>>4 <自分は1984年生まれの41歳なのですが、恥ずかしながら世界史に殆どの知識が無く、ジャズも名盤と呼ばれるものは聴いたりはするのですが、時代や人を辿るように「線」で聞くということをあまりしてこないというような不勉強極まりない人間で(更に言うなら日本の政治にも全く興味が無い)、この映画を観たときにどういう気持になるんだろうという事で若干の不安もあったのですが、もう観ている途中から興奮してしまい、DOMMUNEまでの間にもう一回観たい!でも1日1回の公演だから観れねぇじゃねぇか!と理不尽な怒りさえ覚えてしまいました笑> ↑この部分をコピペしてスローガンにし、配給会社に訴えるべきですね笑。 <逆に音楽がかかっていない所に監督の意地悪さみたいなことも感じたり> 僕も結局、調査できないままなんですが、カタンが独立のパーティーで、バンドを前に、無言で指揮を続ける指揮者のカットは、その極点にあると思います(笛付けど踊らず)、あれが一体何なのかわからない=説明がない映画の中でも一番謎、のまま「DJが途中で長く音楽を止めたら、どうする?」といったサディズムのようなものを感じるほどでしたね。 この映画を契機に、アフリカ問題、中南米問題に知見を広げたくなる感じはよくわかるのですが、ちょっとやってきるとわかりますが(僕は何十年もダラダラやっていたおかげで、何とか身につきましたが)日本人には絶対バテます笑、南アひとつとっても、アパルトヘイトがなくなってから地上に溢れた、少年兵のドギツイ殺し合いをバックにアマピアノが出てきたり、そこからUSオーヴァーグラウンドのトップスターTlraが出てきたりしますが、どこまで残虐でも、如何にもこうにも童話みたいな感覚の抜けないアフリカはまだしも、中南米に踏み入ると、軍事クーデターだけでまとめようとしても、あまりにも話が「大人っぽ」すぎ、たったチリとパナマだけでも半端ないです笑。 この映画は、じゃあ例えば、パナマのノリエガ将軍が、米軍がパナマに置いて反共の要諦としようとしたSchool of the Americas=SOAの出身で、ノリエガの同期が、中南米の軍事クーデターによってトップに立った奴ばっかりだったので、学校を潰してアメリカに戻そうとしたら爆撃を受けてアメリカに収監、という事が起きるわけです。 ノリエガの「可愛さ」は、本作でのフルシチョフをストリートのワルに変換させた感じで(何せチビでデブで、軍服着てますので)、「なあ?パナマの空爆がどんなだったか一言で言おうか?それは、広島と長崎と同じぐらいヤバかったんだ」と身振り手振りで話したり(スペイン語笑)する映像を見ると「あゝ、サウンドトラックが欲しい」と思うんですよね。中南米のダンスポップスは、アフリカどころじゃない量と洗練があるので。 僕は、チリ上空を飛ぶ爆撃機と、空爆による爆音をミュートして、ジョアン・ジルベルトを流すのは相当良いと思い、実際に試してみたら「ああ、もっとフッテージさえあれば、3時間のコラージュが作れるのに」と思ったのが2001年とか、それぐらいです。「南米のエリザベステーラー=ぺぺ・トルメント・アスカラール」という発想はそこからきています。僕と同い年のグリモンプレ監督はこうして膨大なフッテージを切り貼りして意地の悪さを見せましたが、極東の僕は歪な混血の楽団を作り、拷問をエレガントに聴かせる事に腐心したわけで、我ながらジャパンクールと思います。 演劇をなさっているようですが、グリモンプレですら、フッテージのコラージュでないとこの作品は作り出せなかった訳で、劇映画でやるとしたらミュージカルになるでしょう。演劇と音楽は、そのまま番ません。そこにダンスが介在しないと。しかし、それをやっても劇団四季ぐらいに見られるのが関の山でしょう。僕は、この映画の次は、ダンスが介入したミュージカルだと思うんですが、スピルバーグの「ウエストサイド」リメイクが、あまりに酷かったので笑、この際もうギジェルモでも良いや、いやダメ、とか思っています笑。
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
