」感でサンリオなどにヤラれ(ピューロランドのアトラクションは「萌え」の祭典です)、本丸の銀座では資生堂パーラーにヤラれた不二家は、ドリーミーな商品イメージと実質を、こうして周囲にどんどん奪われながら(「グリコ森永事件」のような悪の挑戦からは辛くも逃れつつ)裸の王様と化していった。そして、こうした歴史を肌身に染みて実感できる人々が、気がついたら40代以上になっていたわけです。
裸の王様に至る道は、遥か30年前に兆しを見せていました。嵐山光三郎氏のエッセイの中に「銀座の不二家でアップルパイを買ったら、ガラスの破片が入っていたので文句を言いに行ったら、店員の態度が横柄で、かなりぞんざいに扱われた。もう二度と不二家でケーキは買わない」という記述(大意)があるのですが、30年後にこうなったか。というのは、悲しい懐古感があります。
そして「懐古感が、悲しい」というのが、この事件のほとんど総てでしょう。「レトロ」という感覚は、総ての過去を等しく母性的に美化してくれるわけではないのである。ガラス片が入ったアップルパイに倣うわけではありませんが、苦いリンゴを齧ったとはこのことです。
昨年(*'06年 )の「ウルトラマン生誕40周年」が思いのほか盛り上がらなかったこと(仮面ライダーと一緒に年がら年中盛り上がっているからでしょう)、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に、アイコンとしてのペコちゃんが映っていなかったこと(時代設定は1957~8年。ウルトラマンはまだデビュー前ですが、ペコちゃんはとっくに現役です。そもそも脚本に書き込まれていなかったのか、駄菓子屋の駄菓子と同じ画面に映ることを嫌い交渉に応じなかったのか)、所謂「昭和レトロ」的な意匠の店の主流が、ナスティ/チープ志向のお好み焼きやホルモン焼き屋、(不二家の商品を置かない)駄菓子屋などであること、「ガンダムから総てを学んだ世代」の台頭、等々、「〈レトロ感〉ですら世代交代する」という現実、「現在を活性化させるためには、伝統の打ち出しにもマメな書き換えが必要」といった細やかな感覚が、裸の王様に見えるわけがありません。「消費者に於ける食品衛生感覚の向上」も、裸の王様にとっては庶民のヒステリーぐらいにしか見えなかったのではないでしょうか。
繁栄を誇った帝国が斜陽を迎える。というのはありきたりな話です。そして、それが新しい血によって生まれ変わり、再び繁栄する。というのもこれまたありきたりな話です。赤城乳業が「ガリガリ君」によって蘇生したように、「キユーピーマヨネーズ」がなんだかすっかりお洒落になったように、裸の王様たる不二家は、今やっと新しい才能の導入によって蘇生するチャンスを得た、とも言えるでしょう。ペコちゃんの将来は、未来のパティシエやエグゼクティブにかかっています。ワタシはそれを、是非女性にやっていただきたい。不二家を蘇らせるのは女性ではないか?というのが結論です。2007年1月
後 日 談
この問題を受け、藤井林太郎が責任を放棄する形で社長辞任を表明。桜井康文取締役が7代目社長に就任。という流れで、業務上の禊を一応は果たした不二家も、その後は深刻な経営危機に見舞われた。しかし対応は早く、山崎製パンと資本・業務提携を結ぶとともに、第三者割当増資を経て山崎製パンの持分法適用会社(当時の出資比率は35%)となった。不祥事発覚からここまで、僅か3ヵ月である。
両社の関係は翌'08年に不二家が再び実施した第三者割当増資を経て、山崎製パンの出資比率は過半超まで高まった。それ以後、不二家は本社ビルを売却。山崎製パンの連結子会社となった。
その後2010年には創業100年/ペコちゃん生誕60年のための企画として、ペコちゃんの新衣装が東京・新宿高島屋でお披露目された(東京モード学園にデザインを発注し、同校生徒の作品539点への高島屋の来店客による投票で決定。翌日8月26日より全国の店頭のペコちゃんが一斉に新衣装となる)。
そして2011年8月22日にはミルキー発売60周年を記念して「ペコちゃんミュージアム ミルキータウン2011」が東京・銀座六丁目の不二家銀座ビルにて開催。不二家は完全に禊を済ませ、おざなりになっていた「レトロ感覚/伝統の重み」のプレゼンテーションも回復した。
というのはネット検索的な事後経過報告である。しかし、ここで筆者がフォーカスしたいのは'09年に発売された「ミルキークリームロール」こそが、不二家の菓子を愛する消費者への、不二家復活の狼煙となったことである。「全体が一粒のミルキーに見立てられたロールケーキ」というアイデアは大成功し、現在は「ミルキーブランド」というブランディングによる「ミルキースイーツ」群が不二家の主力商品となっている。このロールケーキを考案したのは女性社員である(筆者の事後調査では洋菓子事業本部生産本部製品開発部商品課課長の橋詰明子さん)。テレビ番組の取材を受け、彼女は「ミルキーがロールケーキになったら、嬉しいなあ。と思って」と、極めてシンプルに発言した。
しかし、本稿で筆者が「ハートチョコレート」と呼んだ名作は、今でも存在しているものの、かの山下達郎が「バレンタインは、ハートで、せまるもの(ハートで)」と歌った、「まだ牧歌的だったバレンタイン・デー用のアイテム」としての「ハートチョコレートの時代」は終わったのである。
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