na85 のコメント

>>123:忍者悟さん
>ただ一方で、危険思想の転化する恐れもあるんだろうなと考えますね。
 「身体の動くままに動けばいい。だから、あいつ殺したいから殺す」的な行動も肯定するのか? という話にもなってきちゃうと思うから。

 陽明学は危険思想、その通りです。しかし陽明学には「良知」と言う考え方があります。良知とは人間に元から備わっている良心のことだそうです。だから溺れる人を助けるため体が勝手に動いて飛び込むとき、良知が発動していると考えるわけです。良知が曇っている状態、例えば保身の心が働いて動けなかったときなどは、行より知が先に働いている、朱子学的な先知後行だと批判したわけです。良知が正常に働けば欲得ずくで他者を傷つけるような行動は起こさないというのが陽明学の立場です。
 日本には天知る・地知る・我知る・人知るという言葉があります。陽明学の立場では、天地の神が知り、自分の良知が知るのは良いが、他人の目を意識して自分の行動を律するのは良知に反しているそうです。しかし、自分の良心だけで自分を律しきる人はそうはいません。現に陽明学発祥の地である大陸ではその思想はほぼ死に絶えているような有様です。江戸初期の儒者・中江藤樹が日本に陽明学を紹介し、その日本的展開である江戸しぐさなどの心学が日本中津々浦々の寺子屋で教えられ、庶民階層に広まったときも、良知だけでは根づかなかったと思います。天神地祇、自分の良知に加えて、共同体の目が光っていたからこそ自分を律しきることができたと考えています。自分の良心と共同体の目で皆が私心を少しずつ律することができれば村落共同体は安定し、幸福に過ごせると思います。それは「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」という日本の国体そのものです。たまに起こった天災にも諦念でやり過ごし、共同体で助け合い、年貢の減免を訴えて一揆を起こして生きていくわけです。
 江戸期の武士階級は朱子学を学んでいました。これは忠孝を重視させて幕府への反逆を企てないように教育するため、また怒りにまかせて刀を抜く前に一呼吸おいて考えさせるためです。戦国期には武将たちは怒りにまかせて刀を抜く人々でしたが、これを治世の官僚に変えたのが幕府が官学に指定した朱子学でした。もっと言ってしまえば、陽明学が入る以前の日本においては、心に思ったまま刀を抜けという陽明学的な戦国武士道が支配していましたが、朱子学が教え込まれて本心を抑えて我慢して仕えるのが美徳という太平武士道になったわけです。刀を差して市中を行き交う武士が喧嘩っぱやいとヤバイですから。
 江戸初期でも戦国を懐かしむ人が現われました。『葉隠』で山本定朝は「武士道と言うは死ぬことと見つけたり、一つ一つの場にて早く死ぬ方に片付くばかりなり」と喝破しました。これは、頭でも下げて刀を抜かず生きる側と、刀を抜いて死ぬリスクが高い側とでは死ぬ側を選べという戦国武士道の復活を訴えるものです。しかし幕末にもなると下級武士ほど実践的な陽明学に傾倒しました。日本近海に異国船が横行していたからです。脱藩して志士となり、京や江戸で暗躍し、思想をぶつけ合って居り合わなければ刀を抜くという古来の武士道に近いものが復活し、それにマッチする陽明学が求められたのでしょう。
 朱子学的武士道で上(幕府)を立てる佐幕派と陽明学的武士道で現実に向き合うことを訴える志士とが対立し、内戦に発展する幕末においても、多くの庶民は江戸しぐさ的な日本陽明学+共同体の目という超優良な安定化装置で幸福を享受していました。だから幕末明治に日本を訪れた外国人は日本を地上の天国だと感じたわけです。

 庶民を武士の意識に引き上げた明治維新は時代がもたらした不幸だった na85

No.150 135ヶ月前

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