菊地成孔(著者) のコメント

菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>1

「別れのワイン」は、「別れのワインが人気投票で上位になることを阻止する派(因みに「刑事コロンボ研究」も、派閥的にはそこに入ります笑)」と言う集団を産むほどに影響力が強い作品で、元々はナパヴァレー観光誘致の話だったはずですが(コロンボ全体が、LA観光誘致の側面を持っています)、ドナルド・プレザンス(カッシーニ)とジュリー・ハリス(秘書。舞台女優として有名)の、なんだか知らないけど、普段の他の仕事の水準を大きく超えた名演技によって、コロンボ初のメロドラマとして東映映画のファンまで巻き込むエモ度を記録しています。

ローマンカソリックに於ける血の物語であることは、海外サイトなどでも指摘される基本構造ですが、何よりもポップカルチャーとして強烈だったのは、まだアメコミだのマクドナルドだのディズニーランドだのには、安定的な定石がなかった「アメリカのナード」という設定をドラマ内に持ち込んだことで、元々ナードだったミステリーファンの被差別感由来のマゾヒズムが核爆発を起こしたような回です。

コロンボはヤンキーもヲタクもサヴァンなどの症候群系の多動児ぶりも、ヒューマニストも兼ね備えた全部載せキャラですが、ここでは「オタク」を抽出しており、同じくフェイク・イタリアーノであるドナルド・プレザンスと共に、カソリシズムの話として悪目立ちしない、新たな世界宗教とも言うべき「オタク」の共振を描いています。有名は「つまらない理由で結婚する人はたくさんいるわ」「結婚より監獄のが自由」と言うアレも、一般的な女性恐怖というよりも、オタクの女性恐怖を描いており、人類全員がオタクになり、どのコンテンツも全ての市場に置かれ得る現代と違い、まだオタクが被差別だった牧歌的な黄金時代の産物として、あまりに当たりすぎてしまったので(世界中の人気投票で圧倒的な1位になりました。エモ勝ちはすでに70年代中期からのものだったとも言えます)、その後スタッフは「別れのワイン」が基準化してしまい、類型を作ったり、物語構造を反極に振ったりします。

 息詰まる展開の中、ほっと一息つけるコメディ・リリーフである料理店のメートル・ドテルとソムリエですが(「エクソシスト」における警部みたいな→この構図はコロンボに影響与えているはずです)、マニアには「みんな大好きヴィト・スコッティ」と言われているコメディアン、ヴィトー・スコッティで、彼らだけがリアル・イタリアーノなので、「別れのワイン」は、他人事のカソリシズム劇に乗せて(劇団四季のウエストサイドストーリーみたいな)、アメリカにおけるワインの普及(それはナパヴァレーの知名度定着とロバートパーカーのPP制が出てくることで平衡するわけですが)と、ナードを扱うことで、ワールドスタンダードになるという、ある意味、ハリウッドが全部そうなんじゃないの?という座組ですね。

 ミステリーオタクからもワインオタクからも毀誉褒貶が激しいですが、僕個人は、いくら衝動殺人で、死体遺棄に時限が切られていようと、「セラーの空調を切って、犯人を窒息死させる」は、ワイン愛好家として無茶だろう(それだったら畑のどこかに穴掘って埋める方がバレない)、という点と、ナパヴァレーの気象を知り尽くしている犯人が、ニューヨーク旅行中、気温を(あんなに上がらなくても)一切気にしない、というのは、解離を含んだとしてもあり得ない。というモヤモヤが最後まで残る残念な作品ですね。

 類型の「コロンボと犯人が友情を結ぶメロドラマ」には、あのジョニー・キャッシュが犯人の、ヤンキーバージョンもあるんですが、全く人気がありません。ミステリーファンという票田、一般市民という票田が、まだDQNやヤンキーを生理的に受け入れていないという、ものすげえ被差別構造(オタクは黒人を超えて、イスラエル人になりつつあります)を露わにし続けている回とも言えますね。

No.2 10ヶ月前

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