>>8 映画監督に限らず、「反戦」はエモすぎちゃって、かつモダニストは高度成長期にそれを隠していたので、もう熟成がかかっちゃって笑、反戦なんだか嗜戦なんだかわかんない、というか自己撞着を起こしており、それがマルキ・ド・サドの理論だとまでは言いませんが、性倒錯ギリギリまで言ってますよね。中でも遺作は物凄いバイブスになってて、ご指摘の川島芳子役の方も、映画監督の過半数が持つであろう、女優への加虐性を受け止め過ぎちゃって笑、すごくプレモダンに見えるんですよね笑。 これは、黒澤天皇の「貧困=プロレタリアート問題」とほぼ同一形で、東宝のプロデューサーと、脚本家たちがスクラムを組んで取り押さえないとダダ漏れるんで、「7人の侍」ぐらいだと時代劇なんでアレですが「どてすかでん」とか、もう「貧富の格差があってはいけないし、精神障害者差別があってはいけない!大人になれない親の、子供への虐待は最悪だ!」と、黒澤の意識が思い過ぎてて笑、普通に逆でしょそれ。とげんなりさせられます。僕は黒澤が、戦時中でセットも組めず、撮影所倉庫の廊下を使わないといけない、という黒澤史上最強の押さえつけられ方をした「虎の尾を踏む男たち」が最高傑作だと思っていて、やっぱ「監督主義」とか「監督の時代」とかいう20世紀のアレは、画家のソレの写しであって、映画に関しては、かなり危険な発想だったと思います。 核武装の件は、いずれにせよ実現は無理で(非核三原則に反しますし、何せメンタリティの肥厚と体積がハンパないんで)、単にディベート的なロジックですが、「核の脅威」が「戦争の悲惨さ」に包摂され、「反戦」に連結され、「祈り」に還元されている、という連合を断ち切った、シンプルかつインターナショナルな「反核行動」の独立と達成に至るのは、核兵器を一度「テクノロジーである」という視点に戻してあげて、日本の技術力を総動員した世界最高のそれを、日本の沿岸部全てに設置するだけで(これは、ぐるっと回って、張子の虎、もしくはトロイの木馬で、実際はダンボールかプラスティックで出来ているデコイでもいいのです)国軍も持たないし、AI制御みたいなこともしないし、ただ設置して、射程はアメリカのニューメキシコ(ワシントンDCとかではなく)にしか向けていない。として、あとはひたすら黙っているのが、ニューオーダーとしては良いと思うんですよね。これだって祈りの変形で、軍事とは言えないので(北朝鮮から使い古しを一個もらう。というのは反米という政治的な立場がフィクスされるでしょうから)。現行の反核の「祈り」は、政治や軍事と結びつきがなく、このままだと「弱い宗教」に進んでゆく可能性が高いです。ですのでせめて「強い宗教」になった方が良いと思いますね。 これはNHK批判ではないですが、NHKさいたまの技術力で、被曝直後の小学校の惨状をVRで経験させる、ということを都内の中〜高校生にさせて、彼らを震え上がらせ、広島まで話を聞きに行こう!という結論をリーディングして、なんつうか、「よしとしていた」としか言いようがないんですが、VR使わなくたって、毎年毎年、中〜高校生が広島まで話を聞きに行くことは繰り返しているので(僕が生まれた時から繰り返されています)、あんな過剰な恐怖を与えて、彼らが後年、単なる火傷を負ったときに、ケロイドに見えてしまったり、もっとシンプルに、ニキビがひどくなった時に、ガラス片が顔面に埋まっている写真とイメージ連結が止められなかったりしたら、シンプルに被害だよなそれは。としか思えませんでした。
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
(著者)
>>8
映画監督に限らず、「反戦」はエモすぎちゃって、かつモダニストは高度成長期にそれを隠していたので、もう熟成がかかっちゃって笑、反戦なんだか嗜戦なんだかわかんない、というか自己撞着を起こしており、それがマルキ・ド・サドの理論だとまでは言いませんが、性倒錯ギリギリまで言ってますよね。中でも遺作は物凄いバイブスになってて、ご指摘の川島芳子役の方も、映画監督の過半数が持つであろう、女優への加虐性を受け止め過ぎちゃって笑、すごくプレモダンに見えるんですよね笑。
これは、黒澤天皇の「貧困=プロレタリアート問題」とほぼ同一形で、東宝のプロデューサーと、脚本家たちがスクラムを組んで取り押さえないとダダ漏れるんで、「7人の侍」ぐらいだと時代劇なんでアレですが「どてすかでん」とか、もう「貧富の格差があってはいけないし、精神障害者差別があってはいけない!大人になれない親の、子供への虐待は最悪だ!」と、黒澤の意識が思い過ぎてて笑、普通に逆でしょそれ。とげんなりさせられます。僕は黒澤が、戦時中でセットも組めず、撮影所倉庫の廊下を使わないといけない、という黒澤史上最強の押さえつけられ方をした「虎の尾を踏む男たち」が最高傑作だと思っていて、やっぱ「監督主義」とか「監督の時代」とかいう20世紀のアレは、画家のソレの写しであって、映画に関しては、かなり危険な発想だったと思います。
核武装の件は、いずれにせよ実現は無理で(非核三原則に反しますし、何せメンタリティの肥厚と体積がハンパないんで)、単にディベート的なロジックですが、「核の脅威」が「戦争の悲惨さ」に包摂され、「反戦」に連結され、「祈り」に還元されている、という連合を断ち切った、シンプルかつインターナショナルな「反核行動」の独立と達成に至るのは、核兵器を一度「テクノロジーである」という視点に戻してあげて、日本の技術力を総動員した世界最高のそれを、日本の沿岸部全てに設置するだけで(これは、ぐるっと回って、張子の虎、もしくはトロイの木馬で、実際はダンボールかプラスティックで出来ているデコイでもいいのです)国軍も持たないし、AI制御みたいなこともしないし、ただ設置して、射程はアメリカのニューメキシコ(ワシントンDCとかではなく)にしか向けていない。として、あとはひたすら黙っているのが、ニューオーダーとしては良いと思うんですよね。これだって祈りの変形で、軍事とは言えないので(北朝鮮から使い古しを一個もらう。というのは反米という政治的な立場がフィクスされるでしょうから)。現行の反核の「祈り」は、政治や軍事と結びつきがなく、このままだと「弱い宗教」に進んでゆく可能性が高いです。ですのでせめて「強い宗教」になった方が良いと思いますね。
これはNHK批判ではないですが、NHKさいたまの技術力で、被曝直後の小学校の惨状をVRで経験させる、ということを都内の中〜高校生にさせて、彼らを震え上がらせ、広島まで話を聞きに行こう!という結論をリーディングして、なんつうか、「よしとしていた」としか言いようがないんですが、VR使わなくたって、毎年毎年、中〜高校生が広島まで話を聞きに行くことは繰り返しているので(僕が生まれた時から繰り返されています)、あんな過剰な恐怖を与えて、彼らが後年、単なる火傷を負ったときに、ケロイドに見えてしまったり、もっとシンプルに、ニキビがひどくなった時に、ガラス片が顔面に埋まっている写真とイメージ連結が止められなかったりしたら、シンプルに被害だよなそれは。としか思えませんでした。