デュア・リパとガル・ガドットはやっぱり似ていますよね(笑) 彼女らを見ていて思い出すのは、そういえば親戚にはああいう面立ちの女性が沢山いたよなあということで、しかもそういう女性たちが内職とか地元のスーパーのレジ打ちとかをやっていたので、そこから菊地さんのアルモドバル『帰郷』評(ペネロペ・クルスのような美人が空港で雑務をやっているなんておかしいなどと言う者は、“地方”の女性の境遇について何も解っていない、という大意の。たしか『ユング』初出単行本版に収録されていた)をも連想し、やっぱり自分はアンダルシアかマグリブのユダヤ人コミュニティで育てられたんじゃないだろうか、とデュアやガルの顔と幼少期に見た女性たちの顔を重ねながら思うことがあります。さらに私の誕生日がガルシア・ロルカと同じなので、「スペイン南部のゲイ」つながりでアルモドバルに対する移入を強くしているせいなのかもしれませんが(笑) ↑のような内容でさえも、単一の政治的トピック以外は受け付けない文革体制では撥ねられてしまうのでしょうか(笑) フェミニズムと、抗資本主義と、反シオニズムと、文化的連帯と、クィアスタディーズと、20世紀の戦争とファシズム、Xユーザーたちが飛びつきそうな内容がふんだんに入っているのに(笑) 陽水さんの『背中まで45分』は、詞の中でクロノス時間=分数を計測しながらも楽曲そのもののトータルプレイングタイムは詞中のクロノス時間とは関係ない(6分未満)ということで、計測可能時間の基準が二重になっているのがまた素晴らしいと思います(相手と事を始めるまで45分だったな、と音楽的に追想するために必要な時間が6分未満、という凛々しさ)。陽水さんは幼少期に福岡内でも比較的周縁に置かれている地域(直方、田川)を点々とされた方で、対して松尾潔さんは市内でのエリート進学路を経て音楽業界に入った方なので(笑) この二人の作詞における時間感覚の違いについての考察があったら面白い、というか菊地さんにしかできないと思います(笑) 私がどうしても拒絶反応を起こしてしまう文言に〈今・ここ〉というものがあり(「学生の頃に内田樹経由で中途半端にレヴィナスを読まされたのかな?」と思わされてしまうので)、このフレーズを松尾さんが推しているタイプのミュージシャンが頻繁に使っていてどうにも困ってしまうのですが、たとえばBlurの『Song 2』がきっかり2分であった律儀さと/Stone Sour や Babymetalの『Song 3』が3分ちょうどのクロノス時間とはとくに関係なかった(正確には、 Babymetal のそれは3人組グループの曲でトータルプレイングタイムを3:33にすることで、K-POP以降の「誰からも不備を指摘されないプロダクト」としてのクオリティコントロールが徹底されており、それが Blur の頃のような無味乾燥な律儀さと意味を違えている)こと の意義の違いと時代の変遷について考えることがあれば、90年代末から今にいたるまでずっと時が停まったままきている〈今・ここ〉系の人たちの表現も柔らかくメロウになるんじゃないか、と思うのですが、そういえば菊地さんは近田さん経由で Babymetal 関連でも「炎上」したことがありましたね(笑) 数週間前に松尾さん関連で(まさに〈今・ここ〉に取り憑かれて笑)沸き立っていたXユーザーは、近田さんと菊地さんとBabymetalが同じプラットフォームに並んでいた事件なんて憶えてもいないでしょう。これも計測可能な時間感覚の失調にまつわるのかもしれません(笑)
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。
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デュア・リパとガル・ガドットはやっぱり似ていますよね(笑) 彼女らを見ていて思い出すのは、そういえば親戚にはああいう面立ちの女性が沢山いたよなあということで、しかもそういう女性たちが内職とか地元のスーパーのレジ打ちとかをやっていたので、そこから菊地さんのアルモドバル『帰郷』評(ペネロペ・クルスのような美人が空港で雑務をやっているなんておかしいなどと言う者は、“地方”の女性の境遇について何も解っていない、という大意の。たしか『ユング』初出単行本版に収録されていた)をも連想し、やっぱり自分はアンダルシアかマグリブのユダヤ人コミュニティで育てられたんじゃないだろうか、とデュアやガルの顔と幼少期に見た女性たちの顔を重ねながら思うことがあります。さらに私の誕生日がガルシア・ロルカと同じなので、「スペイン南部のゲイ」つながりでアルモドバルに対する移入を強くしているせいなのかもしれませんが(笑)
↑のような内容でさえも、単一の政治的トピック以外は受け付けない文革体制では撥ねられてしまうのでしょうか(笑) フェミニズムと、抗資本主義と、反シオニズムと、文化的連帯と、クィアスタディーズと、20世紀の戦争とファシズム、Xユーザーたちが飛びつきそうな内容がふんだんに入っているのに(笑)
陽水さんの『背中まで45分』は、詞の中でクロノス時間=分数を計測しながらも楽曲そのもののトータルプレイングタイムは詞中のクロノス時間とは関係ない(6分未満)ということで、計測可能時間の基準が二重になっているのがまた素晴らしいと思います(相手と事を始めるまで45分だったな、と音楽的に追想するために必要な時間が6分未満、という凛々しさ)。陽水さんは幼少期に福岡内でも比較的周縁に置かれている地域(直方、田川)を点々とされた方で、対して松尾潔さんは市内でのエリート進学路を経て音楽業界に入った方なので(笑) この二人の作詞における時間感覚の違いについての考察があったら面白い、というか菊地さんにしかできないと思います(笑)
私がどうしても拒絶反応を起こしてしまう文言に〈今・ここ〉というものがあり(「学生の頃に内田樹経由で中途半端にレヴィナスを読まされたのかな?」と思わされてしまうので)、このフレーズを松尾さんが推しているタイプのミュージシャンが頻繁に使っていてどうにも困ってしまうのですが、たとえばBlurの『Song 2』がきっかり2分であった律儀さと/Stone Sour や Babymetalの『Song 3』が3分ちょうどのクロノス時間とはとくに関係なかった(正確には、 Babymetal のそれは3人組グループの曲でトータルプレイングタイムを3:33にすることで、K-POP以降の「誰からも不備を指摘されないプロダクト」としてのクオリティコントロールが徹底されており、それが Blur の頃のような無味乾燥な律儀さと意味を違えている)こと の意義の違いと時代の変遷について考えることがあれば、90年代末から今にいたるまでずっと時が停まったままきている〈今・ここ〉系の人たちの表現も柔らかくメロウになるんじゃないか、と思うのですが、そういえば菊地さんは近田さん経由で Babymetal 関連でも「炎上」したことがありましたね(笑) 数週間前に松尾さん関連で(まさに〈今・ここ〉に取り憑かれて笑)沸き立っていたXユーザーは、近田さんと菊地さんとBabymetalが同じプラットフォームに並んでいた事件なんて憶えてもいないでしょう。これも計測可能な時間感覚の失調にまつわるのかもしれません(笑)