こんばんは。配信ありがとうございます。 相変わらず寒いので、先生も、皆様も、ご自愛ください。 どうしても書き残しておきたいことがあって、お邪魔致します。 忽那医師の朝日新聞記事に関しては、ワクチンの効能の議論以前に、 他人だろうが自分のだろうが、子どもに「利他精神」を求めるその思考に寒気がしました。 忽那氏に限らず、ワクチンに関して医師たちはよく、 「子供にメリットデメリット両面を説明し、自己決定権を尊重し…」と言うのですが、 私は、これさえも結局は逃げ口上でしかないと思っています。 私自身の子供の頃も、今の子供たちだって大して変わっていないと思っていますが、 社会に出ていない子供たちに、「利他精神」「自己決定権」なるものを 理解させて決めさせろと言うのは、非常に無理がある話ではないでしょうか。 自分が、現在接種を推進されている歳のころといえば、 頭の中は戦隊ものとコロコロコミックとバスケのことばかりでした。 いくら物覚えが良くても、子供って、そんなものではないでしょうか? 「戦争論」の最後の台詞「自分を幸福にする束縛」のように、 自分「束縛するもの」があることを知っていき、 それにぶつかったり挑んだり、悩んだり、 ある時にはいとおしく思えたり、 そういう色んなことを経験させてあげて、 その上で自分の在りようを少しずつ見出して、 バランスを取りながら、他人のことも考えていけるようになる… それが、何十万人も子供を死なせてしまった戦争を経て、 同じく死んでいった全ての大人たちが遺してくれた、 子供の本当の権利だと思っています。 先生も描かれた、特攻隊や沖縄戦のひめゆり学徒隊は、 もちろん、私など語ることすら烏滸がましく思えるほど 勇敢な戦士であったことは揺るがないですが、 年端も行かない子供たちに、 過酷な訓練を乗り越えた屈強な兵士たちでさえ葛藤するような、 「究極の利他行為」をさせてしまったことは、 日本の歴史上、最大級の罪という一面もあるはずです。 忽那氏も日本の多くの医師たちも「周りのために=利他のために」と言いますが、 子どもに気持ち悪い絵空事を押し付けているようにしか見えません。 あろう事か「医師」と名乗る人たちが、 かつての無責任な戦時中の大人たちと同じことを言い出すのは、 すごく精神的にキツく、本当に吐き気を催しました。 それと、結局他人の子供なので、忽那氏の子供がどう思ったかは知る由も無いですが、 私が同じ立場なら「ああ、この人たちは根本的には私たちを信じていないんだな」と思ったでしょう。 感染するしないを越えた、根本的な存在の肯定によって育まれる愛を、大人たちが信じ切れないから、 子どもに対して、こんな言動をしている自分を疑う事すらしないのだと思っています。 私は、子どもは大人から信用されないことが、一番傷つくと思っているので、 忽那氏の子供たちが、ワクチンの反応・副反応以前に、 何かにつけ疑うことから始めるような大人にならない事だけを願っています。 そして、普段散々子供を愛し、若者を応援しているような言動をしながら、 この期に及んで一切のだんまりを決め込んでいる大人たちにも、 遅かれ早かれ、下の世代から強烈な復讐をされる日が来るでしょう。 それは物理的なものではなく、自分たちが根本的にどんな存在であったかを、 ひたすら思い知らされるような、そんな形で。 私はそれは、ある意味で、物理的に傷つけられるよりも遥かに、 生きていることを後悔するような、猛烈な苦しみになると覚悟しています。 だからこそ、世の中には決してそんな大人ばかりじゃないということ、 情けない、いつも妥協や悔しい思いばかりだけれども、 子どもと同じように、未来を信じることができる大人も居ること、 頼りないとしても、信じてみることくらいはできそうな大人も居ること、 それを自分自身の為にも、示していくための戦いを、皆さんと連帯し続けると 強く自分に戒めていきます。 追伸 尚、私は子供好きではありません。苦手です。子供の泣き声も、ワガママも嫌いです。 でも、理屈や損得を越えて、働いたり誰かを大事にしながら社会を回すことで、 子供が獣にならない程度の「社会的束縛」を保つこと、 それが、覚悟も無いまま大きくなってしまった、私のような大人の役割だと思っています。 仮に近所に幼稚園が出来て、子供の金切り声がうるさくても、 自分がヘッドホンで音楽を聴けばいいだけだし、究極、自分が引っ越せばいいだけです。 子どもたちはそれができません。だから大人がやる。それだけの事だと思っています。 「私たちは子供を愛していて、子供の事を想って」というのは、 ワクチン激推しの医者たちの常套句でもあるので、白状しておきます。 長文、お目汚し、ご容赦くださいませ。
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(ID:19145258)
こんばんは。配信ありがとうございます。
相変わらず寒いので、先生も、皆様も、ご自愛ください。
どうしても書き残しておきたいことがあって、お邪魔致します。
忽那医師の朝日新聞記事に関しては、ワクチンの効能の議論以前に、
他人だろうが自分のだろうが、子どもに「利他精神」を求めるその思考に寒気がしました。
忽那氏に限らず、ワクチンに関して医師たちはよく、
「子供にメリットデメリット両面を説明し、自己決定権を尊重し…」と言うのですが、
私は、これさえも結局は逃げ口上でしかないと思っています。
私自身の子供の頃も、今の子供たちだって大して変わっていないと思っていますが、
社会に出ていない子供たちに、「利他精神」「自己決定権」なるものを
理解させて決めさせろと言うのは、非常に無理がある話ではないでしょうか。
自分が、現在接種を推進されている歳のころといえば、
頭の中は戦隊ものとコロコロコミックとバスケのことばかりでした。
いくら物覚えが良くても、子供って、そんなものではないでしょうか?
