>その組織の「常識」に適応し、縦割りを超えた横断的なつながりの中で思考することを、失いました。これは左右共に、つまり政治的立場にかかわらず日本社会全体、トップからボトムまであらゆる層で起きていったことです。 日本社会の中で、日本人として自らを振り返った時、時代の流れの中で、日本人としての社会意識は少しずつ変容してきたと、私自身は観察している。その要因や背景はなんであるか、学問的研究ではなく、あくまで実感的印象論であるが、思うところを述べてみたい。 70年代から80年代にかけての一億総中流化。この頃から、総労働対総資本とか、階級闘争といった概念は、大衆意識からは後景に追いやられ始めたと見ている。 バブル期の地価高騰等をピークにしつつ、保守政権の持ち家政策に誘導されたマイホーム主義は、闘う労働運動より社畜の従順さによる「安定」と、労働者の保守化へと繋がったと考えている。 この時代は、高度経済成長後のジャパンアズナンバーワンという経済大国意識も相俟って、資本主義への根源的批判という視座はますます薄れていった。 そうした形で、少しずつ、次の新自由主義的世界観が浸透する上で、一層日本人の意識変容の素地が形成されていった、と考えている。 90年代になると、日本はバブル崩壊や金融恐慌が続き、経済大国の地位が揺らぎ、自信喪失の時代に入った。それまでの日本型資本主義や護送船団方式から、新自由主義やグローバルスタンダードといった「自由競争」、「自己責任」、リストラが当然視され、国営事業の「民営化」が次々と断行され、公益事業の意義に関する論議が置きざりにされたまま、民業圧迫、非効率、既得権のレッテル貼りが横行し、大衆もそうした合唱の渦の中で、更に大きく流れを拡大するべく熱狂した。 そうして、小泉劇場に熱狂した大衆=B層?に支えられて郵政民営化が実行された。 結局のところ、敗戦から戦後民主主義のリベラルな左派に親和的な空気感、大衆意識は高度経済成長やバブルを経て保守化し、更には90年代以降は自己責任や自由競争を当然視する右派的意識に変容したように思われる。 私はこうした流れを冷ややかに眺め、かつ反対の立場に立っていた。日本人の宿痾たる国民性は、私は過剰適応や横並び、同調圧力だと考えている。 とりわけ、グローバルスタンダードだの、新自由主義だの、自己責任だのというキーワードが溢れた世相の中では、経済的不況の中での閉塞感も相俟って、それまでの経過や歴史的積み重ねを無視して、一気に一つの方向性に押し流されていったように見えた。 「改革」だの「change」だの、たいした内容の吟味もなく、持て囃され、一方で古き良き既存の価値を打ち捨てていく、それが90年代以降の状況だった、と考えている。 そんな中では、衰退の一途を辿ったのが「中間団体」である。これは、国家や企業の論理の外にあり、組織ピラミッド構造や指揮命令系統とは別のヨコの繋がりによる比較的緩やかな支え合いや助け合いを目的とした団体、といったイメージである。 具体的には、労働組合とか町内会、PTAといった組織。 これらが、徐々に衰退し、社会的機能を維持することが、困難になっていった。そのプロセスは今も続いている。 ヨコの繋がりが衰退すれば、勢い、タテの指揮命令系統が強まる。主流権威筋メディアが垂れ流す一方的情報がろ過されずに、大衆にストレートに染み込んでいく。 そうした、ヨコの繋がりが衰退し、タテ方向の一方通行の情報がさしたるギモンもなく受容される素地が今や完成したのではないか?それこそが、B層と呼ばれる大衆が多数を占める社会の危険性だと考える。 ウクライナに関して言えば、反戦平和がかき消される形で、アメリカ帝国の武器支援は当然視、正当化されている。このような状況はかつて無かったように思える。どのような理由であろうと、武器支援は戦争を煽り、継続することにしかならない。 その当たり前のリクツが何故、サヨクにまで欠落しているのだろうか?何故、サヨクが、停戦和平でなくウクライナ応援になるのであろうか? アメリカ帝国らによる武器支援は、アメリカ帝国の覇権維持のための方便ではないのか?