お疲れ様です。 論破祭りを見てて思ったのですが、男系論争って続いたか続いてないかの話ばかりで、男系主義の思想性については触れられていないように思えます。 こちら側の双系論者は「そりゃそんなもん伝統でも無いんだから当然無いわ」で良いんですが、男系論者もコレを説明できないで居るよな、と思います。 僕は伝統というのは結果論ではなく、そこに当時の人々の思想(合理性や価値観、宗教観など)があり、それを受け継いだ結果続くべくして続いたものではないか、と考えております。 例えば、かつての男性天皇主義は相応の思想性があったと考えられます。 そこにはまず「我ら一族を絶やす事なく、広めていきたい」という価値観があり、また直系を優先する(我が子に継がせたい)価値観があり、その具体的な実現方法として 「男性君主に側室をつけ、血を広げ、また跡取りも男性君主とする」 という合理的思想があったわけですね。 そういった視点で考えた時、「男系主義」にはどんな思想性が見て取れるんでしょうかね? 僕は上記の男性君主主義を推し進めると、必然的に男系継承が多くなるので、その結果論でしかないんじゃないか、思想性なんて初めから無かったんじゃないかと思います。 だから男系は伝統では無いのだろう、と思います。 「思想性なんてなくても長く続いた事自体に価値がある」ってんならそれは単なるギネス主義であり、そんな薄っぺらいもんは捨ててしまえとしか思えません。 思想性がないから、男系派は自分達の主張の価値観を説明できず、Y染色体なんて馬鹿な話が出てくるわけですね。 当時の人々がそげな遺伝子学を知ってるわけねーだろ、とねw あるいは血の穢れを後付けで女性蔑視に拡大解釈したカルト思想を、遡って適用してみたりとか。 小林先生が「因習」という言葉を使われる時、僕は何処からが因習なのだろう、と考えておりました。 伝統が思想性を失い、形骸化した時に因習と化すのではないでしょうか? 男系主義はそういった意味で、最初から因習だった、と言うか的外れなエセ伝統のカルトだった、というのは非常にしっくりきます。
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お疲れ様です。
論破祭りを見てて思ったのですが、男系論争って続いたか続いてないかの話ばかりで、男系主義の思想性については触れられていないように思えます。
こちら側の双系論者は「そりゃそんなもん伝統でも無いんだから当然無いわ」で良いんですが、男系論者もコレを説明できないで居るよな、と思います。
僕は伝統というのは結果論ではなく、そこに当時の人々の思想(合理性や価値観、宗教観など)があり、それを受け継いだ結果続くべくして続いたものではないか、と考えております。
例えば、かつての男性天皇主義は相応の思想性があったと考えられます。
そこにはまず「我ら一族を絶やす事なく、広めていきたい」という価値観があり、また直系を優先する(我が子に継がせたい)価値観があり、その具体的な実現方法として
「男性君主に側室をつけ、血を広げ、また跡取りも男性君主とする」
という合理的思想があったわけですね。
そういった視点で考えた時、「男系主義」にはどんな思想性が見て取れるんでしょうかね?
僕は上記の男性君主主義を推し進めると、必然的に男系継承が多くなるので、その結果論でしかないんじゃないか、思想性なんて初めから無かったんじゃないかと思います。
だから男系は伝統では無いのだろう、と思います。
「思想性なんてなくても長く続いた事自体に価値がある」ってんならそれは単なるギネス主義であり、そんな薄っぺらいもんは捨ててしまえとしか思えません。
思想性がないから、男系派は自分達の主張の価値観を説明できず、Y染色体なんて馬鹿な話が出てくるわけですね。
当時の人々がそげな遺伝子学を知ってるわけねーだろ、とねw
あるいは血の穢れを後付けで女性蔑視に拡大解釈したカルト思想を、遡って適用してみたりとか。
小林先生が「因習」という言葉を使われる時、僕は何処からが因習なのだろう、と考えておりました。
伝統が思想性を失い、形骸化した時に因習と化すのではないでしょうか?
男系主義はそういった意味で、最初から因習だった、と言うか的外れなエセ伝統のカルトだった、というのは非常にしっくりきます。