間が開きましたが、感想の続きです。 〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第229回「情弱すぎるワクチン賛美派に経済は救えない」 「情弱」(じょうじゃく)と「惰弱」(だじゃく)が似ていると感じるのは私だけなのでしょうか?いつも「情緒が弱い人」と誤読してしまうのですが。 それはさておき、路上飲みについては、きまりには抜け道がある、という好例でしょう。理想とすることを規則で縛り付けるのは最適な手段かと思いがちですが、縛れば縛るほど、人は面倒臭くない、楽な手段を取るのが常ということなのでしょうか。このワクチンパスポートみたいに、何だかあることを強制すると、「そんなことどうだっていいじゃん」というような手段で、楽しいことをする。アリとキリギリスの童話(本当は蝉だそうですが)では蟻の方があとで勝者になる、という結末になりますが、キリギリス(あるいはセミ)が鳴くのは果たして無駄なのか、人々を楽しませ、心の餘裕を与える効果があるのではないか、その上での蟻のように努力することが大事ではないか、と思うのです。何だか難しそうなことを記してみましたが、要は、快楽と苦労は隣り合わせで、どちらがかけていたり、どちらかが勝っているのではバランスが悪く、病気になってしまう、ということが言いたいわけです。そう考えると、コロナ騒動で日本人がばか正直に自粛したり、ワクチン接種に勤しんでいる姿は蟻のようであり、何の個性もない、集団主義を具現化した姿のように見えます。 アメリカ合衆国で、ワクチンパスポートを禁止している州が多いという話にしても、わたしたちは合衆国が一つの国家であると誤認しているから起こる驚きであり、元を正せばイングランド本国にそれぞれの立場から共通の目的を見いだして独立した連邦なのだ、という認識を持たねばならぬと思いました。アメリカの支配から逃れるには、いっそ、各州の中で日本に同情的な州を捜してみればいいのでは、と思ったのですが、となるとハワイあたりにしかならないのかな、ハワイもパールハーバーと言っているし。 バイデンがファイザー社とつるんでいるという話とか、スマートフォンとかパソナグループなどの話は、資本主義の悪しき面を如実にあらわしているように感じられました。私はワクチン証明書というのもよく分からないし、先日精神科医の窓口でそれを貰おうとしている人の姿もみましたが、所有していると定期券や身分証明書のようなものになるのでしょうが、結局はそれで儲ける人がいるから発行されているだけのことであり、得をしているどころが、損をしているのではないか、という気がします。「神の見えざる手」など存在せず、「人の欲望にまみれた手」によって、良いようにも、悪いようにもはたらくのが資本主義ではないのか、本当に必要なものだけを作り出すには、「公民主義」みたいなものが必要なのでは、と思います。 何だかワクチンの話から外れてしまいましたが、キリギリスの話ではないですが、一見して「無意味と思えるものが心には大切なのではないか」、実はその中にこそ世の中に役立つものがあるのではないか、というふうに思っています。こんな感じです。 とにかくワクチンパスポート反対です。みんなは意味があるように思っているようですが、本当に無意味だけではなく、有害です。一言で言えば、それだけですね。 アフガニスタンの件、もう少しつけたしておきますが、赤川次郎の小説に「善人村の村祭」という話があります。オチを言ってしまうと、善人ばかりの村では、村人は訪問客の望みは何でも叶えてあげるのだけれども、実は訪問客は神への生け贄で死刑囚と同じだった、という話です。日本の世間とはこういうものではないのか、まさしく「栄誉なき蕩尽」ではないか、とふと感じました。だから、大使館員が真っ先に逃げるような愚行が許されてしまうのか、というようなことも思いました。この場合は大使館員の常識、善意の欠如が問題になっているわけですが、彼らとて私的な領域においては善意があるのかも知れない。オリンピック関係者は善意で大会を運営してきたわけで、そのことを海外からも評価されているようですが、一方では、排外主義もあり、ウイルスの変異株が未だに外からやってきたもののように思い込み、県外の移動ですら規制しようとする。これは矛盾するようですが、「善人村の祭り」のようなものなのかもしれない。善意だけでは人間は生きてはゆけない、小さな悪も織り交ぜてゆかないと、「小さな共同体」を守るだけの、大きな悪を招いてしまうのでは、と。 これこそ蛇足だったかも知れません。しかし、後で記すように、こびナビの件と同じで、無責任で、恥づべきこと、昔だったら自尽して罪をわびなければいけないことでしょう。 >>143 こびナビの件、自分も「対談」と勘違いしていました。m(_ _)m 「討論」はもっと真剣勝負ですよね。それをうっちゃって、国外へ逃走してしまう木下の件、無責任で卑劣だと思います。人は自分の発言したことに、「綸言汗の如し」といった態度を示すべきではないのでしょうか。「雨月物語」の「菊花の約」というエピソードを思い出して欲しいです。 それでは今晩の生放送、期待します。よしりん先生も、木蘭さんも無事恢復して放送できますように。応援しています。