そういうギモンをサヨクを名乗るなら、持つべきではないのか? 例えば、70年代、80年代に同様な事態があったならば、今日のようなサヨクも含めて軒並ウクライナ応援団みたいな言論状況になっただろうか? 私は違うのではないか、と考えている。 だから、サヨクの言論状況に関して私は理解に苦しんでいる。 そこで、私なりにサヨクの「変容」の理由を、次のように考えてみた。 何故、日本のサヨクが、ウクライナ応援団に堕するのか、考えてみた。 日本サヨクの主軸は、団塊の世代だった、と言ってよいだろう。層として、戦後民主主義の中で育ち、過激な街頭活動や、学生運動、大衆運動を実践してきた。 その世代は、新左翼こそが、サヨクのスタンダード。その新左翼のキブンは、反スターリニズム=反ソ連。というカンジ。 スターリニズム=全体主義という批判的思考様式が基本だっただろう。従って、ソ連型社会主義を信じていない。 また、中国も同じ。 中国については、文革期の紅衛兵による弾圧を見て、「民主主義的」観点から嫌悪感。天安門事件なども目の当たりにした。 かつ90年代以降、中国的「資本主義」に、なんとなく、裏切られた印象。 ということで、団塊の世代からすると、中露は、なんとなく「裏切り者」、即ち信用できない、ではないか? そんかキブンの団塊の世代は、今も、まぁまぁいて、しかも、日本においては「リベラル」という層は、高齢化したその世代が岩盤。それ故、なんとなく、悪いのは中露。と、なるのでは? しかし、私のような、彼らの下の世代のサヨクからすると、えっ?本心では、結局、アメリカ帝国を、中露との関係性において信頼していたわけか?と疑念が浮かぶ。 中露より、アメリカ帝国のほうがマシ。それが、団塊の世代の本心ではなかろうか? 以上は、私の独断と偏見。 私は団塊の世代のだいぶ下で、時代錯誤で「新左翼」になったので、彼らのウクライナ応援団ぶりに、ホントに困惑しています。
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>その組織の「常識」に適応し、縦割りを超えた横断的なつながりの中で思考することを、失いました。これは左右共に、つまり政治的立場にかかわらず日本社会全体、トップからボトムまであらゆる層で起きていったことです。
日本社会の中で、日本人として自らを振り返った時、時代の流れの中で、日本人としての社会意識は少しずつ変容してきたと、私自身は観察している。その要因や背景はなんであるか、学問的研究ではなく、あくまで実感的印象論であるが、思うところを述べてみたい。
70年代から80年代にかけての一億総中流化。この頃から、総労働対総資本とか、階級闘争といった概念は、大衆意識からは後景に追いやられ始めたと見ている。
バブル期の地価高騰等をピークにしつつ、保守政権の持ち家政策に誘導されたマイホーム主義は、闘う労働運動より社畜の従順さによる「安定」と、労働者の保守化へと繋がったと考えている。
この時代は、高度経済成長後のジャパンアズナンバーワンという経済大国意識も相俟って、資本主義への根源的批判という視座はますます薄れていった。
そうした形で、少しずつ、次の新自由主義的世界観が浸透する上で、一層日本人の意識変容の素地が形成されていった、と考えている。
90年代になると、日本はバブル崩壊や金融恐慌が続き、経済大国の地位が揺らぎ、自信喪失の時代に入った。それまでの日本型資本主義や護送船団方式から、新自由主義やグローバルスタンダードといった「自由競争」、「自己責任」、リストラが当然視され、国営事業の「民営化」が次々と断行され、公益事業の意義に関する論議が置きざりにされたまま、民業圧迫、非効率、既得権のレッテル貼りが横行し、大衆もそうした合唱の渦の中で、更に大きく流れを拡大するべく熱狂した。
そうして、小泉劇場に熱狂した大衆=B層?に支えられて郵政民営化が実行された。
