りゃん のコメント

>>14
アイヌは13世紀に、モンゴル(元)から圧迫された大陸の少数民が、はるばると日本の土地である北海道まで逃げてきた人々である、ということが現在の学問研究でわかっています。しかしその真実が都合の悪いヒトビトがいます。あなたはそのヒトビトに騙されているんですよ。なお、北海道には縄文遺跡があります。縄文人が日本人の祖先であるなら、日本人こそが北海道の先住民だということです。

明治維新は、欧米にいくぶんかはすでに侵略されていた日本が、欧米の強さの秘密は国民国家を形成したことであると見抜いて、日本も国民国家をつくった運動であると、わたしなりに総括しています。当時そういう運動は世界各地でおきました。一方、国民国家を形成できない民族は、19世紀末から20世紀にかけて、吸収されるしかなかった。将来的にはまた復活の可能性は一般論的にはあるとしても。

アイヌについてみれば、そもそも少数であるのにさらにいくつもにわかれ(単一の民族ではなく)、互いに抗争しており、近代化の時期には国民国家を形成できず日本に同化するしかなかった人々です。ウイグル等の大民族とは根本的に違いますよ。ウイグル人の数は、沖縄の人口よりもはるかに多いのを知らないんですか。ウイグル人はじゅうぶん国民国家を形成できる人々です。

国民国家の形成期にモデルとなったのは当時の欧米諸国でした。つまり、そこで帝国主義の遺伝子がはいりこんだんですよ。これでのちのち日本が苦労することになるのですが、中国も逃れられていません。

つまり、最近辛亥革命の記念日があったようですが、革命前の孫文は、「万里の長城までが国土の漢民族の国」を考えていました。「清からの漢民族の独立」が辛亥革命のもともとの民族主義(三民主義の一角)ですからこれで当然なのです。オスマン・トルコから独立したどの民族がオスマン・トルコの支配地全体を欲したでしょうか。

しかし、国民国家建国に着手したあと、そこにはいりこんでいた帝国主義の遺伝子が、領土拡大を彼にそそのかし、のちには「満蒙回蔵」を同化する政策となります。「蒙回蔵」は清に近代的意味で支配されていたわけではないし、清がほろんだころに独立運動もありました。今もあります。

そして、中共のもつ帝国主義の遺伝子はいまも衰えるどころか、南シナ海等にも向いているわけです。

No.16 31ヶ月前

このコメントは以下の記事についています

継続入会すると1ヶ月分が無料です。 条件を読む

孫崎享チャンネル

孫崎享チャンネル

月額
¥110  (税込)
このチャンネルの詳細