>>160 >>179 老婆心ながら、自分もオリンピックが開かれなかった場合の損失について、記してみます。 自分の理解している範囲で、ですが、また蘊蓄学みたいなたとえを書いてみます。オリンピックと比べてはいけないのかもしれないけれども、名古屋の南方貨物線という話です。 簡単に記すと、貨物輸送たけなわの1960年代に中京工業地帯の物資輸送のために、貨物新線をつくるという計画があり、名古屋貨物ターミナルから笠寺・大高・大府を結ぶ貨物新線が建造されたけれども、騷音問題や用地の買収などの問題があり、8割は開通したにもかかわらず、のこりの1.3㎞が着工できず、それを完成させるためにはあと100億円が必要とされ、しかも、完成した部分の維持費が20億円かかる、高架線下の治安の問題もある、とかいう理由で、結果、解体されたという話です。確か解体費用もかなりかかったような気がする(もう少し詳しく調べないといけないかな?)。 つまり、オリンピックを開催しないとなると、そのために建造した施設で不要になったものを、収入もなしにただ建設しただけで、とりこわすという結果になる、ということです。もっと分かりやすく言えば、成田空港を過激派の意向で廃港にする、という話と似ていると思うのです(確かに建設過程でかなり無理なところはあったらしいですが)。 南方貨物線の場合は、計画自体に無理があったような気もしますし、取り壊されて歓迎している住民も多いのかも知れません。しかし、自分は「そういうものでも、やはり何かの役には立つのではないか」と思いました。大抵、こういう貨物線は輸送スピードアップのために、人通りの少ないところや、住宅地のようなところを走り、あまり交通の便のよいところを経由しないため、利用価値は低いみたいですが、それでも、「壊すよりは作る方がましだ」と思ってしまう自分の考えは笑止千万なのでしょうか。 ちなみに、名古屋のあおなみ線というのも、元は貨物計画だったように話を聞いています。あれはそれなりに活用できたものだったわけで、南方貨物線も凍結して、完成するまで国が管理すれば良かったのでは、と思います。ことに、老齢者の自動車事故が頻発する昨今、貨物が見直されても良かったようにも思いますし、鉄道のあるところに人が集まる場合もあったかも知れないです。素人考えですが。 オリンピックに話をもどしますが、私もオリンピック開催運動時はそれなりに何かいいことがあるのかな、という感じで、このライジングなどを読んで何だか無駄なことをしてるという気になった、というふうに、気持ちも変動しています。しかし、一度作ってしまったものを今更何にも役立てずに、ただ病気が怖いという理由でご破算にしてしまうのは、情けないし、いったい何のための運動だったの、という気分にもなりました。 こんな話で宜しいでしょうか?これではご友人に説明できないかもしれませんが、たとえとして記してみました。(もう多くの人から忘れ去られてしまったかも知れませんが)、中国地方の三江線や北海道の札沼線などの場合でも、利益が優先されて廃線区間が生まれるわけで、ことに札沼線は札幌近郊は電化されて存続しているのだから、残りの区間も電化して、高速列車を走らせたら、それなりによかったのでは、とか思ってしまいます。作ったら、なくさずに、利用価値を考えて残そう、といったところでしょうか。 鉄道も、オリンピック同様、夢の結晶ではないか、と自分は思います。 >>200 徴(チャン)姉妹の反乱(西暦40年から43年)ですね。山川出版社の世界史用語集にも載っています。
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>>160
>>179
老婆心ながら、自分もオリンピックが開かれなかった場合の損失について、記してみます。
自分の理解している範囲で、ですが、また蘊蓄学みたいなたとえを書いてみます。オリンピックと比べてはいけないのかもしれないけれども、名古屋の南方貨物線という話です。
簡単に記すと、貨物輸送たけなわの1960年代に中京工業地帯の物資輸送のために、貨物新線をつくるという計画があり、名古屋貨物ターミナルから笠寺・大高・大府を結ぶ貨物新線が建造されたけれども、騷音問題や用地の買収などの問題があり、8割は開通したにもかかわらず、のこりの1.3㎞が着工できず、それを完成させるためにはあと100億円が必要とされ、しかも、完成した部分の維持費が20億円かかる、高架線下の治安の問題もある、とかいう理由で、結果、解体されたという話です。確か解体費用もかなりかかったような気がする(もう少し詳しく調べないといけないかな?)。
つまり、オリンピックを開催しないとなると、そのために建造した施設で不要になったものを、収入もなしにただ建設しただけで、とりこわすという結果になる、ということです。もっと分かりやすく言えば、成田空港を過激派の意向で廃港にする、という話と似ていると思うのです(確かに建設過程でかなり無理なところはあったらしいですが)。
南方貨物線の場合は、計画自体に無理があったような気もしますし、取り壊されて歓迎している住民も多いのかも知れません。しかし、自分は「そういうものでも、やはり何かの役には立つのではないか」と思いました。大抵、こういう貨物線は輸送スピードアップのために、人通りの少ないところや、住宅地のようなところを走り、あまり交通の便のよいところを経由しないため、利用価値は低いみたいですが、それでも、「壊すよりは作る方がましだ」と思ってしまう自分の考えは笑止千万なのでしょうか。
ちなみに、名古屋のあおなみ線というのも、元は貨物計画だったように話を聞いています。あれはそれなりに活用できたものだったわけで、南方貨物線も凍結して、完成するまで国が管理すれば良かったのでは、と思います。ことに、老齢者の自動車事故が頻発する昨今、貨物が見直されても良かったようにも思いますし、鉄道のあるところに人が集まる場合もあったかも知れないです。素人考えですが。
オリンピックに話をもどしますが、私もオリンピック開催運動時はそれなりに何かいいことがあるのかな、という感じで、このライジングなどを読んで何だか無駄なことをしてるという気になった、というふうに、気持ちも変動しています。しかし、一度作ってしまったものを今更何にも役立てずに、ただ病気が怖いという理由でご破算にしてしまうのは、情けないし、いったい何のための運動だったの、という気分にもなりました。
こんな話で宜しいでしょうか?これではご友人に説明できないかもしれませんが、たとえとして記してみました。(もう多くの人から忘れ去られてしまったかも知れませんが)、中国地方の三江線や北海道の札沼線などの場合でも、利益が優先されて廃線区間が生まれるわけで、ことに札沼線は札幌近郊は電化されて存続しているのだから、残りの区間も電化して、高速列車を走らせたら、それなりによかったのでは、とか思ってしまいます。作ったら、なくさずに、利用価値を考えて残そう、といったところでしょうか。
鉄道も、オリンピック同様、夢の結晶ではないか、と自分は思います。
>>200
徴(チャン)姉妹の反乱(西暦40年から43年)ですね。山川出版社の世界史用語集にも載っています。