結局のところ、敗戦から戦後民主主義のリベラルな左派に親和的な空気感、大衆意識は高度経済成長やバブルを経て保守化し、更には90年代以降は自己責任や自由競争を当然視する右派的意識に変容したように思われる。
私はこうした流れを冷ややかに眺め、かつ反対の立場に立っていた。日本人の宿痾たる国民性は、私は過剰適応や横並び、同調圧力だと考えている。
とりわけ、グローバルスタンダードだの、新自由主義だの、自己責任だのというキーワードが溢れた世相の中では、経済的不況の中での閉塞感も相俟って、それまでの経過や歴史的積み重ねを無視して、一気に一つの方向性に押し流されていったように見えた。
「改革」だの「change」だの、たいした内容の吟味もなく、持て囃され、一方で古き良き既存の価値を打ち捨てていく、それが90年代以降の状況だった、と考えている。
そんな中では、衰退の一途を辿ったのが「中間団体」である。これは、国家や企業の論理の外にあり、組織ピラミッド構造や指揮命令系統とは別のヨコの繋がりによる比較的緩やかな支え合いや助け合いを目的とした団体、といったイメージである。
具体的には、労働組合とか町内会、PTAといった組織。
これらが、徐々に衰退し、社会的機能を維持することが、困難になっていった。そのプロセスは今も続いている。
ヨコの繋がりが衰退すれば、勢い、タテの指揮命令系統が強まる。主流権威筋メディアが垂れ流す一方的情報がろ過されずに、大衆にストレートに染み込んでいく。
そうした、ヨコの繋がりが衰退し、タテ方向の一方通行の情報がさしたるギモンもなく受容される素地が今や完成したのではないか?それこそが、B層と呼ばれる大衆が多数を占める社会の危険性だと考える。
ウクライナに関して言えば、反戦平和がかき消される形で、アメリカ帝国の武器支援は当然視、正当化されている。このような状況はかつて無かったように思える。どのような理由であろうと、武器支援は戦争を煽り、継続することにしかならない。
その当たり前のリクツが何故、サヨクにまで欠落しているのだろうか?何故、サヨクが、停戦和平でなくウクライナ応援になるのであろうか?
アメリカ帝国らによる武器支援は、アメリカ帝国の覇権維持のための方便ではないのか?そういうギモンをサヨクを名乗るなら、持つべきではないのか?
例えば、70年代、80年代に同様な事態があったならば、今日のようなサヨクも含めて軒並ウクライナ応援団みたいな言論状況になっただろうか?
私は違うのではないか、と考えている。
だから、サヨクの言論状況に関して私は理解に苦しんでいる。
そこで、私なりにサヨクの「変容」の理由を、次のように考えてみた。
何故、日本のサヨクが、ウクライナ応援団に堕するのか、考えてみた。
日本サヨクの主軸は、団塊の世代だった、と言ってよいだろう。層として、戦後民主主義の中で育ち、過激な街頭活動や、学生運動、大衆運動を実践してきた。
その世代は、新左翼こそが、サヨクのスタンダード。その新左翼のキブンは、反スターリニズム=反ソ連。というカンジ。
スターリニズム=全体主義という批判的思考様式が基本だっただろう。従って、ソ連型社会主義を信じていない。
また、中国も同じ。
中国については、文革期の紅衛兵による弾圧を見て、「民主主義的」観点から嫌悪感。天安門事件なども目の当たりにした。
かつ90年代以降、中国的「資本主義」に、なんとなく、裏切られた印象。
ということで、団塊の世代からすると、中露は、なんとなく「裏切り者」、即ち信用できない、ではないか?
そんかキブンの団塊の世代は、今も、まぁまぁいて、しかも、日本においては「リベラル」という層は、高齢化したその世代が岩盤。それ故、なんとなく、悪いのは中露。と、なるのでは?
しかし、私のような、彼らの下の世代のサヨクからすると、えっ?本心では、結局、アメリカ帝国を、中露との関係性において信頼していたわけか?と疑念が浮かぶ。
中露より、アメリカ帝国のほうがマシ。それが、団塊の世代の本心ではなかろうか?
以上は、私の独断と偏見。
私は団塊の世代のだいぶ下で、時代錯誤で「新左翼」になったので、彼らのウクライナ応援団ぶりに、ホントに困惑しています。