そろそろ情報公開されると思うんだが、近いうち(夏前)に中国でツアーを行う(凱旋の東京もあります)。なので第一にはパスポートを、第二には就労ビザを取りに行くわけだが、有明なんですよね。第二次UWF時代には行ったよなー。有明コロシアムテニスの森?で、着席していたら、当時、愚兄のライヴァルポジションだった夢枕獏さんに「菊地さんの弟さんですよね?」とか言って声かけられた事あったんだよなー。
それから10年代にはTHE OUTSIDERの初期(朝倉兄弟の登場前まで)の為に、もっと頻繁に有明に通うようになって(ディファですよディファ)、それからまたしても15年飛ぶわけで、もう、最近は「懐かしい」という感覚がオーヴァーフロウしたかあるいは逆にすり減っちゃったかして、そこにデジタル4Kリマスタリング時代も重なってきたおかげで、もう自分が何歳で、いつ何があったか全くわからないままに初老になっているから、例えば話題のヒス構文とかも、そうだな10歳若かったら「なんじゃあそりゃあー」ぐらいだったと思うんだけど、もう本当に何も感じない。「昔からあったよねそれはね」としか思わなくなった。「刑事コロンボ研究」は、もう老けメイクというか、「就中」とか「然るに」とか「果たして何をか言わん」とか「承前、御首肯賜る事なかれと」とかいうラインばっか使っているので、出版されたら何言われるかわかったもんじゃない。
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>>2
ご返信をいただきありがとうございます。
料理店のスタッフ数名だけがリアル・イタリアーノであったという事実は盲点でした。出演者のエスニシティと役柄のエスニシティとが分離しているのは『策謀の結末』の時点で気づけましたが、『別れのワイン』では出演者のエスニシティがフェイク・イタリアーノである犯人と刑事だけが共同の演舞に没頭していて/出演者のエスニシティがリアル・イタリアーノである人々は他人事でコメディ・リリーフになっている構造は、とても面白いですね。
コロンボを観ていると、倒叙で提示される捜査線(通常、犯人⇄コロンボ間で完結する)の外部に登場する人々の役割も毎回違っていて、その「他人事感」のレベルが犯人⇄コロンボのグルーヴとは別に設定されているのが面白いと思います。『別れのワイン』の料理店のシーンも、最初観た時はいわゆる「劇団コロンボ」の構えではないかと思っていました。
昨晩観た『逆転の構図』は、普段目立たないコロンボの同僚たちとバンドを組んで「詰め」に入る造りで、いつになく神経質にヒートアップした犯人(実際、あの回でのコロンボの執拗ぶりは度を超していましたが笑 しかし、コロンボが肝心の着想を得るきっかけのカメラ屋の店員は、「他人事感」丸出しの人が思いがけず捜査にヒントを与える例として面白かったです)と・コロンボと・同僚たち それぞれの熱意の差も手伝い、「劇団コロンボ」パターンの話として見どころが多くありました。
『別れのワイン』のローマ・カトリシズムが実は囮で、 “新たな世界宗教とも言うべき「オタク」の共振” のほうが大歓迎されたというのは、ご指摘いただいた後で腑に落ちました。あのエピソードには “オタクの女性恐怖” が存在するわけですが、21世紀を迎えた今では、「女性オタクの女性恐怖(または蔑視)」がどのように流通しているか、とテーマを新設することもできますね(二次創作の市場も含め、「オタク的共同性に参入すること」と「自身の女性性を削除または虐待すること」がなぜか抱き合わせになっているかのような女性の精神性は、私と同年代では少なからず見られるようになってきたので)。
また、「Q:殺人を犯して刑務所行きになったオタクは、『別れのワイン』のように心穏やかになれるのか?」・「A:刑務所行きまでの過程でオタク的な話が合う者が居たかどうかによる」という、無駄な問答まで着想してしまいましたが(笑) 『エクソシスト』の原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティの小説作品に「月に行くというのはどんな気分ですか(恐ろしいのですか)?」・「誰と一緒に行くか次第だな」という美しいセリフがあり、これは『別れのワイン』のラストとも一種通じるものかと思います(ブラッティはカトリックのレバノン移民です)。ブラッティの作品には映画オタク的なセリフがしつこいほど出てきますが、『エクソシスト』のボツ版エンディングにも「すべてが済んだ後、映画好きのキンダーマン警部補がダイアー神父を映画に誘い、新たな友情が始まる」という描写がありました(しかも「かみさんが出不精でね、付き合ってくれんのですよ」という警部補のセリフまであるらしいです)。これは悲惨事(『エクソシスト』なら悪魔との闘い/『刑事コロンボ』なら捜査の詰め)を経過した人々に用意される「オタク性と友情と救済」をめぐる道具立てとして、21世紀現在まで持ち越されているのでしょうね。
(著者)
>>3
え?おいくつですか?笑
(著者)
>>4
女性によるミソジニーは、なんかトランプが全部吹き飛ばしてくれるんじゃないか?ぐらいの勢いですが笑、なんでも気にするリベラルの病と看做すこともでき、コロンボはシリーズとして見ると、共和党寄りの回と民主党寄りの回があって(共和党寄りは流石に少ないですが笑)面白いです。
「同人誌周り=2次制作」ですが、AIにとって変わるか、興味があります。この本はかなり厚いんですけど、冒頭は「これを書き終える頃には、AI生成による、70年代、旧シリーズのコロンボ、の新作。が誰でも作れるようになっているかもしれない」という宣言から始まります。
「逆転の構図」のコロンボの詰めは、あれはガチではなく、劇団の主役による熱演で、あの形(わざと熱血バカを演じ、プライドが高い犯人に「訂正」させ、それが自白になってしまう)はコロンボ©️として、のちに反復されますが、「逆転の構図」がオリジナルであり、かつ、一番うまく行ってますね。あらゆるミステリーに類例がない「捜査主任の刑事がバカを装って犯人を苛立たせる」というのは、おそらくアメリカ物語史上初めての「発明」ですが、コロンボはヴァリネラブルを取り込み、それを利用するというキャラクター造形が全てなので、そこから導かれた戦術となりますね笑。