(著者)
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<自分は1984年生まれの41歳なのですが、恥ずかしながら世界史に殆どの知識が無く、ジャズも名盤と呼ばれるものは聴いたりはするのですが、時代や人を辿るように「線」で聞くということをあまりしてこないというような不勉強極まりない人間で(更に言うなら日本の政治にも全く興味が無い)、この映画を観たときにどういう気持になるんだろうという事で若干の不安もあったのですが、もう観ている途中から興奮してしまい、DOMMUNEまでの間にもう一回観たい!でも1日1回の公演だから観れねぇじゃねぇか!と理不尽な怒りさえ覚えてしまいました笑>
↑この部分をコピペしてスローガンにし、配給会社に訴えるべきですね笑。
<逆に音楽がかかっていない所に監督の意地悪さみたいなことも感じたり>
僕も結局、調査できないままなんですが、カタンが独立のパーティーで、バンドを前に、無言で指揮を続ける指揮者のカットは、その極点にあると思います(笛付けど踊らず)、あれが一体何なのかわからない=説明がない映画の中でも一番謎、のまま「DJが途中で長く音楽を止めたら、どうする?」といったサディズムのようなものを感じるほどでしたね。
この映画を契機に、アフリカ問題、中南米問題に知見を広げたくなる感じはよくわかるのですが、ちょっとやってきるとわかりますが(僕は何十年もダラダラやっていたおかげで、何とか身につきましたが)日本人には絶対バテます笑、南アひとつとっても、アパルトヘイトがなくなってから地上に溢れた、少年兵のドギツイ殺し合いをバックにアマピアノが出てきたり、そこからUSオーヴァーグラウンドのトップスターTlraが出てきたりしますが、どこまで残虐でも、如何にもこうにも童話みたいな感覚の抜けないアフリカはまだしも、中南米に踏み入ると、軍事クーデターだけでまとめようとしても、あまりにも話が「大人っぽ」すぎ、たったチリとパナマだけでも半端ないです笑。
この映画は、じゃあ例えば、パナマのノリエガ将軍が、米軍がパナマに置いて反共の要諦としようとしたSchool of the Americas=SOAの出身で、ノリエガの同期が、中南米の軍事クーデターによってトップに立った奴ばっかりだったので、学校を潰してアメリカに戻そうとしたら爆撃を受けてアメリカに収監、という事が起きるわけです。
ノリエガの「可愛さ」は、本作でのフルシチョフをストリートのワルに変換させた感じで(何せチビでデブで、軍服着てますので)、「なあ?パナマの空爆がどんなだったか一言で言おうか?それは、広島と長崎と同じぐらいヤバかったんだ」と身振り手振りで話したり(スペイン語笑)する映像を見ると「あゝ、サウンドトラックが欲しい」と思うんですよね。中南米のダンスポップスは、アフリカどころじゃない量と洗練があるので。
僕は、チリ上空を飛ぶ爆撃機と、空爆による爆音をミュートして、ジョアン・ジルベルトを流すのは相当良いと思い、実際に試してみたら「ああ、もっとフッテージさえあれば、3時間のコラージュが作れるのに」と思ったのが2001年とか、それぐらいです。「南米のエリザベステーラー=ぺぺ・トルメント・アスカラール」という発想はそこからきています。僕と同い年のグリモンプレ監督はこうして膨大なフッテージを切り貼りして意地の悪さを見せましたが、極東の僕は歪な混血の楽団を作り、拷問をエレガントに聴かせる事に腐心したわけで、我ながらジャパンクールと思います。
演劇をなさっているようですが、グリモンプレですら、フッテージのコラージュでないとこの作品は作り出せなかった訳で、劇映画でやるとしたらミュージカルになるでしょう。演劇と音楽は、そのまま番ません。そこにダンスが介在しないと。しかし、それをやっても劇団四季ぐらいに見られるのが関の山でしょう。僕は、この映画の次は、ダンスが介入したミュージカルだと思うんですが、スピルバーグの「ウエストサイド」リメイクが、あまりに酷かったので笑、この際もうギジェルモでも良いや、いやダメ、とか思っています笑。