りゃん のコメント

戦時中、日本では「近代の超克」という議論がありました。
これにはそのころ一流の学者文学者等も参加していましたが・・・
まことに「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」。

この手の議論は別に新しくも珍しくもない、とわたしは5で書きましたが、これは日本の右よりがさんざんやってきてる既視感のある議論の範疇だからです。日本の右よりのこの手の議論の背景には、韓国併合や日中戦争を、どこかで肯定しようという動機もあります。

5で試金石と書きました。この期におよんで露宇戦争のロシアを肯定するのに「開戦の詔勅」にも触れることができないような議論は、また低学力がくだらない議論をしてるのかとしか感じません。まあ、真面目に考えていると、この手の議論の究極では、大日本帝国は植民地解放したんじゃないかとかの議論にも注意を払わずにはいられないとおもうのですが、そこまで真面目ではないのでしょう。他人の議論自体を深く考えてみるのではなく、自説の補強のための都合良い材料としか考えていないということです。

しかしとりあえずは、ロシアだの中共だのに、なにか自分の理想の一部を読み込むのをやめて、米国と同じろくでもない国だと仮定(わたしにとってはリアルですが)することから始めたら良いのにと思います。くだらないアジビラみたいなバカ丸出しの文書を書くのはやめて。

アドルノは自然を法則で同一化する方法論(科学)の中にすでに暴力性が潜んでいるというような議論をします。これは国でいえば米国、話題でいえば「毒ワクチン」の暴力性に通じます。ヒトビトはアドルノなんか知らないでしょうが、サヨクとして、どっかでその手の言説を聞きかじったことがあり、深層意識に影響を受けているので、米国やワクチンへの忌避感がものすごく強い一方、あまり洗練されていない、人間固有的本来的な暴力(ロシアや中共のような暴力)にはものすごく鈍感だと感じることがあります。この内容はわたしがいま考えたことですが、こういう考えをきちんとまとめ上げて、中共やロシアを批判できる思想こそ必要なんだろうと個人的にはおもいます(今回のような記事の思想ではなくて)。

No.21 16ヶ月前

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