>>1 やはりアビー・リンカーンはヒステリアというか、ヒステリアで一安心というか、実際、アビーリンカーンのトランスした声を聴いて感動し、活動に掻き立てられた人物などいないと思います。これだけ口も心も汚くなったネットの世界でも「あれフェイクだろ」「ヤバい女じゃね?」といった言説は、僕が見る限りひとつもなく、全て儀礼的な褒め倒しで、何か「ずっと、ウザくてちゃんと聴いてなかったけど、褒めるべきですよね。機会をくれてありがとう」とホッとしたジャズ批評家もいっぱいいたと思うんですが、これもベルギー人の二枚舌で、結局、嘘の呪術であるリンカーンと、本物の呪術であるサッチモ&ニーナシモン(彼らは、楽器の演奏と歌唱が離れることなく融合しているので)の対比によって、ほぼイメージ的に「リンカーンはやっぱり邪な女」という余韻なので、いずれにせよ本作は、相当意地が悪く、意地の悪さはセンスの良さと通じるよなあ。と、優しく正しい人しか許さない、恐ろしい世界ので、痛快というより、救いを感じました笑。善人マックスローチには気の毒ですが笑。 何もかもLRにステレオ分離されているこの映画では、ジーグフェルト・ミュラーとマッド・マイク・ホアが傭兵の代表として出てくるのですが、変わらず毎日コロンボを見ているのいで、まるでジークフェルド・ミュラーが、悪役用の俳優が演じているキャラクターのように(ギガ的に)見えてしまい、一方、コンゴでしたことの酷さはずっと酷い、マッド・マイク・ホアが、なんとヨット上でインタビューを受けているのは、明らかに「真夏の世のジャズ」を、最悪の形で象徴化した、ベルギー人の底意地の悪さに心底惚れ惚れしました笑。 DJプレイが沼をつくった時と同じように、「ストーリの上述」に重きが置かれ、一種の単調さが出てくる終盤ですが、そこを抜けると、凄まじいエディティングが出てきて、カザルスとハマーショルドの一件が出てきます。僕が「あれ?何だこれ?」と異変に気がついたのは、子供心にカザルスが国連で演奏したのを70年歳と記憶していたことと、YouTubeで首実験をした結果、2回の演奏時に、カザルスの椅子の位置が違う事で、珍しくメモ書きして事実整理をした結果「うんわー!」と驚き、なんか本当に、20世紀初頭の「バック・トウ・バッハ」を牽引し(無伴奏チェロ曲を蘇生させたことで)、60年後にはすっかり政治的な身振りがお似合いになった(途中、シュヴァイツァーと反核運動などもしながら)カザルスに対する「仕打ち」は、もう、殺し屋ぐらいヤバいです笑。 もしカザルスがユネスコ村かなんかで1回だけ事前コンサートを開いた、ぐらいだった良かったわけですが、ご調査の通り、ゴルダ・メイア(イスラエルの女性首相。明らかに「エビータ」のイスラエル版である、半生記ミュージカルあり)時代のイスラエル音楽祭(初回=61年=ルムンバ暗殺年)で演奏し、鳥はピースピースの試運転みたいなスピーチをしており、スペイン人の天才は、とても良い意味で、政治的なアクション、というのを、慈善事業ぐらいに考えているという牧歌を感じましたが、やはり名演奏家というのはバカだな笑、と思います。
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
(著者)
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やはりアビー・リンカーンはヒステリアというか、ヒステリアで一安心というか、実際、アビーリンカーンのトランスした声を聴いて感動し、活動に掻き立てられた人物などいないと思います。これだけ口も心も汚くなったネットの世界でも「あれフェイクだろ」「ヤバい女じゃね?」といった言説は、僕が見る限りひとつもなく、全て儀礼的な褒め倒しで、何か「ずっと、ウザくてちゃんと聴いてなかったけど、褒めるべきですよね。機会をくれてありがとう」とホッとしたジャズ批評家もいっぱいいたと思うんですが、これもベルギー人の二枚舌で、結局、嘘の呪術であるリンカーンと、本物の呪術であるサッチモ&ニーナシモン(彼らは、楽器の演奏と歌唱が離れることなく融合しているので)の対比によって、ほぼイメージ的に「リンカーンはやっぱり邪な女」という余韻なので、いずれにせよ本作は、相当意地が悪く、意地の悪さはセンスの良さと通じるよなあ。と、優しく正しい人しか許さない、恐ろしい世界ので、痛快というより、救いを感じました笑。善人マックスローチには気の毒ですが笑。
何もかもLRにステレオ分離されているこの映画では、ジーグフェルト・ミュラーとマッド・マイク・ホアが傭兵の代表として出てくるのですが、変わらず毎日コロンボを見ているのいで、まるでジークフェルド・ミュラーが、悪役用の俳優が演じているキャラクターのように(ギガ的に)見えてしまい、一方、コンゴでしたことの酷さはずっと酷い、マッド・マイク・ホアが、なんとヨット上でインタビューを受けているのは、明らかに「真夏の世のジャズ」を、最悪の形で象徴化した、ベルギー人の底意地の悪さに心底惚れ惚れしました笑。
DJプレイが沼をつくった時と同じように、「ストーリの上述」に重きが置かれ、一種の単調さが出てくる終盤ですが、そこを抜けると、凄まじいエディティングが出てきて、カザルスとハマーショルドの一件が出てきます。僕が「あれ?何だこれ?」と異変に気がついたのは、子供心にカザルスが国連で演奏したのを70年歳と記憶していたことと、YouTubeで首実験をした結果、2回の演奏時に、カザルスの椅子の位置が違う事で、珍しくメモ書きして事実整理をした結果「うんわー!」と驚き、なんか本当に、20世紀初頭の「バック・トウ・バッハ」を牽引し(無伴奏チェロ曲を蘇生させたことで)、60年後にはすっかり政治的な身振りがお似合いになった(途中、シュヴァイツァーと反核運動などもしながら)カザルスに対する「仕打ち」は、もう、殺し屋ぐらいヤバいです笑。
もしカザルスがユネスコ村かなんかで1回だけ事前コンサートを開いた、ぐらいだった良かったわけですが、ご調査の通り、ゴルダ・メイア(イスラエルの女性首相。明らかに「エビータ」のイスラエル版である、半生記ミュージカルあり)時代のイスラエル音楽祭(初回=61年=ルムンバ暗殺年)で演奏し、鳥はピースピースの試運転みたいなスピーチをしており、スペイン人の天才は、とても良い意味で、政治的なアクション、というのを、慈善事業ぐらいに考えているという牧歌を感じましたが、やはり名演奏家というのはバカだな笑、と思います。