嗤うより哭きたい時に

人間ド失格_苦しまないことが幸せなら

2019/10/04 00:00 投稿

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「人を辞めてしまえばいいのさ」

この名セリフ、確か『魍魎の匣』で京極堂が関口クンへ放ったセリフ。

嗚呼、確かに。と思えるようになったのはこの作品を鑑賞してからヘビロテし始めて約5~6年ほど経ってから。自身の闇・病みが深くなり安定したあたりかな。また、

「幸せになることは簡単なことなんだ」

と言うセリフが、これに前置きされている。



幸せ、の定義をなんとするか、にもよるのだろうけれども。今はこのセリフをすんなり受け入れられる気がする。無神論者よりも狂信者の方が強大なエネルギーを発しているように感じるのと同じ。善よりも悪の方が得難い感触をより多く密に得られるように…。満身、清々しく狂っている(と言われる)人は潔く幸福そうに見えるようになったからだ。

得難い感触を得たくて、心地よい程度の悪行として私は飲酒を好む。時に深酒の末路、吐き気と頭痛で苦しむ度に酷く当たり前に後悔するのに、必ず繰り返す。愚行、これは、成人として人として恥だ。そう、だと教えられたしそうはっきりと自覚できること。

だけども。後悔しないなら。

後悔しないで繰り返すのなら、恥にはならん、だろうね。同じように愉しみ呑んで、翌日同じように苦しむが、思考の差が幸不幸を別けるのではないか。不調に溺れながら堂々巡りの後悔を続けその姿を恥じている私は人らしいのだろう。

いや私が人らしいというのは少し違うな、後悔は人独特の感情だと思う。

後悔は惜しむ気持ち。悔やむのは、惜しむことだと思っている。なんであのゆるやかな酔いに浸り続けられなかったのか、楽しい雰囲気を継続できなかったのか、健康な状態でお酒を愉しむという時間を失ってしまったことを悔やんでいる自分。ただただ、今の苦しみだけ感じていられたら、悔やみもしないし恥だとも感じないだろうに。

バカだねー懲りないねーと言われようが構わない、そう思えたら…。

そもそも飲酒を人としてあまりいいこととは思えていないところから、私には少々のプレッシャーがある。酔って当たり前、と思ってる人とは楽しめている度合いさえも違う気がする。激しく酔い、誰彼構わず抱きつき、絡む、そんな人を横目に、

『みっともない』

と思うくせに。思うくせに、深酒を悔やみ恥じ入る自分を知っている。絡み酒を一片も悔いる様子のない人をみっともないと思いつつ、

『幸せそうだな』

と感じている。

せめぎあう思い。人を羨む思いは必ずそう成ろうとする行動に連鎖しないものなんだな。

人を辞めた羨ましい人、幸福そうな人

惨めな私の恥まみれな生き方

=デモヤメラレナイ=



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