田畑 佑樹 のコメント

>>5
 ご返信をいただきありがとうございます。

 望遠鏡と銀貨のギミック、ご指摘されるまで気づきませんでした。『エクソシスト』冒頭では邪性の象徴のようなペンダントを拾う場面があったと記憶していますが、『策謀の結末』で手詰まりの状態から銀貨に導かれるというのは、同じエクソシズム的表現でも全く別の意味になりますね。銀貨が望遠鏡を介して「来たりて見よ」(ヨハネ福音書1:39)と働きかけるわけですね(笑)
 あの回でコロンボは、ラジオ出演前にせびった小銭で電話をかけて横槍もとい揺さぶりをかけるので、その後にくる望遠鏡と小銭のくだりは単なる時間の遷移と切迫感の演出(「マズいなあコロンボ、いつもの手でハメられなくなってるぞ」的な)だけだと思っていました。
 そして前回のコメントでは書き忘れましたが、『策謀の結末』での治療=祓魔の作業は、一貫して体技として描かれていたのが重要だったと思います。(あらかじめ、菊地さんのラジオデイズを介して)あの回ではコロンボがかつてないほど走り回って長距離を移動するらしいことを知っていただけに、その前後にある酒づきあいやダーツや即興詩吟誦も含めて、知能合戦だけではなく体技を通してあの2人は共同で穏やかな境地に達する、というのが素晴らしく思われます。素人の私は注意して観ないとあまりピンときませんが、内気功の心得をお持ちの菊地さんは、コロンボがやっていることの体技性に関して膨大な情報量を受け取っておられるのかもと思います。
 さらに関して言えば、『策謀の結末』はラストシーンの絵面が白昼である点も新しいなと思いました。「魔が祓われる瞬間」が真夜中ではなく白昼にくる。というのも、前述したエクソシズムモチーフの脱構築として見事です。『アベンジャーズ』第1作目の真昼の市街地でのアクションシーンが、当時のUSA市民たちにとっては9/11の外傷記憶からの立ち直りと・同時に『ダークナイト』的な「暗ければえらい」タイプの価値観からの脱却の両方を意味していた、みたいなことですね。コロンボはあの回で決着がついてから「今回は危なかった。〔ネタバレ要素なので省略〕してなかったら気づけなかったかもしれません」みたいなことを言いますが、あれは虚脱状態にある犯人への気遣いというより、ガチの焦燥と疲労を安堵交じりに漏らしているのだと思います(ご指摘の “「インテリで文学的な方が患者」という設定” も、実在する医者と患者間の幸福な関係性としてのリアリティはもちろんのこと、脱マッチョイズム・脱ポテンシャリズム的な表現としても美しいですね)。これも含めて、『刑事コロンボ』シリーズは治療=祓魔の作業が体技でもあることを見せてくれますし、その特性は精神分析の臨床と同じくらい音楽の演奏にも近いのかもしれませんね。

(ところで、この返信を書きながら、「世を徹しての看病、夜警」を意味するカトリック的観念である vigil の語が脳裡をよぎっていたのですが、あっこれが vigilantism の語源なのか、と今更気づきました。コロンボはもちろんLAPD?所属ですが、犯人=患者のために昼夜問わず接近する姿が vigil(antism)っぽい。このへんにも私が『策謀の結末』にエクソシズムっぽさを感じた理由なのかもしれません。)

No.9 10ヶ月前

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