ビュロー菊地チャンネル

 去年、「『ジョジョ』シリーズの能力名は英語圏ミュージシャンやバンドの名前がそのまま引用されていて、海外ローカライズ版では無難な名前に修正されているけど、あれってやっぱり元ネタ側からの訴訟リスクを恐れてのことなんだろうか?」といきなり気になって、薄く検索だけしたのですが、主にUSAのほうでは「ミュージシャンが名義として使う芸名やバンド名、楽曲やアルバム名には原則として著作権が認められない。音楽関連の文字情報に関しては、歌詞のような、作品の内容とみなされるものだけが著作物として保護される」という大意のものが、レディ・ガガの名前で特許取ろうとして認められなかった判例などと併せて出てきました。

 ということは、「Purple Haze」と著述家がエッセイで書いたりミュージシャンがライブ中に言ったりしてもジミ・ヘンドリックスの楽曲著作使用料は発生しないけど、歌詞を引用したり唄ったりしたらその出版物のクレジットにはジミヘンの名前を入れる必要が出てきて・使用料も払わなきゃいけない。ということまではわかるけど、「歌詞は作品の内容であるから著作権の保護対象。作品タイトルやアーティスト名はそうではない」のなら、歌の中で何度も唄われている「Purple Haze」という文字列は「歌詞」扱いなんじゃないの? タイトルを歌詞の中で連呼する楽曲なんて山ほどあるのだから、無理筋でもそういう訴訟が起こった例もあるんじゃないか? というか音楽情報もそうだけど文字列情報の扱いがメチャクチャじゃない現状の著作権法? と思っていたので、今回の日記の “とばかりに。” から続く文は自分の興味に丸ごと当てはまるようなものでした。

 藤井風さんのような素晴らしいミュージシャンの作品でさえ、もはや歌詞からしか栄養を取ろうとしない人々がこれほど多く増えてしまった(←これは『関ジャム』的感性への反動だとシンプルに割り切りたくなります)現状があるにも拘らず、「著作権法で保護される歌詞(のグラグラぶり)」という根底の面白いトピックについては誰もが不感症のようになっていて、「私は藤井風さんのこの歌詞たちに救われました」的なことが言いたいのであろうファンのブログ記事たちを読んでも、「それよりもこの人たちは、歌詞を自分で聴き取って文字に起こしたのだろうか? それとも公式の歌詞カードを参照したのだろうか?(Googleの音声文字起こし機能によって、ただでさえ乱雑だった英語圏の歌詞表記はさらに面白くグラグラになっているし) そしてこの人たちは、自分のブログ記事の中に好きなアーティストの歌詞を埋め込むという行為に関して、後ろめたい異物感のようなものがあったろうか? それとも自分のポエムを書くような至極当然に感じられたろうか?」ということばかり気になって仕方ありません。というか、音楽的・文化的に考えたらこちらのほうがどう考えても面白い。
 というふうな批評行為は、糖質と脂質だけの皿から鉄分だけを探すような行為なのかもしれませんが、「実作と批評両方を伴うアナリーゼが薄く広まるかと思ったら “プロのおありがたい託宣”のように解離され、エモ刺さり至上主義の歌詞語りがまたもや復興するも、その “歌詞” なるものが法的にどう扱われているかについては誰も気にしていない・知りたがっていないようである」という状態は、やはり面白いとしか言えないように思います。

 あと、アオアブではなかったと思いますが、自分の出身地(九州南部)ではアブが盛んに飛んでいて、なぜか「すごく殺傷力の強い虫」とされていたので(笑)、小〜中学までの学童たちにとってアブは畏怖の対象でした。実際はスズメバチやアシナガバチのほうがよっぽど凶暴でしたが。
 アオアブの歌詞も、ポニーが暴れるきっかけをつくったアオアブが農場主の死因として特定される(そして単一個体としては裁かれない)という、その土地とケースの法制度がもたらす生真面目さと滑稽さが、現在のUSAにおけるそれと並行しているようにも読めますね。菊地さんのこういう筆業を拝読するたびに、すごくユダヤ=カフカっぽいなあと思わされます。法の生真面目さがこんなに笑えるものだと知っている側からすれば、AIを最新系とするUSAの訴訟群も同じくらい面白いわけですが、その辺の興味が解離してしまっている人々とは常に理解のコンフリクトが生じるのかもしれません。

No.1 11ヶ月前
コメント一覧に戻る

このコメントがついた記事

  • <菊地成孔の日記 2025年10月11日記す>

  • ブロマガイメージ
    著者イメージ

    ビュロー菊地チャンネル

    継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!