私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある。と言っても信用されないだろう。すぐには。
仕事柄、立ったままでもどこでも眠れるようになっていた私だが、今は寝床に向かう時間だ。私はむしろ緊張しながら歩いていた。今は菊地くんに見間違えられてはいけない時だ。私は左手の甲を隠すために、季節外れの革手袋をしっかり付け、フードをかぶって、マスクをした。特に目立たない程度に。
すると、さっき高台で香っていたパンの香ばしい香りがどんどん強まってきた。うっすらだったそれは、明確なものに変わった。焦げ目の匂い、バターの香り、何らかのクリームを精錬する匂い、入荷したばかりの、小麦粉の袋の匂い、それらは、チーン、とかグイーンとか、ドサッっといった聴覚情報も伴っていた。間違いない。私は思わずマスクを外して、大きく香りを嗅いだ。
ほお、こんな場所にパン工場ができていたのか。自分がしばらく寝床を留守にしていた間に。一体、何年帰ってないだろう?震災直後に一度、帰宅して何日間か眠り続けた時があった。あれ以来だとしたら、ざっと7年前だ。前にも書いた通り、私は私のやり方で、被災した人々からの仕事を請け負いって来た。菊地くんが毎週、赤坂のスタジオに通っているのを尻目に。一体どこだろう?私は何かを感じ、としか言いようがない状態で、リスク承知でパン工場を探していた。
すると、さっきからうっすら聞こえていた歌のようなものが、なんだかわかってきた。それは、椎名林檎のCDのボーナストラックであろう。アカペラの「丸の内サディスティック」だった。方、こんなトラックがあるのだな。いや、ないな。ない筈だ。椎名林檎がアカペラを製品化する訳がない。私は極端に耳をすませた。
耳をすませた瞬間、まるで逃げ去るように「丸の内サディスティック」は終わってしまい、しばらくすると、アカペラはMISHAの「逢いたくて今」に変わった。よもや明確だった。椎名林檎の声でも、MISHAの声でもない。それは、恐るべき丁度よさとのびやさを持った、天然の魅力に満ちた、柔らかくて深い、少女の鼻歌だった。一般的な鼻歌と違うのは、川の向こうまで届くほどの自然な声量と、部分部分、オリジナルの節回しよりも魅力的な、独特の節回しを持っていたことだ。
おいおいおいおいおい。うおっとっとうおっとっと。落ち着けBOSS THE NK。私は、歌が聞こえる方へ向かっていった。それは、あらゆるパン製造の香りがする方向と同じだった。
落ち着け。落ち着け。まだわからない。何もわからないぞ。即断は命取りだ。と自分に言い聞かせながら、私は心拍数と血圧が上げるのを止められなかった。疲労困憊した体は、余計それを止められない。
気がつくと私は「○○製パン」という看板を掲げた、ごくごく普通の工場の前に立っていた。たいして大きくも小さくもなく、古くも新しくもない、全く特徴のないそのパン工場からは、工員たちの会話が聞こえてきた。
「工場長、最近、練りの機械、スイッチ切り替えたっスか?」「いや、いつもと同じミドルだけどな」「ここんとこ、ちょっと種が硬すぎないスか?」「そうか、、、発酵は?」「何も変えてないじゃないスか~」「おい山本、イーストの量、、、」「自分、変えてないス」「内堀~」「自分も正直、ここんとこ、ちょっと硬いと思ってたデス」「あーあ、練り機チェックすっか」「えー?今からスか?」「だって、みんな硬てえって思ってんだろ。焼き上がり出せ」「了解じゃないスか、、、、、っても、今焼きあがったの、これだけっス」「何だお前、クリーム詰めてねえクリームコロンじゃねえか、、、、まあ、その方がわかるか、、、、、、あ、硬えなあやっぱ」
工場長の老人以外、工員は全員、同じ話し方をしていた。集団によく起こる現象だ。私は歌の主、間違いない天才である、おそらく少女と思われる人物を、血眼になって探した。
「おいお前、もっと昔の歌知らねえのか?(笑)お前の歌聴いてると機械まで調子狂うってよ。あははははははは」「昔のってなんスか?内堀さん、自分よくわかんないじゃないスか~」「そりゃあ、お前、、、、昔の曲ってのは、、、、昔の曲だよ!スナックとかで流れてねえ奴をよ」「うーん、、、、、わかったじゃないスか!」
声の主は、あろうことか、バッハの世俗カンタータ39番の第一部、コラールから、すべて声で歌い出した。歌詞はデタラメのドイツ語だったが、音は1音残らず正しかった。初演は多くの世俗カンタータと同じ、1726年。キーは自分なりに変えてあったように思う。有名なリコーダーの対旋律も、声の主は正確無比に歌いこないした。器楽部もフーガも単旋律として暗記しているのだ。
工員たちは、皆黙ってしまった。コラールを歌い終えると、そのままレチタティーヴォに入った。工員たちは、すべての稼動中の機械を止めた。深く感動していたのだ。私と同様。このカンタータのタイトルは「飢えたるもに、汝のパンを分かち与えよ」と言う。
福音書のありがたい言葉ではない。旧約聖書のイザヤ書第58章7-8節を引用したものだ。当時、故国を追放されていたプロテスタントの難民が、ドイツの図書館都市、ライプツィヒに迎え入れられた。プロテスタントの聖トーマス教会のカントルだったバッハは、彼らの歓迎、祝福の礼拝のためにこれを書いたと言われている。
レチタティーヴォを歌い終えると、工員たちの一部は、拳を握って涙を流していた。「、、、、なあ、この曲は何ていう歌なんだ。教会の神様の歌だろ?」「なあ、教えてくれよ」「知りたいじゃないスか」
私の視力は彼女をロックオンし、戦慄した。工場の天井近い櫓は、オペラハウスのバルコン席のようでも、鐘塔のようでもあった。そこで歌うと、反響が最も美しく響くのであろう。ジェルソミーナのように、ボロボロの古着を着て、強力粉で顔も髪も真っ白になっている少女は、得意満面の笑みで、階下にいる工員たちに向かって「これは、、、えーっと、、、、パンの歌じゃないスか!(笑)」と言った。
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