>>176 コメントありがとうございます。 ただ、私はマスコミが衰退してネットが主流になってしまうのは好ましくないと思っています。 確かに私も以前はテレビに対する嫌悪感がつのり、YouTubeばかり見ていました。 地上波では成立しないニッチな企画を楽しめるのは事実です。 でも、これがメインになってはいけないな、と思いました。 以前、よしりん先生が「本は正規軍、ネットはゲリラ」と表現されていましたが、それと同じ認識です。 あるいは、西部邁氏がよしりん先生に対して提言された「メインになりなさい」という、「価値の序列」という観点に通じるところがあるかもしれません。 また、「新潮45」「SAPIO」の休刊に際して、いかにネトウヨ雑誌と化してしまったとはいえ、表現の場が奪われてしまうのはまずい、と述べられたよしりん先生の見解にも影響されています。 言うまでもなくマスコミのインフォデミックは許しがたいものだけど、それ以外のドラマ、ドキュメンタリー、趣味・教養、バラエティといった表現の場が縮小されてしまうのは、やはり大問題だと思います。 巨大グローバル企業が運営するネット動画が主流になってしまうと、今以上のディストピアに陥る可能性大です。 実は偏向報道で悪評の高いNHKに関して申しますと、報道以外の分野で見所のある番組がいくつかありました。 先の投稿で紹介した『たけしのその時カメラは回っていた』はNHKの番組で、放送されたのは昨年の9月21日です。 7月25日には「世界を震わせた音楽」というタイトルで、伝説的なロックフェス・ウッドストックを取り上げ、エンタメが持つ力の大きさを伝えています。 コロナの偏向報道が著しくなり、エンタメが不要不急と言われる中で、果たしてコロナ脳の人間がこのような番組を制作するでしょうか。 また、Eテレでは『歴史探偵』という歴史上の謎を探求する番組で、「戦争とエンターテインメント」と題して戦時の表現規制の実態を取り上げ、伝説の漫才作家・秋田實が戦時下に書きあげた「分かる人にだけ分かる風刺」を入れ込んだネタを若手漫才コンビ・ミキに演じさせるという意欲的な企画を実現させています(今年の7月14日放送)。 さらに『100分de名著』で、ディストピア小説として有名な「華氏451度」が取り上げられたのも今年の5月から6月にかけてです。 この1年で、全体主義や表現規制に対するレジスタンスをテーマにした番組が、ここまで集中しているのは果たして偶然なのでしょうか。 こうしたことを考えるのは、先述の「戦争中のプロバガンダ」を特集したたけしの番組で紹介されていたあるエピソードが念頭にあるからです。 学徒出陣というニュース映像制作にあたり、日本映画社の製作部長・土屋斉(ひとし)という人物が、本来ならば国威発揚のために勇壮感溢れる映像にすべきところを「悲愴感を盛り立てる」編集を施していた、という事実が紹介されていました。 土屋は学徒出陣について「学生の中には、将来のゲーテもアインシュタインもおるわけでしょう。そうした若者を根こそぎにして戦場へ送る。学徒出陣を一言で言うならまさしく「悲愴」です」と語っています。 しかし、そんなことは表立って言えないし、そもそもニュース映像は軍の検閲がかかるので、「一人の学生の後ろ姿を帽子から足元まで長くパンダウン」させ、そこに「東条首相の演説をかぶせ」ることで、観るものに悲愴感を訴える映像に仕上げたとのことです(カギカッコ内は土屋自身の言葉)。 こうした「ささやかな抵抗」を見せていた人間もいたのだなということを知り、ならば現在においても同様のことはありうるのではないかと考えるようになりました。 局の中枢部や報道部が歪んでいく様を苦々しく感じながら、せめて教養番組ではまともなメッセージを視聴者に届けようと奮闘したスタッフがいてもおかしくないのではないかと思います。 甘い考えなのかもしれませんが、直接口に出さずに一旦は飲み込んでおき、ほのめかす程度に布石を打っておくというのがいかにも日本らしいかな、と。 もちろん、ここまで公が狂うまでに方向を是正する努力をするべきであり、仮に他方で「ささやかな抵抗」があったからといって、その組織としての所業は許されるものではありません。 今回のインフォデミックに対する断罪はきちんと行われるべきですが、それでも私は「表現の場」としてのテレビ文化を否定する気にはなれません。 もはや大衆という存在が払拭されるはずもないので、後はマスコミの暴走を止められる法的な方策を議論し、一人一人がもう少し賢くなるしかない――という、ややありきたりな結論しかひねり出せないのが、自分としても忸怩たる思いではありますが。
