今回のゴー宣は勉強になりました。確かに自分の感覚に照らせば、いくらすごい仕事をしたとしても、リスクを負っている側が報われるのが当然です。 「どうせ安倍政権だから企業寄りなんだろう」と高をくくっていたことを反省しました。 それを受けて考えたのは、中村氏はこの「常識破り」を「個の強さ」だと勘違いしていそうだな、ということです。公共心のない主張なんか「個」ではなく「私」、わがまま、エゴでしかないということは、道徳的に重要なんじゃないかと思いました。 そこが「怒り」と「憎悪」の境界線なのかなとも考えています。 また、「今なら勝てそう解散」に関連して、安倍全肯定の方々は論外ですが、安倍総理に批判的なのに「衆議院の解散は総理の専権事項なんだから、大義なんか問うても無意味」とか言い切っちゃう人も見かけます。「ルールにそう書いてあるだろ」と強弁して、常識を平然と破るタイプなんだろうなと思いました。 そういう人は、高森さんが指摘された「衆議院の解散は天皇の国事行為であり、天皇の尊厳を汚すような振る舞いをしてはいけない」という感覚も、やはり安倍総理と同じように持っていないと思います。 こういう点からも、天皇は日本の公、常識、良識であり、日本国憲法はその前提を基に作られていることがわかります。
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小林よしのりチャンネル
(ID:803591)
今回のゴー宣は勉強になりました。確かに自分の感覚に照らせば、いくらすごい仕事をしたとしても、リスクを負っている側が報われるのが当然です。
「どうせ安倍政権だから企業寄りなんだろう」と高をくくっていたことを反省しました。
それを受けて考えたのは、中村氏はこの「常識破り」を「個の強さ」だと勘違いしていそうだな、ということです。公共心のない主張なんか「個」ではなく「私」、わがまま、エゴでしかないということは、道徳的に重要なんじゃないかと思いました。
そこが「怒り」と「憎悪」の境界線なのかなとも考えています。
また、「今なら勝てそう解散」に関連して、安倍全肯定の方々は論外ですが、安倍総理に批判的なのに「衆議院の解散は総理の専権事項なんだから、大義なんか問うても無意味」とか言い切っちゃう人も見かけます。「ルールにそう書いてあるだろ」と強弁して、常識を平然と破るタイプなんだろうなと思いました。
そういう人は、高森さんが指摘された「衆議院の解散は天皇の国事行為であり、天皇の尊厳を汚すような振る舞いをしてはいけない」という感覚も、やはり安倍総理と同じように持っていないと思います。
こういう点からも、天皇は日本の公、常識、良識であり、日本国憲法はその前提を基に作られていることがわかります。