無料世界「第三インター」が閉店セール状態に入りましたので、こちらで、立ち上げ当初の企画「菊地成孔の一週間」を再開すべく、誕生日周辺の一ヶ月弱をまとめてみました。引用や大意をとって拡散して頂いても構いませんが(というか、止める手段が無いので、こんな事言ってもしょうがないのですが・笑)、なるべくならばミスリードに使用したり、「全くそんな事書いてねえよ」という歪曲(これを、悪意無く平然とやる人々で溢れた星に我々は住んでいます)はなさらぬよう、お願い致します。
2016年6月4日(土曜)
<何故私は、最初に初めて最初に抜けるのか?>
やはり、というべきか何というべきか、「インターネット空間に文章を無料で書く」という事は環境汚染だと判断し、一度帰郷したネッ都というバビロンから戻ったが、再撤退する事にした。今日、その旨を「第三インターネット」内のブログに書いた。本日より引っ越しが始まる。
ほとんどの人間が、ネッ都を後にする時、それはエゴサーチをして傷ついたり火傷をしたり、SNSという無限の社交ツリーの中で、疲弊してしまったから。であろう。つまり彼等は、「傷や疲労が癒えたらまた上京する」可能性を持っている。やがて結婚する恋人同士が、結婚に至るプロセスの中で「何度か別れた」と申告する事があるが、あれと似ていると思う。
私が撤退するのはそういった理由ではない、誹謗中傷や侮辱、流言飛語等々はインターネットのイの字どころか、パーソナルコンピューターのパの字も無い頃からやられ続けており、勿論ネット性マゾヒストではないので、悪口を言われると性的に興奮するとかいった癖は無い。
ただ、自分に対する攻撃、のコンテンツは、恐らく1976年ぐらいから現在に至るまで、メディアを変えつつ全く変わらない、「バカだなあこいつ」が50%、「まあオレに欲情してしまっているので仕方が無いな」が30%、「何が言いたいのか、どんな心理的機制かさっぱり解らない(憶測ぐらいは付くが)」が18%、「しまった痛い所を付かれた。完全にやられた」が2%で、つまり、一番痛い物は零点二割に過ぎないし、こういうものは知的で正しいので、痛いのは射殺の様に一瞬だ。
ただ、いつまでも苛立たされるのは、殺傷性のある激痛ではなく、身体の一部を柱に、中途半端にぶつけたような物で、怪我でもないし、出血もしていない(ちょっと血がにじむ程度はあるとして)、つまりただ無意味に痛いだけのもので、本当にイライラする。これが、割合的に半数を占める「バカだなあこいつ」なので、要するにネッ都という都は、「柱が立ちすぎている自治体」である、ネッ都の大通りを歩いていると、「痛て、あ痛、痛てててててて、、、ふーやっと、あ痛!!!」とか言いながら歩くことになり、自分を客観視するに、不細工甚だしい。
また、私はネッ都で暮らして「疲れた」と感じた事は無い(三次元ではものすごくあるが・笑)。おそらく「疲れる」という人々は心理的な基礎体力に欠けており、社交をし過ぎるのであろう。社交は二次元であっても疲れる行為だし、ネッ都は、リアル=三次元からの視点では引きこもり(社交拒絶)を生むが、二次元では、おそらく、ひきこもらせてくれない。
私は「最初に始めておいて、最初に抜ける」人間だ。「スペインの宇宙食」は、ブログ的な単一テーマでもない、昔日のエッセイ集でもない、インターネットの属性が無ければ生じさせ得ないタイプのヴァリエーションを持ったエッセイ集として、おそらく日本で最初の物であり、その事自体に、永遠の初期衝動と青臭さがあり、永遠と初期衝動と青臭さが大好物な日本人が喜んで喰ったのだと思う。SNS忌避者は、クリエーターを中心にこれから更に増えるだろう。
