野暮用とは言ったもんで、粋な用事なんてない。初詣に行けたのもギリギリだったのだが、その後も野暮で無粋な用事(勤労のことですよ)ばかりが続き、もうどうせくたばり待ちの人生だし、ちったあ粋な事でもしたらよかろうにとも思うのだが、もうこの国全体、というか、人類全体が粋であることを停止してしまっている現在、それはつまり、浴衣と草履とカンカン帽ぐらいは持っているし、旨いかき氷を出す団子屋も近所にある。
エロいことでさえ良いのだ。例えばうら若き女性に猿轡、お縄をかけて部屋の真ん中に転がし、それと街の喧騒を肴に冷やした焼酎をぐい呑みでやるとか。しかしそんなものは全てもうコスプレに過ぎない。粋のコスプレも老人のコスプレも無惨だ。というか、20世紀のコスプレはもうやめた方が良い。1920年代に19世紀のコスプレイヤーは山ほどいた。彼らは皆無惨だった。2020年代に20世紀のコスプレをしても、それは100年後の無惨に決まっているのだ。
とか何とか、60過ぎたら怪我や病気に恵まれ、体の自由もどんどん奪われて行く中、生まれ持ってのワーカホリックがやや重症化していることに気づき、しかしワーカホリックの始原はおそらく直立猿人からだろうと思われ(直立したので、忙しくしていないと落ち着かなくなったのである。簡単な話だよね。チンパンジーの真似をすればわかる。労働なんかする気がなくなる)、幸にして20世紀のコスプレではないのでセーフ。
とまれ粋にだって通時性はあろうと言うもの(しかし、「共時性」って、ソシュールとユングで術語の訳語が全く同じって良いのかね?と未だに思っているのだけれど、これこそ20世紀だよね)、粋の現在地はどういったものか? <そんなことは考えてわかるものではない>とか言いそうでしょ。全然違うのである。しっかり考えるべき話なのだ。しかし分からない。うーん。あれかな。これかな。
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