1.見聞覚知する世界を、形而上学的に「言葉」で表現しようとすれば、さまざまな要素を論理的には配列し、数多くの議論によって、最適な方法を選択しようとする。 2.見聞覚知する世界を、「直観」把握すれば「言葉」を超えるわけであり、多様的あり方が一体的でもある。物の見方が「言葉」によって限定されないことである。「直観」であるから」すべての人が同じ見方考え方に収斂することはない。 この二つのものの見方考え方は、前者が西欧的発想方式であり、後者はアジア特に日本人に多く見られる発想法式である。 前者はどちらかというと善悪を峻別し、相手に対して無慈悲な手段・方法をとる性癖がある。後者はどちらかというと善悪を峻別しない。しかしどのような選択をするか予想ができず不気味感をぬぐえない。 日本人は日本人としての良さをどのように相手にわかってもらうかの努力、すなわち話し合いの外交の場を増やしていくべきでしょう。一方考え方を峻別すると、排除された人たちが多く出てくる。現実的に言えば、世界が自由主義系、社会主義系、共産主義系などに大別され、争いが絶えないことになる。現実そのような現象が起きているのです。 どちらかというと、日本が変わるより、世界が、「言葉」・「思想」・「宗教」・「肌の色」などで差別することを止めるべきでしょう。「直観性」による「多様性」を認めていくべきである。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
1.見聞覚知する世界を、形而上学的に「言葉」で表現しようとすれば、さまざまな要素を論理的には配列し、数多くの議論によって、最適な方法を選択しようとする。
2.見聞覚知する世界を、「直観」把握すれば「言葉」を超えるわけであり、多様的あり方が一体的でもある。物の見方が「言葉」によって限定されないことである。「直観」であるから」すべての人が同じ見方考え方に収斂することはない。
この二つのものの見方考え方は、前者が西欧的発想方式であり、後者はアジア特に日本人に多く見られる発想法式である。
前者はどちらかというと善悪を峻別し、相手に対して無慈悲な手段・方法をとる性癖がある。後者はどちらかというと善悪を峻別しない。しかしどのような選択をするか予想ができず不気味感をぬぐえない。
日本人は日本人としての良さをどのように相手にわかってもらうかの努力、すなわち話し合いの外交の場を増やしていくべきでしょう。一方考え方を峻別すると、排除された人たちが多く出てくる。現実的に言えば、世界が自由主義系、社会主義系、共産主義系などに大別され、争いが絶えないことになる。現実そのような現象が起きているのです。
どちらかというと、日本が変わるより、世界が、「言葉」・「思想」・「宗教」・「肌の色」などで差別することを止めるべきでしょう。「直観性」による「多様性」を認めていくべきである。