またライジングとは直接関係ない話をします。以下の記事をインターネットで見つけたので。 同時入院した「理想の夫婦」が迎えた衝撃の結末 漫画『お別れホスピタル』(第13話) https://toyokeizai.net/articles/-/380152 去年の九州道場で、自分がよしりん先生に「泥とまみれて」と比較して質問した話です。興味のあるかたは読んでみて下さい。 ということで、質問になっているかどうかは分からないですが、よしりん先生ほか、師範の方々にとって、家族とか友情とかいうものはどういうものなのか、という(東海道場の)質問をしてみます。 私の場合、かなり厳しい、毒舌の母親の影響で、人間とは関心のない人間にはきついことは言わないものだ、というふうに思ってきました(覇気がない、とか女の腐った奴とか、吹けば飛ぶような将棋の駒みたいだとか)。だから、かなり辛辣なことを日常的につぶやいてきたような、そんな気がします。 しかし、会社勤めとか、塾講師のアルバイトなどをしてみると、そうした言葉はむしろ相手への悪意や不快感を与える面でしかとらえられず(実際、自分の言うことはきついと言われ、逆に「(自分が)きつい言われ方をされてているように感じる」と答えたら、「きつい言い方をしているからじゃないですか」と返されたことや、教え子の生徒に泣かれ、何が何だかわけが分からず、思わず「何が問題なの?」と聞き返して、よけいにこじれた、というケースもありました)、好意とは受け入れられないということが分かってきて、「自分は母親から何を言われてきたのだろう」という疑問が募る一方です。前にも記しましたが、よしりん先生のおかあさんも、息子に「逆境」を跳ね返して行きて行けるほど強い人間になって欲しいという願いをこめて、「保険金」の話を敢えてされたのではないだろうか、そんなふうに感じてしまったのです。 ちなみに、こういう話を以前に父親にしたら、「もうなくなっている人間のことを悪く言うものではない」という答えでした。また、上の姉に言わせると、「お前はおかあさんに甘やかされている」なのだそうです。だから、きつい言い方をすることは甘やかしなのか、と誤認してしまったりするのです。 人間の真心とか愛情とは何なのだろうか、ライオンの親が我が子を千尋の谷に突き落として鍛えるようなものなのか(石原慎太郎の鬼畜小説は別ですが)、それとも聖母マリアや大日如来のように、誰にでも等しく与えられる慈愛に満ちたものなのか、それともケースバイケースなのか、世の中の価値基準は一つではないのか、時処位と言うことでよいのか?こういう質問はちょっと抽象的すぎるでしょうか?こういうことをトラウマとして抱く自分がバカで幼いのか?先生方のお考えを聞かせていただけたら、有難いです。 こういう質問は、範疇外になるのでしょうか?ただ、政治的な話にしても、先生の意見が右往左往して、矛盾しているといいがかりをつけている阿呆な輩もいるので、世の中の真理は一つかもしれないけれども、固定したものではない、という話に繋がるのかな、とも思いました。 またちゃんとした質問が思いついたら、投稿します。
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またライジングとは直接関係ない話をします。以下の記事をインターネットで見つけたので。
同時入院した「理想の夫婦」が迎えた衝撃の結末
漫画『お別れホスピタル』(第13話)
https://toyokeizai.net/articles/-/380152
去年の九州道場で、自分がよしりん先生に「泥とまみれて」と比較して質問した話です。興味のあるかたは読んでみて下さい。
ということで、質問になっているかどうかは分からないですが、よしりん先生ほか、師範の方々にとって、家族とか友情とかいうものはどういうものなのか、という(東海道場の)質問をしてみます。
私の場合、かなり厳しい、毒舌の母親の影響で、人間とは関心のない人間にはきついことは言わないものだ、というふうに思ってきました(覇気がない、とか女の腐った奴とか、吹けば飛ぶような将棋の駒みたいだとか)。だから、かなり辛辣なことを日常的につぶやいてきたような、そんな気がします。
しかし、会社勤めとか、塾講師のアルバイトなどをしてみると、そうした言葉はむしろ相手への悪意や不快感を与える面でしかとらえられず(実際、自分の言うことはきついと言われ、逆に「(自分が)きつい言われ方をされてているように感じる」と答えたら、「きつい言い方をしているからじゃないですか」と返されたことや、教え子の生徒に泣かれ、何が何だかわけが分からず、思わず「何が問題なの?」と聞き返して、よけいにこじれた、というケースもありました)、好意とは受け入れられないということが分かってきて、「自分は母親から何を言われてきたのだろう」という疑問が募る一方です。前にも記しましたが、よしりん先生のおかあさんも、息子に「逆境」を跳ね返して行きて行けるほど強い人間になって欲しいという願いをこめて、「保険金」の話を敢えてされたのではないだろうか、そんなふうに感じてしまったのです。
ちなみに、こういう話を以前に父親にしたら、「もうなくなっている人間のことを悪く言うものではない」という答えでした。また、上の姉に言わせると、「お前はおかあさんに甘やかされている」なのだそうです。だから、きつい言い方をすることは甘やかしなのか、と誤認してしまったりするのです。
人間の真心とか愛情とは何なのだろうか、ライオンの親が我が子を千尋の谷に突き落として鍛えるようなものなのか(石原慎太郎の鬼畜小説は別ですが)、それとも聖母マリアや大日如来のように、誰にでも等しく与えられる慈愛に満ちたものなのか、それともケースバイケースなのか、世の中の価値基準は一つではないのか、時処位と言うことでよいのか?こういう質問はちょっと抽象的すぎるでしょうか?こういうことをトラウマとして抱く自分がバカで幼いのか?先生方のお考えを聞かせていただけたら、有難いです。
こういう質問は、範疇外になるのでしょうか?ただ、政治的な話にしても、先生の意見が右往左往して、矛盾しているといいがかりをつけている阿呆な輩もいるので、世の中の真理は一つかもしれないけれども、固定したものではない、という話に繋がるのかな、とも思いました。
またちゃんとした質問が思いついたら、投稿します。