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【感想】坂野潤治編『自由と平等の昭和史―1930年代の日本政治』(講談社、2009)

2013/04/18 13:10 投稿

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前回に続き、ちょっとした読書感想など…。

今回取り上げるのは『自由と平等の昭和史』。
編者坂野潤治さんは、有名な政治学者、歴史学者さんです。
すでに70代でありながら、未だ精力的な執筆活動をしておられる方。
この世代の方は元気な方が多いですね!

本書は、講談社選書メチエとして4年ほど前に出たものですが、数ある坂野さんの本のなかでも、吾妻的に特におもしろいと思っている一冊です。

ひと昔前までは、軍部独裁やら戦争といった物騒なイメージが濃厚だった昭和戦前期ですが、この時期を「昭和デモクラシー」と呼んで、むしろ「デモクラシー」の時代であったと評価し直したのが他ならぬ坂野さんです(坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』など←良いタイトルつける!)。
確かに中学校や高校で習ったレベルの知識で考えてみても、衆議院の政党が力をもって、二大政党の間で政権交代が行われたのは昭和になってからのこと。これだけの事実でいっても、昭和戦前期を軍隊やら戦争だけでイメージすることは、止めた方がよさそうです。

そんな「戦前は結構デモクラシーの時代だったんだよ」という議論を展開されてきた坂野さんですが、本書が面白いのは、ここから更に踏み込み、この「昭和デモクラシー」が抱えていた深刻な対立構図を扱っているからです。

一般に昭和戦前期における「対立」といえば、「軍部と政党、軍国主義と自由主義の「対立相克」を指すものと理解」されてきました(5頁)。
ごく単純化して言えば、軍人さんが、ピストルもって犬養首相を撃ちにいく、とかああいうのですね。しかし、坂野さんはいいます。

「それと同等、あるいはそれ以上に深刻な「相克対立」は「自由」と「平等」の間に存在していた」(5頁)と。

たしかに、「自由」と「平等」という言葉は、よく並列で使われますが、実はしばしば対立するもの。

例えば、お金持の「自由」を最大限認めたら、恐らく格差はもっと大きくなって「平等」はどんどん損なわれるでしょう。これは、単にお金だけじゃない様々な問題にまで波及することもあるかもしれません。
逆に、「平等」をどんどん突き詰めれば、個人の「自由」は制限されるでしょう。
その一番極端なのが教条的な社会主義ですよね。

この二つの価値観の対立こそ「昭和デモクラシー」が抱え込んだ問題点であったと坂野さんはいうのです。
具体的な分析内容は是非本書を読んでみてください、ということにして、ここでは、本書を通して私が考えたこと、感想をメインに書いてみる事にします。


戦前の日本では、大正14年、1925年に男子普通選挙が制定されます。
勿論女性の選挙権はないわけですけども、まずは戦前における国民の政治参加が頂点を迎えた。いわば「政治的民主主義」(「自由」)が認められたわけですね。
では、投票に行って代表を選べてそれで満足か、といえば中々そうもいきません。
むしろ、「そんなことより生活を楽にしてくれ!」と考える人が多いのは、今も昔も変わらない。
単に一票の権利だけじゃなくて、もっと具体的に生活レベルでも「民主化」をして欲しいという要求、「経済的/社会的民主主義」(「平等」)を求める声が出てくるのは、その意味では当然です。
両者の対立を考えますと、単に政治的な自由(一票)〝だけ〟与える前者と、経済レベルの平等性まで考える後者では、後者の方が「進歩的」にみえるかもしれません。
本書を読めばわかるように、当時一流の知識人たちもそう考えました。
だから、知識人の多くが「平等」に飛びつき、「自由」だけにこだわる立場を批判したんですね。その意味で知識人たちは、一歩進んだ「民主主義」を目指していた、ということが出来るかもしれません。

しかし、考えてみれば、ここには「罠」も潜みます。
「平等」という目標を達成しようとすれば、かなり強力な権力が必要です。
何せ、飾らずいえば、「平等」がやることは、金持ちから税金なりでしっかり取ってきて、これを再分配するということ。これを実行しようとすれば、政府は相当強力じゃないといけない。
「平等」を建前とする社会主義諸国の政府の方が、「自由」を建前とする自由主義諸国の政府より強力で、独裁的だった(いまも?w)のは、こうした理由からも説明できます(自称社会主義の国が本当に「平等」を目指していた(いる)のかは、ここでは置いておきますw)。

となれば、果たして「平等」を目指すのに代議制デモクラシーのような方法は最適といえるでしょうか。
民主主義が時間のかかる政治方法だということは、よく知られる通りです。
しかも、選挙では、大きな政党やお金持ちがやっぱり強い。
これに対抗しようとすれば、少しくらい「自由」を制限してでも、強力で独裁的なシステムを導入しようという考えが生まれやすくなる。
ここに、一番急進的な「民主化」(「平等」)を目指した人たちが、結果的にデモクラシーそのものに敵対してしまい、逆により「保守的」であったはずの自由主義者達が、デモクラシーを守る側に回るという事態がおこってきます(進めていえば、実は軍隊とうのは、多くの場合「平等」の側)。

その対立の具体的な内容は、本書を読んでいただくとして、まとめて言えば、「自由」と「平等」の対立は、デモクラシーそのものをめぐる対立へと転化してしまう可能性を秘めていたのです(さらにいえば、これは、「革命」の問題ともつながってくるわけですが、このあたりも、是非本書をお読みください)

以上みてきましたように、本書は、昭和戦前期=軍隊が台頭してきて政党に代表される「民主的な勢力」をやっつけてしまった、という歴史観に大きな転換を迫るものだと思います。
むしろ、「昭和デモクラシー」を危機に陥れたのは、デモクラシーの「内部対立」だったということになるでしょうか。

最近、戦前の日本と今の日本を比べて「似ている!」という意見をよく聞きます。
しかし、考えてみれば、似ているのは当たり前なのかもしれません。
「自由」と「平等」の対立軸は、民主主義あるところ、どこにも潜んでいるからです。
その意味で、「昭和デモクラシー」が抱えた問題は、「平成デモクラシー」もまた抱えているのではないでしょうか。
今の日本と、戦前の日本が似ているとしたら、「軍隊が」とか「愛国心が」とかいう事より、むしろ本書くらい大きな視野から見た方が意味があるように思います。

坂野さんは言います。
「自国の近代史を研究する目的の一つは、失敗例も含めた経験のデータベース化にある」と(181頁)。

是非多くの方に手にとって欲しい一冊です。

なんとも分かりにくい話を、ダラダラ書いてしまいましたが、今回はこのあたりにて。

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