roku のコメント

高森先生のブログにてご紹介して頂いた「普通の倫理では『悪を抑えて、善を行え』というが、それは実に簡単な、表面的な考え方で、人間の内面の機根や、性格や、業(ごう)というものの不随意性や、善、悪というものそれ自体の
不可知性を知らないからで、誠に浅い、苦労のない考え方である。そんな事で、悪を抑えて、善が行えるものなら、
世の中に悪をつくるものは1人もいない」
は、よしりん先生が『新堕落論』で描かれていた坂口安吾氏の『堕落論』に通じるものがあるのでは、ないでしょうか。これは、あまりにも、欺瞞を排除しきった文学あるがゆえ、人間の本性の恐ろしさを知り、ぞっとしますが、人間には、こういう残酷なところが確かに存在するのだということを認識しなければなりません。率直すぎて苦しいですけれど。そして、安吾氏からしたら、ずいぶんオブラートに包んだ文学作品となりますけれど、これもまた、よしりん先生が取り上げてらっしゃった『こころ』の一節「…。。君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし、悪い人間は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」と、「先生」に夏目は言わせています。誰もが、安吾のいうような、人間の業を抱え、夏目の言うような「悪人」に豹変する可能性を抱えているのです。それが、現在のコロナ騒動で露わになりました。誰も自分が「悪人」だとは、考えていません。『善人」とさえ、おもっているでしょう。私は、昔から皆がよく『天国にいったら………」と躊躇なくいうことに、どうして、皆は、自分が天国にいけるとそんなに自信を持っていえるのだろうと思っていました。薄々、私なりに自分のなかにある残虐性に大なり小なり気づいていたのかもしれません。これは、人間の性だから仕方ありません。ただ、そういう自分を常に認識しておくことです。それしかできません。人間なのですから。

No.332 37ヶ月前

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