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>>176
コメントありがとうございます。
ただ、私はマスコミが衰退してネットが主流になってしまうのは好ましくないと思っています。
確かに私も以前はテレビに対する嫌悪感がつのり、YouTubeばかり見ていました。
地上波では成立しないニッチな企画を楽しめるのは事実です。
でも、これがメインになってはいけないな、と思いました。
以前、よしりん先生が「本は正規軍、ネットはゲリラ」と表現されていましたが、それと同じ認識です。
あるいは、西部邁氏がよしりん先生に対して提言された「メインになりなさい」という、「価値の序列」という観点に通じるところがあるかもしれません。
また、「新潮45」「SAPIO」の休刊に際して、いかにネトウヨ雑誌と化してしまったとはいえ、表現の場が奪われてしまうのはまずい、と述べられたよしりん先生の見解にも影響されています。
言うまでもなくマスコミのインフォデミックは許しがたいものだけど、それ以外のドラマ、ドキュメンタリー、趣味・教養、バラエティといった表現の場が縮小されてしまうのは、やはり大問題だと思います。
巨大グローバル企業が運営するネット動画が主流になってしまうと、今以上のディストピアに陥る可能性大です。
実は偏向報道で悪評の高いNHKに関して申しますと、報道以外の分野で見所のある番組がいくつかありました。
先の投稿で紹介した『たけしのその時カメラは回っていた』はNHKの番組で、放送されたのは昨年の9月21日です。
7月25日には「世界を震わせた音楽」というタイトルで、伝説的なロックフェス・ウッドストックを取り上げ、エンタメが持つ力の大きさを伝えています。
コロナの偏向報道が著しくなり、エンタメが不要不急と言われる中で、果たしてコロナ脳の人間がこのような番組を制作するでしょうか。
また、Eテレでは『歴史探偵』という歴史上の謎を探求する番組で、「戦争とエンターテインメント」と題して戦時の表現規制の実態を取り上げ、伝説の漫才作家・秋田實が戦時下に書きあげた「分かる人にだけ分かる風刺」を入れ込んだネタを若手漫才コンビ・ミキに演じさせるという意欲的な企画を実現させています(今年の7月14日放送)。
さらに『100分de名著』で、ディストピア小説として有名な「華氏451度」が取り上げられたのも今年の5月から6月にかけてです。
この1年で、全体主義や表現規制に対するレジスタンスをテーマにした番組が、ここまで集中しているのは果たして偶然なのでしょうか。
こうしたことを考えるのは、先述の「戦争中のプロバガンダ」を特集したたけしの番組で紹介されていたあるエピソードが念頭にあるからです。
学徒出陣というニュース映像制作にあたり、日本映画社の製作部長・土屋斉(ひとし)という人物が、本来ならば国威発揚のために勇壮感溢れる映像にすべきところを「悲愴感を盛り立てる」編集を施していた、という事実が紹介されていました。
土屋は学徒出陣について「学生の中には、将来のゲーテもアインシュタインもおるわけでしょう。そうした若者を根こそぎにして戦場へ送る。学徒出陣を一言で言うならまさしく「悲愴」です」と語っています。
しかし、そんなことは表立って言えないし、そもそもニュース映像は軍の検閲がかかるので、「一人の学生の後ろ姿を帽子から足元まで長くパンダウン」させ、そこに「東条首相の演説をかぶせ」ることで、観るものに悲愴感を訴える映像に仕上げたとのことです(カギカッコ内は土屋自身の言葉)。
こうした「ささやかな抵抗」を見せていた人間もいたのだなということを知り、ならば現在においても同様のことはありうるのではないかと考えるようになりました。
局の中枢部や報道部が歪んでいく様を苦々しく感じながら、せめて教養番組ではまともなメッセージを視聴者に届けようと奮闘したスタッフがいてもおかしくないのではないかと思います。
甘い考えなのかもしれませんが、直接口に出さずに一旦は飲み込んでおき、ほのめかす程度に布石を打っておくというのがいかにも日本らしいかな、と。
もちろん、ここまで公が狂うまでに方向を是正する努力をするべきであり、仮に他方で「ささやかな抵抗」があったからといって、その組織としての所業は許されるものではありません。
今回のインフォデミックに対する断罪はきちんと行われるべきですが、それでも私は「表現の場」としてのテレビ文化を否定する気にはなれません。
もはや大衆という存在が払拭されるはずもないので、後はマスコミの暴走を止められる法的な方策を議論し、一人一人がもう少し賢くなるしかない――という、ややありきたりな結論しかひねり出せないのが、自分としても忸怩たる思いではありますが。