いまでは誰もがスマートフォンを手にして、“LINE”などの無料電話やメッセンジャーを使ったり、“Candy Crush”のようなゲームで遊んだりしている。つまり、個人が当たり前のようにコンピューターを日常的に使っているが、この世界を実現していまも動かし続けている3つの企業があると思う。それは、インテルとアップル、そして、マイクロソフトだ。

 インテルは、1971年に、その後パーソナルコンピューターの心臓部となるマイクロプロセッサを最初に作った。アップルは、1977年にApple IIという完成度の高いコンピューターを発売。マイクロソフトは、1974年に一般の人たちがコンピュータを使うために必須なBASIC言語を用意した。

「CPU黒歴史」と「インテルの呪縛」

↑世界最初のマイクロプロセッサであるインテル『4004』と手のひらに収まるコンピューターとも言えるスマホ。


 もちろん、この業界にはその歴史からは外せない企業がほかにも多数あるのは承知の上である。その時代ごとに大活躍したブランドはいくつもあげることができるが、パソコンの40年の歴史を詳細に見ていくと、この3社がいつの間にか盛り返し業界に関与し続けている。この3社の狂言回しで繰り広げられるエキサイティングで、ドリーミーな舞台劇が、コンピューター業界なのだと言いたくなる。

 パソコンが登場するまで、コンピューターは、企業や大学の計算センターや研究室で選ばれた人しか使えないものだった。パソコンが発売されて、“個人の机の上にコンピューターがのった”ことで、はじめて世界が大きく変わりはじめたのだ。その中でも、マイクロソフトは、“BASIC言語”やその後の“MS-DOS”、“EXCEL”などのソフトウェアを提供したことが大きい。

 誕生したばかりのパソコンは、ちょうど大草原に降り立ったときに1つだけ持っている道具箱のようなものだった。ワープロも表計算もゲームもないから自分でプログラムを作る(相応の素質を求められる世界だったわけだが、それでも自宅でコンピューターが動くことの価値は絶大だった)。そんなふうに自分でソフトを作るための必須ソフトが、当時は、“BASIC言語”だった。

 そのことは、日本のパソコンの歴史でもまったくあてはまる。アスキー(当時アスキー出版)が、マイクロソフトの代理店となり、BASIC言語を日本のコンピューターメーカーに売りまくった。日本のパソコンやエレクトロニクスが、'80年代に世界をリードするようになる背景の1つといえる部分がある(詳しくは『アスキー新人類企業の誕生』《那野比古著》や『パソコン創世記』《富田倫生著》、『ビル・ゲイツ未来を語る』《ビル・ゲイツ著》などを参照いただきたい)。

 私が、アスキーに入社したのは'85年なので、BASICというよりもMS-DOSの時代だが、外から見ていたパソコンの世界は“驚き”の連続だった。アスキー以前に勤めていたソフトハウスが販売していた大型コンピューター用のデータベースソフトのお値段は1500万円したが、PC用はせいぜい2桁(万円)だった。値段というのは本質的なことではなくて、なにしろパソコンではソフトがどんどん出てくる。

 個人の机にコンピューターがのったことの意味は、まさにBASIC言語などによって、容易にソフトが作られるようになったことだったのだ。

 私は、自分がApple IIというパソコンをはじめて買って、片っ端からソフトを試していたときのことを思うと感じざるをえないことがある。“Fantavision”(アニメ作り)、“Robot Odyssey”(プログラミング・ゲーム)、“Little Computer People”(環境ソフト)などといった当時のソフトの水準に、いまのiPhoneやAndroidのアプリは達しているだろうか? と本気で疑っているのだ。

 それにしても、インテルとアップルと、マイクロソフトの3社の組み合わせは面白い。インテルとマイクロソフトといえば、1990年代には“ウィンテル”と呼ばれてその強力なタッグが、パソコンの世界を支配していた。その流れは、最新のSurface 3やWindowsサーバーまで脈々と続いている。アップルとマイクロソフトといえば、永遠のライバルのように見えるが、Apple IIeのケースを開ければ“MICROSOFT”のロゴの入ったROMが目に飛び込んでくるし、Macが最初にビジネス分野で成功した理由は“EXCEL”によるところが大きい(1985年にMac版が最初に登場)。そして、いまやそのMacがインテル製マイクロプロセッサを搭載している。

Apple II

↑『Apple IIe』アップルコンピュータ(当時の社名)が1983年に発表したパソコン。


 ネットモバイルへと大きく動いたものの、スタイルを変えながら時代を繰り返しているようなところがあるのがこの世界なのだ。コンピューターと人間の関係というのは、それくらい生易しい問題ではなく、まだまだ変革は続いている。デバイスやソフトウェアのトレンドやロードマップは明らかにされるのに、10年先を正確に読みあてることが難しい。われわれ自身が、そのただ中にあって自ら体験できることの素晴らしさといったらない。

 それで1つ心に置いていることは、個人がコンピューターを使うときに、その間を繋ぐ“メディア”の役割は重要だということだ。マイクロソフトの代理店となるアスキーが、創業誌『月刊アスキー』から始まる出版業だったのも偶然ではない。ビル・ゲイツらがBASIC言語を作った“Altair 8800”も『Popular Electronics』誌に寄せられた「個人が所有できるコンピュータが欲しい」という読者の便りから始まった(テクニカルエディタのレス・ソロモンという人物が、Altairの発売元であるMITSの経営者であり友だちのエド・ロバーツに相談して最初のパソコンは生まれたとされる)。

月刊アスキー創刊(1977)

↑『月刊アスキー』創刊号。月刊アスキーは、1977年にアスキー出版(当時の社名)から発行されたパソコン総合誌。


 はたして、そのネットデジタルが次の時代に進もうとしているいま、メディアも大きく変容しているのも事実だ。ただ、ちょうどマイクロソフトがBASIC言語を提供したように、個人に自分も世の中で役に立つ仕事ができるというパワーを与えることが、この業界の最大の価値だと思う。そうした個人の活動が集まって世界を変える。そして、メディアや雑誌もそれの一助となり続けるべきで、いまは大切なタイミングのはずなのだ。

遠藤諭(えんどうさとし)
角川アスキー総研 取締役主席研究員。元『月刊アスキー』編集長。著書に『ソーシャルネイティブの時代』、『新装版 計算機屋かく戦えり』や『ジョネラルパーパス・テクノロジー』(野口悠紀雄氏との共著)など多数。『週刊アスキー』巻末で“神は雲の中にあられる”を連載中。


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