「戦争論」の最後の台詞「自分を幸福にする束縛」のように、
自分「束縛するもの」があることを知っていき、
それにぶつかったり挑んだり、悩んだり、
ある時にはいとおしく思えたり、
そういう色んなことを経験させてあげて、
その上で自分の在りようを少しずつ見出して、
バランスを取りながら、他人のことも考えていけるようになる…
それが、何十万人も子供を死なせてしまった戦争を経て、
同じく死んでいった全ての大人たちが遺してくれた、
子供の本当の権利だと思っています。
先生も描かれた、特攻隊や沖縄戦のひめゆり学徒隊は、
もちろん、私など語ることすら烏滸がましく思えるほど
勇敢な戦士であったことは揺るがないですが、
年端も行かない子供たちに、
過酷な訓練を乗り越えた屈強な兵士たちでさえ葛藤するような、
「究極の利他行為」をさせてしまったことは、
日本の歴史上、最大級の罪という一面もあるはずです。
忽那氏も日本の多くの医師たちも「周りのために=利他のために」と言いますが、
子どもに気持ち悪い絵空事を押し付けているようにしか見えません。
あろう事か「医師」と名乗る人たちが、
かつての無責任な戦時中の大人たちと同じことを言い出すのは、
すごく精神的にキツく、本当に吐き気を催しました。
それと、結局他人の子供なので、忽那氏の子供がどう思ったかは知る由も無いですが、
私が同じ立場なら「ああ、この人たちは根本的には私たちを信じていないんだな」と思ったでしょう。
感染するしないを越えた、根本的な存在の肯定によって育まれる愛を、大人たちが信じ切れないから、
子どもに対して、こんな言動をしている自分を疑う事すらしないのだと思っています。
私は、子どもは大人から信用されないことが、一番傷つくと思っているので、
忽那氏の子供たちが、ワクチンの反応・副反応以前に、
何かにつけ疑うことから始めるような大人にならない事だけを願っています。
そして、普段散々子供を愛し、若者を応援しているような言動をしながら、
この期に及んで一切のだんまりを決め込んでいる大人たちにも、
遅かれ早かれ、下の世代から強烈な復讐をされる日が来るでしょう。
それは物理的なものではなく、自分たちが根本的にどんな存在であったかを、
ひたすら思い知らされるような、そんな形で。
私はそれは、ある意味で、物理的に傷つけられるよりも遥かに、
生きていることを後悔するような、猛烈な苦しみになると覚悟しています。
だからこそ、世の中には決してそんな大人ばかりじゃないということ、
情けない、いつも妥協や悔しい思いばかりだけれども、
子どもと同じように、未来を信じることができる大人も居ること、
頼りないとしても、信じてみることくらいはできそうな大人も居ること、
それを自分自身の為にも、示していくための戦いを、皆さんと連帯し続けると
強く自分に戒めていきます。
追伸
尚、私は子供好きではありません。苦手です。子供の泣き声も、ワガママも嫌いです。
でも、理屈や損得を越えて、働いたり誰かを大事にしながら社会を回すことで、
子供が獣にならない程度の「社会的束縛」を保つこと、
それが、覚悟も無いまま大きくなってしまった、私のような大人の役割だと思っています。
仮に近所に幼稚園が出来て、子供の金切り声がうるさくても、
自分がヘッドホンで音楽を聴けばいいだけだし、究極、自分が引っ越せばいいだけです。
子どもたちはそれができません。だから大人がやる。それだけの事だと思っています。
「私たちは子供を愛していて、子供の事を想って」というのは、
ワクチン激推しの医者たちの常套句でもあるので、白状しておきます。
長文、お目汚し、ご容赦くださいませ。