村上裕一の(仮)

めるまがbonet[ 第15号 ]

2013/04/24 18:47 投稿

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◆╋◆      めるまがbonet -2nd season-
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◆           第15号              13.04.24
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先週号のインタビューいかがでした? じつはノッツお兄さんって
ぼんちゃんのかわいい似顔絵をかいてくれた人なんですよー!!
この『めるまがbonet』のシンボル画像にも使われてますね。
今回はインタビューの第2回がのってます。よーく読もうっと♪
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┌─────────────────────────────
├○ 今【1】ノッツインタビュー        [第2回]
│  回             
├○ の【2】梵天レビューシリーズ       [第4回]
│  目
├○ 次【3】編集後記(ぼんちゃんのお部屋)
└─────────────────────────────

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 【1】ノッツインタビュー         
    ギターを持ったマンガ家の唄       [第2回]
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片や初の単行本『クルミくん NO FUTURE』(小学館)を
2月に上梓し、『ソラミちゃんの唄』(芳文社)の発売も間近に控
えた新進気鋭のマンガ家。片や『ヘルメンマロンティック』(HA
TCH)でギターを手に甘い歌声を響かせるシンガーソングライタ
ー。はたまたミドリカワ書房「大丈夫」のPVを手がける映像作家
でもあり、supercellのトリビュートアルバムに参加する
ボカロPでもある――。『めるまがbonet』では、そんなさま
ざまなジャンルを股にかけて活躍するマルチクリエイター・ノッツ
へのインタビューを敢行した。全3回にわたって、その多才さを育
んだ半生から、作品に隠された秘密まで、未だ知られざるノッ
ツの
創作の核へと迫る。



■夢のキャンパスライフ?

――その後、大学に進学されるわけですが、進路はどのように決め
たのでしょう。

音楽の専門学校に進学するという手も一瞬考えたんですけど、そこ
からプロになるという道もあまり思い描けなくて……。それに、下
に妹が2人もいるので国公立の大学にしないと家計的に厳しいとい
う事情もあり、自分が行けるレベルで面白いところがないか探して
いたら、近場の山口大学に良さそうな学科があったのでそこを受け
ました。教育学部の国際文化コースという、教育学部なんだけど教
員免許を取らなくても卒業できる、すごく中途半端なところです
(笑)。とりあえず大学生になりたいだけっていう、僕みたいな人
間が行くのにちょうどいいところだなと(笑)。
それと、宅録の環境がそろっている実家の近くのほうが融通がきく
だろうという打算も大きかったですね。都会の大学に進学したら宅
録も難しくなるじゃないですか。山口大学だったら車で1時間ぐら
いで帰れたので。というかそもそも当時は、都会に出て行ってチャ
ンスをつかむみたいな発想も持ってなかったんですよね……そのあ
たりのことがよくわかってなかった(笑)。

――キャンパスライフはどのようなものでした?

はじめは真面目に音楽をやるつもりで軽音楽サークルに入ったんで
すけど、そこでは結局、普通に大学生活そのものを楽しんでいまし
たね。お酒を覚えたり車を運転するようになったりといった変化、
恋愛模様やサークルのあれこれとかがあって。
それとそのサークルがコピーバンドばかりやるところだったんです
よ。バンドでオリジナルをやるという空気ではなくて……。そうし
たサークルの基盤のうえで、上手く自分を出すタイミングをつかめ
ないままの状態が続いていたんです。なので結局、サークルではコ
ピーバンドをやって、家で1人自分の曲を作るというサイクルで活
動していました。

――ではオリジナル曲の発表の場というのは?

インターネットです。大学2~3年ぐらいの頃に、ようやくネット
でMP3の音源がギリギリ聴けるぐらいの時代になってきたんです
よ。自分のホームページを作って、そこでオリジナルの曲をアップ
すると反応がもらえる。いい時代になりました。まったく知らない
人から「すごくよかったのでCDがあればください」というメール
が来たときはうれしかったですね。すぐにCD-Rに焼いて送りま
した。

――サイトのメインコンテンツは音楽だったんですか?

自分の中ではそのつもりでした。ただ当時はテキストサイト(注1
5)の全盛期だったので、最初は面白日記みたいなものを頻繁
に、その後イラストを載せると反応がいいということがわかってき
たので、以降は毎日、少なくとも3日に1回ぐらいは絵日記を書い
てアップしてましたね。音楽が聴ける絵日記サイトみたいな、すご
く雑多なホームページになっていました(笑)。

――そんな中、マンガを再び描かれるようになったきっかけという
のは?

