鷲ヲともふさ のコメント

嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことを日々の生活の中では一つも見出せず、リアルな日常が退屈でたまらない。
生身の共同体とやらは煩わしいばかりで自分の得になる見返りが少なすぎて、ぶっちゃけ引くし。
それに比べてネットは気楽で手軽に嬉しいも楽しいも幸せも全部、ポチッと即席に提供してくれて、こんな便利なものはないわ。
他人との交流もポチッと簡単だし、その知り合った他人との絶交もポチッと簡単に済ませられる。
生身の言葉は重くてウザいけど、ネットの言葉は果てしなく自由で、どこまでも無責任でいられる。
だから、自分的には最高のツールで、個人的には最強のアイテムですよ。
自分の存在を全肯定してくれる唯一の居場所って感じっすね。
そんなわけで、自分の存在をちょっとでも否定するような苦しみや哀しみや憎しみはマジで我慢ならねっす。
最高な俺の意見に異を唱える奴はマジむかつくし、最高な俺の娯楽を阻害する奴はマジで死んで欲しいっす。
つか、とことん追い込んで、ガチでやっちゃいますよ。
それって超ウケるじゃないですかぁ?
そう問われ、「いや、ウケねぇし」と俺が思ったところで、そのような価値観に染まったインスタントカルトの人の中では、それが大変に面白くて正しいのだろう。

岡田斗司夫がゴー宣道場でしていた話も俺にはちーとも面白くもなく胸に響くものもなかったけれど、岡田斗司夫の作り上げたカルトの中では最高に面白い論理であったのだろう。
香山リカのTwitterでの呟きも俺の感覚ではクソ寒くて読むに堪えないものであったけれど、香山リカ周辺のカルト的な運動家には最高のユーモアであったのだろう。

そんな事を感じながら今回のゴー宣を読んだ俺自身のバランス感覚は平衡を保っているのだろうか?
生身の共同体の中で、生々しい喜怒哀楽を、愛のむきだしを受け止めて暮らしていけているだろうか?
胸に手を当ててみる。

今年の昭和の日、半年ぶりに姪っ子と食事をした。
中学2年生になった姪っ子の姿を見て、大きく成長したなぁと涙腺を潤ませる俺のバランス感覚は既にヤバい気もする。
その席で姉に婚姻届の証人の署名を頼むと、姪っ子が嬉しそうに横からしゃしゃり出て、挙式に出席したいと言ってはしゃいだ。
ささやかでも良いから式を挙げてお祝いしたいと楽しそうに話してくれた。
そんな姪っ子の放つ言葉に幸せを感じながらもおどけて変顔を作る俺のバランス感覚は極めて怪しい。
それに引き換え、姪っ子は生身の言葉を聞き、生身の言葉を発する研ぎ澄まされたバランス感覚の持ち主に育っている。
姪っ子には今のまま生身の言葉を大切にして欲しいと思った。
そしてマジメな時にふざける自分の態度を深く反省しやんとあかんやんと思った。
生身の俺が思った。

No.40 115ヶ月前

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