itouさん> なるほど、「幸せのモデル」が不透明だからこそ「リア充」という言わば非実在幸福者が用意されたのだ、との逆転の発想ですね。 確かヤマカンが学生時代『怨念戦隊ルサンチマン』みたいな特撮映画を作って敵はコムロとかテニスサークルだったのが、ちょっと今では古い、といった話を思い出しました。 ただ、「幸せのモデル」はコメントでも誰かがおっしゃっていたように取り敢えずは「彼女がいること」とここでは定義してしまってもいいように思います。 「それはそれで苦労が多い」という言も、持たざる者には金持ちのウエメセな愚痴に聞こえてしまいますよね。 macjinjyaさん> その文脈で言うなら、ぼくには海燕さんの文章には根拠がなく、追っていくと(大変失礼ながら)半ば手グセで「価値観の多様化」という一般的な正義(つまり、これがイデオロギーです)を持ちだしてきてしまったように読めた、と言うことです。 二段目について、まさにそのようなコンプレックスからの早とちりが、今回なされていたと言えるわけですね。 >オタクは本気で恋愛より恋愛ゲームのほうが楽しいと思っている、少なくともそう信じています。 恋愛と恋愛ゲームには一長一短あって、(これも既に書きましたが)ゲームのあの娘たちは画面から出て来てくれない。或いは、こちらがあっちへとダイブできない。 その日が来るまで、ぼくたちは非リアなのです。 N2さん> むしろネット以前は「匿名」ではありませんでしたから好き勝手に文章を読まずに相手を罵る、ということができなかったように思います。 当時は雑誌がネットの代替物でしたが、さすがに編集者にカットされていたでしょうから。 ただ、そうした「隠れていたホンネ」が出て来たことは悪いことばかりでもないように思います。 2000さん> 大体あっています。 補足すると、今では「オタク文化≒萌え文化」ですよね。 オタク文化の中でどうしてここまで萌え要素ばかりが肥大したのか(念のために言っておきますが、それが悪いと言っているわけではありません)を考えると、そこはやはり、そういう考えに落ち着かざるを得ないのです。
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
itouさん>
なるほど、「幸せのモデル」が不透明だからこそ「リア充」という言わば非実在幸福者が用意されたのだ、との逆転の発想ですね。
確かヤマカンが学生時代『怨念戦隊ルサンチマン』みたいな特撮映画を作って敵はコムロとかテニスサークルだったのが、ちょっと今では古い、といった話を思い出しました。
ただ、「幸せのモデル」はコメントでも誰かがおっしゃっていたように取り敢えずは「彼女がいること」とここでは定義してしまってもいいように思います。
「それはそれで苦労が多い」という言も、持たざる者には金持ちのウエメセな愚痴に聞こえてしまいますよね。
macjinjyaさん>
その文脈で言うなら、ぼくには海燕さんの文章には根拠がなく、追っていくと(大変失礼ながら)半ば手グセで「価値観の多様化」という一般的な正義(つまり、これがイデオロギーです)を持ちだしてきてしまったように読めた、と言うことです。
二段目について、まさにそのようなコンプレックスからの早とちりが、今回なされていたと言えるわけですね。
>オタクは本気で恋愛より恋愛ゲームのほうが楽しいと思っている、少なくともそう信じています。
恋愛と恋愛ゲームには一長一短あって、(これも既に書きましたが)ゲームのあの娘たちは画面から出て来てくれない。或いは、こちらがあっちへとダイブできない。
その日が来るまで、ぼくたちは非リアなのです。
N2さん>
むしろネット以前は「匿名」ではありませんでしたから好き勝手に文章を読まずに相手を罵る、ということができなかったように思います。
当時は雑誌がネットの代替物でしたが、さすがに編集者にカットされていたでしょうから。
ただ、そうした「隠れていたホンネ」が出て来たことは悪いことばかりでもないように思います。
2000さん>
大体あっています。
補足すると、今では「オタク文化≒萌え文化」ですよね。
オタク文化の中でどうしてここまで萌え要素ばかりが肥大したのか(念のために言っておきますが、それが悪いと言っているわけではありません)を考えると、そこはやはり、そういう考えに落ち着かざるを得ないのです。