さかはら あつしのブロマガ

シカゴのマイクロイコ

2015/01/14 01:12 投稿

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学生時代にマイクロイコというシカゴのコラムニストが書いた「男のコラム」というのを読んだことがある。

それから25年ぐらい経ってもまだ、彼の「映画論」を覚えているのだから、彼の文章には魅力があったのだろう。

こんなことが書いてあったと覚えている。

「私がジョンウエインの映画ばかり見ていると、かみさんが、『どうして、そんな野蛮な映画ばかり見るのよ』って噛み付くから、言ってやったのさ。

この間、シカゴのダウンタウンを歩いていたら橋の上に人だかりがしたんだ。

どうしたんだろうと、橋の下を見ると、女の子が川に落ちて、溺れかけていたんだ。

俺はカナヅチだし、どうしたものかと思ったさ。

その時、二十歳ぐらいの青年が、人垣をかき分けて、上着を脱ぎ捨て、飛び込んだんよ。

格好よかったね、その時、俺は確信したんだ、『あの青年はきっとジョンウエインが好きだ』と」

この一文を読んだのは25年ぐらい前のことだと思うが、私は映画に関してこれ以上の文章に出会ったことがない。

映画は知恵と生きる勇気を人々に与えなければならないが、それは常に危険をはらんでいる。

映画と言うのは、つねに敵を、悪を作劇上求める。

悪い奴をぶっ叩くほど、カタルシスを感じることはないし、映画と言うのはそういう商売なのだ。

傑作と言われる「七人の侍」ですら、野武士の家庭は描かない。かみさんがいていいし、子供があってもいい、村があってもいい。

憎むためには、相手を非人間化しないといけないのだ。社会が別の社会を非人間化し、自らが制服を着て、自分の役割を遂行することができるようになると戦争を起こせるようになるのだ。

ジョンウエインの映画とはそういうことなのだ。

映画は毒にも薬にもなる。

今まで、映画は文学をやった人の世界だった。

物語のだから、当然だけれど、これから必要なのは、社会科学的に社会の問題を把握し、物語ることができる人、そういうフィルムメーカーが必要なのではないか、そんな気がする。

そうでなければ、映画は人を煽動するばかりである。

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