イラストをアップしているうちに、読み切りの短編マンガも描くよ
うになったんです。読み切りのいいところは、単体で完成した1つ
の作品として読まれるところですね。これまでは描きはじめてもだ
いたいが途中でほったらかしになっていたんですけど、それからは
思いついたらちゃんと完成まで描くようになりました。
あとは大学に入ってから、メジャーなもの以外にもいろんなマンガ
を読むようになったことも大きかったのかもしれません。桜玉吉先
生(注16)がすごく好きだったので『コミックビーム』を購読し
だしたんですけど、『ビーム』経由で出会った山川直人先生(注1
7)の『コーヒーもう一杯』という短編集に衝撃を受けて。すごく
味のあるセンチメンタルな内容で、僕もこういったマンガを描いて
みたいと思いましたね。

――発表の場をネットに移したことで変わった点というのは?

変化という点ではホームページよりも、大学の終わり頃にネットラ
ジオをはじめたときに強く実感させられました。というのも、li
vedoorが買収する前、当時黎明期だった「ねとらじ」(注1
8)を利用しはじめたんですが、それによって音楽をリアルタイム
配信できるようになったんですよ。
ラジオ用の掲示板を用意すると、そこにリスナーさんが書き込んで
くれるんですね。そしたら僕がそれを読み上げて話をする。そうす
るとそれを聴いたリスナーさんがまた書き込んでくれる。間が持た
なくなったら突然歌いだす(笑)。そんなおしゃべりと生演奏が半
々ぐらいの構成でした。それでも毎回リスナーさんが来てくれて反
応をくれる。とにかく楽しかったですね。

――そうした活動はいつ頃まで続けられたのでしょう?

ひとまず大学卒業までです。その後の1年間は、会社員として人生
の暗黒時代を送りました(笑)。あまりにキツかったので思い出し
たくないほどなんですけど、ほとんど創作活動に時間が割けなくなっ
てしまって、その頃は本当に陰々鬱々としてましたよ(笑)。
結局その会社は辞めてしまって、実家に戻って地元で再就職しまし
た。工場勤務だったんですけど、朝8時に会社に行って夕方5時に
帰るという人間らしい生活サイクルに戻り(笑)、なんでもっと早
くからこうしなかったんだろうと思うくらいに、状況はすごく安定
しました。それでマンガや音楽の創作活動を再開することができた
んです。ねとらじも再開して週1くらいでやっていました。(現在
は休止中)

■SNSのクリエイティビティ

――マンガ制作が本格化したのもその頃ということでしょうか?

そうですね。その頃はまだmixiが流行っていたので、描いたも
のはそこへアップしてました。アップするとコメントがつくので、
それを読むためにますますマンガを描くという。その後、1~2年
した頃にpixivが出てきて、そっちへ移行した感じです。マン
ガを描くことが加速したのはその頃からですね。

――pixivでの反応はいかがでしたか?

pixivに投稿したマンガで最初に反応があったのが『レベル9
9』という卒業式をモチーフにした短編だったんですけど、その作
品がタイミングよくいろんな人に読まれて、数日後にはデイリーに
ランクインしたんです。ランクインの効果って当時はすごくて、一
気に大量のコメントがついたんですよ。もう何度も言ってますけど、
人から反応があると盛り上がるタイプなのですごくうれしかったで
すね。
とくにpixivは、ブックマークやコメント、タグと、様々な形
でレスポンスを受け取れるじゃないですか。それがモチベーション
につながって、思いついたらどんどん描いてアップしていました。
朝の8時に工場に行って、鉄を切りながら物語を考えるんですよ
(笑)。仕事が終わってからすぐ家に帰って、シャワーを浴びてオ
カンの作った飯を食って、あとはひたすらマンガを描くという日々
を続けていました。

――作風の幅広さというのは意識されていたんですか?

pixivでは音楽ネタやセンチメンタルなネタが多いですけど、
作風がバラバラなのは、とにかく思いついたらすぐに描いていた結
果です。自分が描いた作品に対する反応が知りたいという思いが中
心にあったので、反応がもらえれば作風が下ネタだろうがギャグだ
ろうがセンチメンタルだろうが関係なかったんでしょうね。

■空間芸術と時間芸術

――その頃、音楽活動のほうは?

もちろん、平行して活動してました。ただ当時はニコニコ動画もま
だやってなかったですし、マンガと違って、素人がサイトに音楽を
アップするだけではなかなか反応をもらえなかったんですよ。これ
はある意味インターネットの弊害だと思うんですけど……。

――というのは?

マンガは空間芸術で、音楽は時間芸術じゃないですか? 
 

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