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間が開きましたが、感想の続きです。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第229回「情弱すぎるワクチン賛美派に経済は救えない」
「情弱」(じょうじゃく)と「惰弱」(だじゃく)が似ていると感じるのは私だけなのでしょうか?いつも「情緒が弱い人」と誤読してしまうのですが。
それはさておき、路上飲みについては、きまりには抜け道がある、という好例でしょう。理想とすることを規則で縛り付けるのは最適な手段かと思いがちですが、縛れば縛るほど、人は面倒臭くない、楽な手段を取るのが常ということなのでしょうか。このワクチンパスポートみたいに、何だかあることを強制すると、「そんなことどうだっていいじゃん」というような手段で、楽しいことをする。アリとキリギリスの童話(本当は蝉だそうですが)では蟻の方があとで勝者になる、という結末になりますが、キリギリス(あるいはセミ)が鳴くのは果たして無駄なのか、人々を楽しませ、心の餘裕を与える効果があるのではないか、その上での蟻のように努力することが大事ではないか、と思うのです。何だか難しそうなことを記してみましたが、要は、快楽と苦労は隣り合わせで、どちらがかけていたり、どちらかが勝っているのではバランスが悪く、病気になってしまう、ということが言いたいわけです。そう考えると、コロナ騒動で日本人がばか正直に自粛したり、ワクチン接種に勤しんでいる姿は蟻のようであり、何の個性もない、集団主義を具現化した姿のように見えます。
アメリカ合衆国で、ワクチンパスポートを禁止している州が多いという話にしても、わたしたちは合衆国が一つの国家であると誤認しているから起こる驚きであり、元を正せばイングランド本国にそれぞれの立場から共通の目的を見いだして独立した連邦なのだ、という認識を持たねばならぬと思いました。アメリカの支配から逃れるには、いっそ、各州の中で日本に同情的な州を捜してみればいいのでは、と思ったのですが、となるとハワイあたりにしかならないのかな、ハワイもパールハーバーと言っているし。
バイデンがファイザー社とつるんでいるという話とか、スマートフォンとかパソナグループなどの話は、資本主義の悪しき面を如実にあらわしているように感じられました。私はワクチン証明書というのもよく分からないし、先日精神科医の窓口でそれを貰おうとしている人の姿もみましたが、所有していると定期券や身分証明書のようなものになるのでしょうが、結局はそれで儲ける人がいるから発行されているだけのことであり、得をしているどころが、損をしているのではないか、という気がします。「神の見えざる手」など存在せず、「人の欲望にまみれた手」によって、良いようにも、悪いようにもはたらくのが資本主義ではないのか、本当に必要なものだけを作り出すには、「公民主義」みたいなものが必要なのでは、と思います。
何だかワクチンの話から外れてしまいましたが、キリギリスの話ではないですが、一見して「無意味と思えるものが心には大切なのではないか」、実はその中にこそ世の中に役立つものがあるのではないか、というふうに思っています。こんな感じです。
とにかくワクチンパスポート反対です。みんなは意味があるように思っているようですが、本当に無意味だけではなく、有害です。一言で言えば、それだけですね。
アフガニスタンの件、もう少しつけたしておきますが、赤川次郎の小説に「善人村の村祭」という話があります。オチを言ってしまうと、善人ばかりの村では、村人は訪問客の望みは何でも叶えてあげるのだけれども、実は訪問客は神への生け贄で死刑囚と同じだった、という話です。日本の世間とはこういうものではないのか、まさしく「栄誉なき蕩尽」ではないか、とふと感じました。だから、大使館員が真っ先に逃げるような愚行が許されてしまうのか、というようなことも思いました。この場合は大使館員の常識、善意の欠如が問題になっているわけですが、彼らとて私的な領域においては善意があるのかも知れない。オリンピック関係者は善意で大会を運営してきたわけで、そのことを海外からも評価されているようですが、一方では、排外主義もあり、ウイルスの変異株が未だに外からやってきたもののように思い込み、県外の移動ですら規制しようとする。これは矛盾するようですが、「善人村の祭り」のようなものなのかもしれない。善意だけでは人間は生きてはゆけない、小さな悪も織り交ぜてゆかないと、「小さな共同体」を守るだけの、大きな悪を招いてしまうのでは、と。
これこそ蛇足だったかも知れません。しかし、後で記すように、こびナビの件と同じで、無責任で、恥づべきこと、昔だったら自尽して罪をわびなければいけないことでしょう。
>>143
こびナビの件、自分も「対談」と勘違いしていました。m(_ _)m
「討論」はもっと真剣勝負ですよね。それをうっちゃって、国外へ逃走してしまう木下の件、無責任で卑劣だと思います。人は自分の発言したことに、「綸言汗の如し」といった態度を示すべきではないのでしょうか。「雨月物語」の「菊花の約」というエピソードを思い出して欲しいです。
それでは今晩の生放送、期待します。よしりん先生も、木蘭さんも無事恢復して放送できますように。応援しています。