>>2 僕が最初に「90年代ノットデッド」という言葉を使ったのは、「CDは株券ではない」なので、すでに20年前ということになりますが、要するに2005年の段階で、「もう、20世紀みたいに10年づつ変わる」という事が終わり、そうなると、その最後のフェーズが90年代(世紀末ですよね)になるので「90年代」と「直撃」が重なると最強になるのではないか?といった話でした笑。 んで、こないだ中国に行って来まして、一方、10年前(2015年あたり)には良くソウルに行ってたんですよ。 どっちも渋谷系(90年代。まあ「初期渋谷系」のが厳密でしょうかね)だったんですよ笑。 例の、川勝さんなんかが熱に浮かされて(良い意味で)書いていた「世界同時渋谷系」という、スローガンみたいなものがありましたが、あれは、おそらく、、、、ですが、パリとか北欧とか、目線がヨーロッパに向いていたと思われます。いずれにせよ「アメリカに渋谷系なんかこない」という事ですが。 ソウルは10年前が「渋谷系になりたて」、現在は「渋谷系の完成」で、中国がそれに丁度10年遅れている感じだと思います。上海ブルーノートと、そこに集まった観客は90年代の渋谷みたいでしたが、まだ「なりたて」で、きっちり10年後ではないでしょうけれども、何年かかるにせよ、中国は渋谷系を完成させると思うんですよ。 <90年代=渋谷系>とは何か?というのは複合的で難しい問いなんですけど、濃縮還元すると「センスとヘタウマ」だと思います。 中国の芸能にも、韓国の芸能にも「全く」なかった奴です。ジャパンクールですよね。でも「ああ、アジアはちゃんと渋谷系=90年代=センスとヘタウマ。をやりたがるんだなあ」と思いました。 んで、僕のルポライトも、川勝さんの夢想も、「アメリカでは無い」という店では同じですね。その根拠は「ブルーノート」というのは、構造化して「ウマ」に達した「ヘタ」だから。だと思っています笑。 日本にも同じようなものだあって、歌舞伎の「ツケ」という、役者の動きに、蒲鉾いたみたいなので、打撃音を合わせますが、あれ、ズレてないとダメ何ですよね。あれはブルーノートだと思います。能楽とか、ある露アメリカンに聞こえます僕は笑。 と、これは極論、というかハードコアフォーマルであって、ソフトコアカジュアル的には、今、韓国は、嫌韓も解毒されて、すっかり渋谷系。だと思うんですよね。何せ韓国人が、日本語みたいにグニャグニャ曖昧な滑舌で韓国語を話し始めてますからね笑。 僕は今、インドネシア等の「90年代とも違う、変な柔らかさ」にヤラレてるんですけど、90年代にはエンドユーザーではなく、現場にいたので「リスナーとして直撃」されなかったから。という説明ができます。 僕が興味があるのは、日本が90年代以降、ある部分、時が止まったように、中韓国もそうなるのかな?という事ですね。
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
(著者)
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僕が最初に「90年代ノットデッド」という言葉を使ったのは、「CDは株券ではない」なので、すでに20年前ということになりますが、要するに2005年の段階で、「もう、20世紀みたいに10年づつ変わる」という事が終わり、そうなると、その最後のフェーズが90年代(世紀末ですよね)になるので「90年代」と「直撃」が重なると最強になるのではないか?といった話でした笑。
んで、こないだ中国に行って来まして、一方、10年前(2015年あたり)には良くソウルに行ってたんですよ。
どっちも渋谷系(90年代。まあ「初期渋谷系」のが厳密でしょうかね)だったんですよ笑。
例の、川勝さんなんかが熱に浮かされて(良い意味で)書いていた「世界同時渋谷系」という、スローガンみたいなものがありましたが、あれは、おそらく、、、、ですが、パリとか北欧とか、目線がヨーロッパに向いていたと思われます。いずれにせよ「アメリカに渋谷系なんかこない」という事ですが。
ソウルは10年前が「渋谷系になりたて」、現在は「渋谷系の完成」で、中国がそれに丁度10年遅れている感じだと思います。上海ブルーノートと、そこに集まった観客は90年代の渋谷みたいでしたが、まだ「なりたて」で、きっちり10年後ではないでしょうけれども、何年かかるにせよ、中国は渋谷系を完成させると思うんですよ。
<90年代=渋谷系>とは何か?というのは複合的で難しい問いなんですけど、濃縮還元すると「センスとヘタウマ」だと思います。
中国の芸能にも、韓国の芸能にも「全く」なかった奴です。ジャパンクールですよね。でも「ああ、アジアはちゃんと渋谷系=90年代=センスとヘタウマ。をやりたがるんだなあ」と思いました。
んで、僕のルポライトも、川勝さんの夢想も、「アメリカでは無い」という店では同じですね。その根拠は「ブルーノート」というのは、構造化して「ウマ」に達した「ヘタ」だから。だと思っています笑。
日本にも同じようなものだあって、歌舞伎の「ツケ」という、役者の動きに、蒲鉾いたみたいなので、打撃音を合わせますが、あれ、ズレてないとダメ何ですよね。あれはブルーノートだと思います。能楽とか、ある露アメリカンに聞こえます僕は笑。
と、これは極論、というかハードコアフォーマルであって、ソフトコアカジュアル的には、今、韓国は、嫌韓も解毒されて、すっかり渋谷系。だと思うんですよね。何せ韓国人が、日本語みたいにグニャグニャ曖昧な滑舌で韓国語を話し始めてますからね笑。
僕は今、インドネシア等の「90年代とも違う、変な柔らかさ」にヤラレてるんですけど、90年代にはエンドユーザーではなく、現場にいたので「リスナーとして直撃」されなかったから。という説明ができます。
僕が興味があるのは、日本が90年代以降、ある部分、時が止まったように、中韓国もそうなるのかな?という事ですね。