私が最初に「最初に始めておいて、最初に抜けた」最初の経験は、幼稚園のときの砂場に於いてである、私はお絵描きノートに絵を書いて、砂場に埋めたり刺したりする、メディアミックスを始め、これは幼稚園全体に爆発的に広がった。誰もがその遊びを行う中、そして、誰が最初にこれを始めたか、誰もが忘れる頃、私は砂場で遊ばなく成った。
2016年6月4日(土曜)
<何故私は、最初に初めて最初に抜けるのか?>
やはり、というべきか何というべきか、「インターネット空間に文章を無料で書く」という事は環境汚染だと判断し、一度帰郷したネッ都というバビロンから戻ったが、再撤退する事にした。今日、その旨を「第三インターネット」内のブログに書いた。本日より引っ越しが始まる。
ほとんどの人間が、ネッ都を後にする時、それはエゴサーチをして傷ついたり火傷をしたり、SNSという無限の社交ツリーの中で、疲弊してしまったから。であろう。つまり彼等は、「傷や疲労が癒えたらまた上京する」可能性を持っている。やがて結婚する恋人同士が、結婚に至るプロセスの中で「何度か別れた」と申告する事があるが、あれと似ていると思う。
私が撤退するのはそういった理由ではない、誹謗中傷や侮辱、流言飛語等々はインターネットのイの字どころか、パーソナルコンピューターのパの字も無い頃からやられ続けており、勿論ネット性マゾヒストではないので、悪口を言われると性的に興奮するとかいった癖は無い。
ただ、自分に対する攻撃、のコンテンツは、恐らく1976年ぐらいから現在に至るまで、メディアを変えつつ全く変わらない、「バカだなあこいつ」が50%、「まあオレに欲情してしまっているので仕方が無いな」が30%、「何が言いたいのか、どんな心理的機制かさっぱり解らない(憶測ぐらいは付くが)」が18%、「しまった痛い所を付かれた。完全にやられた」が2%で、つまり、一番痛い物は零点二割に過ぎないし、こういうものは知的で正しいので、痛いのは射殺の様に一瞬だ。
ただ、いつまでも苛立たされるのは、殺傷性のある激痛ではなく、身体の一部を柱に、中途半端にぶつけたような物で、怪我でもないし、出血もしていない(ちょっと血がにじむ程度はあるとして)、つまりただ無意味に痛いだけのもので、本当にイライラする。これが、割合的に半数を占める「バカだなあこいつ」なので、要するにネッ都という都は、「柱が立ちすぎている自治体」である、ネッ都の大通りを歩いていると、「痛て、あ痛、痛てててててて、、、ふーやっと、あ痛!!!」とか言いながら歩くことになり、自分を客観視するに、不細工甚だしい。
また、私はネッ都で暮らして「疲れた」と感じた事は無い(三次元ではものすごくあるが・笑)。おそらく「疲れる」という人々は心理的な基礎体力に欠けており、社交をし過ぎるのであろう。社交は二次元であっても疲れる行為だし、ネッ都は、リアル=三次元からの視点では引きこもり(社交拒絶)を生むが、二次元では、おそらく、ひきこもらせてくれない。
私は「最初に始めておいて、最初に抜ける」人間だ。「スペインの宇宙食」は、ブログ的な単一テーマでもない、昔日のエッセイ集でもない、インターネットの属性が無ければ生じさせ得ないタイプのヴァリエーションを持ったエッセイ集として、おそらく日本で最初の物であり、その事自体に、永遠の初期衝動と青臭さがあり、永遠と初期衝動と青臭さが大好物な日本人が喜んで喰ったのだと思う。SNS忌避者は、クリエーターを中心にこれから更に増えるだろう。
私が最初に「最初に始めておいて、最初に抜けた」最初の経験は、幼稚園のときの砂場に於いてである、私はお絵描きノートに絵を書いて、砂場に埋めたり刺したりする、メディアミックスを始め、これは幼稚園全体に爆発的に広がった。誰もがその遊びを行う中、そして、誰が最初にこれを始めたか、誰もが忘れる頃、私は砂場で遊ばなく成った。
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