元中曽根元首相のことが取り上げられると、すぐ頭に浮かぶのが、「憲法改正」と「55年体制の終焉」である。 原理原則を主張する社会党が元気であり、米国の様々な要求に対して、比較的にはっきりと自民党が「NO」は「NO」と答えていた時代である。 故中曽根氏の総理大臣の期間は1983~1987であり、1960代から続いていた自民党と社会党の国対密室政治が常態化していた。1985年に残念なことであったが,社会党は高坂逸郎氏という社会主義理論の支柱を失うと、一時期土井ブームがパット開いたが、「現実路線」と「原則路線」対立が表面化し、衰退の道をたどった。高坂氏の理論は現在の中国に少なからず影響を与えている。そのあと出てきた政党は、「日本新党」から「民主党」と移っていくが、同じように内部で路線対立があり、野党低迷の時代が続いている。今振り返ってみると、中曽根氏在任中は社会党が元気な時代でもあった。政治が分かりやすく懐かしい時代でした。
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孫崎享チャンネル
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元中曽根元首相のことが取り上げられると、すぐ頭に浮かぶのが、「憲法改正」と「55年体制の終焉」である。
原理原則を主張する社会党が元気であり、米国の様々な要求に対して、比較的にはっきりと自民党が「NO」は「NO」と答えていた時代である。
故中曽根氏の総理大臣の期間は1983~1987であり、1960代から続いていた自民党と社会党の国対密室政治が常態化していた。1985年に残念なことであったが,社会党は高坂逸郎氏という社会主義理論の支柱を失うと、一時期土井ブームがパット開いたが、「現実路線」と「原則路線」対立が表面化し、衰退の道をたどった。高坂氏の理論は現在の中国に少なからず影響を与えている。そのあと出てきた政党は、「日本新党」から「民主党」と移っていくが、同じように内部で路線対立があり、野党低迷の時代が続いている。今振り返ってみると、中曽根氏在任中は社会党が元気な時代でもあった。政治が分かりやすく懐かしい時代でした。